『フジコ』尾野真千子インタビュー

殺人鬼の狂気を熱演!

#尾野真千子

最初はオファーを断った

動画配信サイト「Hulu」のオリジナル連続ドラマ『フジコ』が11月13日からHuluとJ:COMで全6話一挙配信される。読後の後味が悪いミステリーへの最大の賛辞「イヤミス」の傑作「殺人鬼フジコの衝動」(真梨幸子原作)の映像化で、10歳で一家惨殺事件に巻き込まれて両親と妹を亡くした少女・フジコが幸せを求めるあまり殺人を繰り返していく。

壮絶な体験を経て自らも殺人鬼と化すヒロインを演じた尾野真千子に、話を聞いた。

──オファーが来た時、最初断ろうと思ったと聞いて意外に思いました。フジコは凄絶なキャラクターですが、女優としてはやりがいのある役ではないかと想像したのですが。

尾野:脚本を読んで、「これを見てみんなどう思うんだろう、マイナスのことしか思わないんじゃないか」という気がして。見てくれる人たちが面白がってくれる要素を自分の中でなかなか見つけらなかったんです。でも、お返事するまでの間に映画を見たんです、『凶悪』を。その時に、私にもできることがあるのかもしれないなと思って。もしかしたら、何か伝わるかもしれないっていう1パーセントか2パーセントぐらいの望みが見えて。その1パーセント、2パーセントぐらいを楽しいんでみようって思って引き受けました。

『フジコ』
(C)HJホールディングス/共同テレビジョン (C)真梨幸子/徳間書店

──『フジコ』の脚本は『凶悪』の高橋泉さんが執筆されましたが、それも理由になったんでしょうか。

尾野:そこは別に気にしてなかったです。初めのうちは誰が書いているとか、監督するとか、そこは最重要ではなくて。たまたま『凶悪』を見たんです。ただ、前からマネージャーに「一回見てください」と言われてたんです。リリー(・フランキー)さんが大好きだから、それも見たかった理由でした。それを見て、次の日ぐらいに「できるかもね」という気持ちになって、返事をさせてもらったんです。

──稀代の殺人鬼であり、おぞましくもあるフジコには共感を抱くのすら難しいですが、同時に目が離せないような魅力あるキャラクターです。こういう役をどのように理解し、咀嚼されたんでしょうか。

尾野:自分だけ生きていればいいかな、と思ってやっていました。何か他のことを考えるわけでもなく、理解というのならば、私だけ生きていればいいって思ってやってました。

フジコの気持ちは分らなかった。共感したいとも思わなかったた
『フジコ』
(C)HJホールディングス/共同テレビジョン (C)真梨幸子/徳間書店

──確かに、フジコは他人の生命に対する共感など微塵もありませんね。

尾野:いらないものを排除していく人ですから。そういう心境になるしかなかった。(少し考え込んでから)難しかったんですよね。気持ちは分からないし、共感したいとも思わないし。役作りという意味ではどうしたらいいか分からなかったんです。でも、もうそこにもう血のりが用意されているし、切断した体の模型が置かれてたり、準備はどんどん進んでいるし。拘置所のシーンで、面会室の小窓から覗くにしても、どんな気持ちでいればいいのか全然分からなくて、本当に気分悪かったです。自分の中で整理が一回もついたことがない現場でしたね。なんか試練なんでしょうね、それが。

──今までにはそういう経験は全くなかったですか。

尾野:うん。だって、きれいな役が多かったですからね。気持ちの分かる役が多かった。だけど、この役って本当に分からないんですよ。私、殺したことあるのは虫だけです。虫だけじゃない、魚とか動物もそうかもしれない。でも、同じ言葉をしゃべるものを殺したことはないし、その気持ちだけは分かりたくない。つらかった、本当に。みんなに「今何やってるの」って聞かれて、「今、人殺しの役やってるんですよ」って面白がって言っている自分もいやだったし。でもね、出来上がったものを見たら、これだけつらい思いしてよかったなと思えたんです。「もういやだ、人殺すのいやだ」と思い続けていたけど、出来上がってみて、「そうか、フジコってそんなこと考えていたんだ」とやっと分かったんです。自分でそう思えて、やってよかったなと思った。

『フジコ』
(C)HJホールディングス/共同テレビジョン (C)真梨幸子/徳間書店

──ということは、撮影に入る前と完成作を見た後で、尾野さんの中でのフジコ像にも変わった点はあるでしょうか?

