「退屈なほど真っ当」だからこそ輝き続けたモデル、ツイッギー。多才な魅力に光をあてたドキュメンタリー
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初めて自らの声で半生を語った『ツイッギー』
【この俳優に注目】誰でも一度はその名前を聞き、大きな瞳に小枝のようなスリムな容姿に見覚えがあるであろう、1960年代に活躍したモデル、ツイッギー。1967年、ロンドン出身の17歳の彼女が東京に降り立つと、空港に大挙した報道陣のカメラの放列に彼女は思わず泣いてしまったという。同じことはパリやニューヨークでも起きていた。当時のツイッギーは映画スターでもなく、大ヒット曲を持つシンガーでもない、キャリアわずか1年の新人モデル。ショートカットと長いまつ毛、中性的な魅力でファッション界の常識を塗り替えた少女は社会現象となって世界を席巻した。
・ポール・マッカートニーが語る“ミニの女王” ツイッギーとスウィンギング・ロンドンの魅力とは
そのツイッギーが、初めて自らの声で半生を語る公式ドキュメンタリー映画『ツイッギー』が公開された。監督を務めたのはイギリスの俳優・映画監督で、ファッション・アイコンとしても知られるサディ・フロストだ。
1960年代当時の熱狂を知るポール・マッカートニー、ダスティン・ホフマンをはじめ、ブルック・シールズ、ステラ・マッカートニーといった各界の著名人が証言者として登場する。その豪華な顔ぶれもさることながら、注目すべきなのは、本作がツイッギー本人が初めて公認した自身の物語であることだろう。

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小枝のような体型の中性的なモデルが時代の顔に
ツイッギーは1949年9月19日、ロンドン北西部の郊外に生まれた。父は大工、母は印刷会社の工場員という労働者階級の家庭で、姉妹2人と育った彼女は、どこにでもいる普通の少女だった。
転機は15歳のときに訪れた。放課後に美容院でアシスタントとして働いていた彼女は、そこで美容師のナイジェル・デイヴィス(後にジャスティン・ド・ヴィルヌーヴと改名し、彼女のマネージャーとなった当時の恋人)と出会う。彼は彼女の体型を見て「Twigs(小枝)」と呼んだ。翌年、16歳のときにロンドンのセレブ御用達美容院でショートカットに変身した彼女の写真が、デイリー・エクスプレス紙のファッション記者の目に留まる。数週間後、記事は「’66年の顔(The Face of ’66)」という見出しで掲載され、愛称をアレンジした「Twiggy(ツイッギー)」という名前をつけられた彼女の人生は一変した。
168cmという身長はファッションモデルとしては小柄であり、細身の体と大きく見開いた目をさらに強調するつけまつ毛というツイッギーの外見は、曲線美の女性像を理想としていた当時のファッション界の概念を根底から覆した。ミニスカートとモッズ・スタイルの流行と重なり、中性的でユニークな美は時代の空気を象徴し、セシル・ビートン、リチャード・アヴェドンといった最高の写真家たちが彼女をカメラに収め、「VOGUE」など一流ファッション誌の表紙を飾った。
意地悪な質問に「知らない」と答えたツイッギー
マテル社が「ツイッギー・バービー」を発売し、ランチボックスやボードゲーム、タイツやつけまつ毛まで、彼女にちなんだあらゆる商品が発売された。しかし彼女自身はそんな狂騒に惑わされず、ドラッグに手を出すこともなく、20代後半までアルコールも口にしなかったという。そんな自身について「退屈なほど真っ当だった」と後に本人は振り返っているが、それはまさに若くして名声に流されなかった芯の強さを示すものだ。
17歳で初めて渡米したツイッギーはTV番組でウディ・アレンにインタビューされた。アレンが「一番好きな哲学者は誰か」と意地悪な質問を投げかけたとき、彼女は「知らない」と正直に答えて、即座に同じ質問を切り返した。おそらく彼女を見下そうと考えていたアレンは狼狽し、答えをはぐらかし続けた。ドキュメンタリーに収められたこのアーカイブ映像も、彼女の本質を何より雄弁に語っていると言えるだろう。
モデルを早々に引退して演技の道へ、歌手としても活動
1970年、ツイッギーは21歳にしてモデルを引退した。「一生、服をかけるハンガーのままでいること」を拒んだ彼女が次に目指したのは演技の世界で、『恋する女たち』(1969年)や『トミー』(1975年)などで知られる鬼才ケン・ラッセル監督のミュージカル映画『ボーイフレンド』(1971年)に主演し、唯一無二のスター性のみならず歌って踊れる演技力を証明し、ゴールデン・グローブ賞を主演女優賞・新人賞の2部門で受賞した。「モデル」という肩書きを超えた、真の意味での転換点だった。
1970年代からは歌手としても活動し、ポップとカントリーの楽曲を収録したアルバムをリリース。さらに挑戦は続き、1983年にはブロードウェイ・ミュージカル『マイ・ワン・アンド・オンリー』でトニー賞主演女優賞にノミネートされる。物おじせずに次々と自身の直感に導かれるままに新境地を拓き、誰にも真似できない個性が光る。身のこなしも歌声も、全てが奇跡のように素晴らしく、それをさらりと表現する。あらゆる形での表現に天賦の才がある人であることを、筆者は遅まきながら今回のドキュメンタリーで知ることができた。

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結婚生活では不幸も経験、再婚して今なお仲睦まじく
輝かしいキャリアの陰で、ツイッギーは深い悲しみも経験している。1977年に俳優マイケル・ウィットニーと結婚し、1978年には娘カーリーを授かったが、夫はアルコール依存症に苦しみ、カーリーがまだ幼かった1983年に心臓発作で他界した。『マイ・ワン・アンド・オンリー』に出演中だった彼女は当日も舞台に立っており、関係者は幕が下りるまで訃報を伝えなかったという。大きな悲劇に見舞われた彼女は一時的に舞台を離れたが、やがて復帰して公演を続けた。シングルマザーとして娘を育てながら、それでも彼女はキャリアを諦めなかった。
そして1988年、映画『マダム・スザーツカ』(1988年)で共演した俳優リー・ローソンと再婚したことで、彼女の人生に真の安らぎが訪れた。ドキュメンタリーでも、今も仲睦まじい夫婦2人が穏やかな表情で語り合う場面が印象的だ。

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監督泣かせの“スキャンダルのない人生”
先日、ツイッギー本人にオンライン取材をする機会を得たが、何より心を打たれたのは、相手によって態度を変えずに誰に対しても誠実かつ丁寧に接する姿だった。その優しさには、ただ前を向き続けて歩んできた健やかな自信があり、70代半ばを過ぎてもなお鮮やかなエネルギーを放っている。
俳優や音楽活動と並行して、自らの名を冠したファッションラインを立ち上げるなど、活躍の場を広げ続けた功績に対し、2019年にはエリザベス女王よりデイム・コマンダー(DBE)の称号を授与された。
フロスト監督によれば、セックスやドラッグ、スキャンダルがない人生を映画化するのは実は難しかったという。「でもツイッギーの物語は、”サバイバー”の物語です。業界に飲み込まれず、ポジティブであり続けた人間の物語です」。(文:冨永由紀/映画ライター)
『ツイッギー』は、2026年4月24日より全国順次公開中。
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