尾野:そんなに大きく変わってないですね。ただ最後、死刑執行の日に、呼ばれる声を聞いて、ちょっとフジコの痛みが分かったかな。それまでは痛みってどこなのか、考えても分からなかった。死刑を執行されるという身になった時にやっと少しだけ痛みが分かったような気がしたんです。台本を読んだだけじゃ分かんなかったですね。全部やってみなかったら分かんない。

どの時代のフジコもひどい。共感しなくていいです
『フジコ』
(C)HJホールディングス/共同テレビジョン (C)真梨幸子/徳間書店

──フジコとは、どんな人だと思いますか。

尾野:難しいな。どんな人か、それが分からない人なんじゃないですか。悲しい人っていう一言で済まそうとすれば、それだけかもしれないですけど。色がない人ですから。人に対する愛もあるかと思えば、片や愛はないですよね、人を殺すから。いかようにも変わっていけてしまうし、全部リセットしてしまう人だし。今度これが駄目だったから、ああなろうってできちゃう。役者ですよね。私も「フジコはこういう人です」って答えたいです。「なんか悲しい人ですね」とか言いたいんですけど、この人にとって悲しさってどの程度のものなのかなと思うし、悲しいのかと思ったら笑ってたりとか、本当に分かんない。同じ言葉をしゃべるものを殺すって、そういうことなんだろうと思ったりもします。一概には言えないですけど。

──ドラマではフジコの幼少期や少女時代もしっかり描かれます。フジコの過去ではありつつ自分で演じていないわけですから、現在のフジコを演じるうえで想像力を必要としたのではないですか?

尾野:そうなんですよね。でも、なんにも考えてなかったんですよ、本当に。何代もいるじゃないですか。小っちゃい頃からちょっと大きくなって、裸を見せないといけない年になってきたり。苦労をしてくれてたんだと、完成作を見て思いました。

尾野真千子

──それぞれのフジコがちゃんとひとつの線でつながっていますね。

尾野:ね。スタッフがすごいんですよ。そこにつなげてくれるでしょ。私たちはやっぱり自分の芝居をやるしかないから。私の1つ前のフジコをやったおのかれんちゃん、あの子がまたすごいんですよ。あれは惚れたな。本当にどこまでやるんだろうっていうぐらいやってくれてたから、ありがたかったです。どれだけ私が大きな芝居したって、「あのフジコだったらするわな」っと思えたから、すごいなと思った。

──フジコという女性の凄まじい半生と、そこに隠された謎を解いていく過程も見どころだと思いますが、どこに注目して見てもらいたいですか?

尾野:どこを見てとかはないです。見てもらえれば分かると思います。どの時代のフジコもひどいです。ひどいことをしている。なんて言えばいいか分からないけど、このフジコの生きざまを追ってみてください。共感しなくていいです。そうですね。そうしよう。共感しなくていいです。分からなくていいです。でも、フジコをやった私はフジコの痛みが分かったんです。だから、見てくれている人たちはどこに共感を持つか分からないですけど、どこかにたぶん痛みというものが分かると思うし、いろんな気持ちや優しさがその人に出てくるのかもしれない。何かハッと思ってくれたら、それが正解なのかもしれないです。

(text:冨永由紀/photo:中村好伸)

尾野真千子
尾野真千子
おの・まちこ

1981年11月4日生まれ、奈良県出身。『萌の朱雀』(97年)で映画主演デビューし、第10回シンガポール国際映画祭にて最優秀女優賞を受賞。第60回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作『殯の森』(07年)、『クライマーズ・ハイ』(08年)などに出演し、第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作『そして父になる』(13年)で第37回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。テレビドラマ『Mother』(10年)、NHK連続テレビ小説『カーネーション』(11年)、『最高の離婚』(13年)などに出演。近年の出演映画は『影踏み』(19年)、『ヤクザと家族 The Family』(21年)、『明日の食卓』(21年)、『こちらあみ子』(22年)『ハケンアニメ!』(22年)、『サバカン SABAKAN』(22年)など。『ミニオンズフィーバー』(22年)では声の出演。主演作『茜色に焼かれる』(21年)で各映画賞の主演女優賞を多数受賞した。