黒沢清監督
『スパイの妻』トークイベントでの黒沢清監督
スパイの妻
スパイの妻

【この監督に注目】黒沢清監督

9月に開催された第77回ヴェネチア国際映画祭において、『スパイの妻』で銀獅子賞(監督賞)を受賞した黒沢清監督。第60回の北野武監督(『座頭市』)以来の同賞受賞は大きく報じられた。これまでカンヌをはじめとする海外の映画祭で受賞を重ね、国際的に注目され続けてきた監督の代表作とその魅力について振り返る。

・黒沢清監督がヴェネチア映画祭で銀獅子賞! 蒼井優、高橋一生共演で描く『スパイの妻』

『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督が好きな作品を問われた際に必ず挙げ、監督として最も影響を受けたと語るのが1997年の『CURE』だ。連続猟奇殺人事件を捜査する刑事(役所広司)と事件の鍵を握る謎の男(萩原聖人)の攻防を描くサイコサスペンスは、静けさや平穏の中の不可解なノイズや綻びから、じわじわと恐怖が浸透していく。同時期公開の『リング』(98年)シリーズなどとともに「Jホラー」という名前で海外でも広く知られ、今でも海外メディアで黒沢監督が取り上げられる際は「Jホラーの名匠(J horror Master)」と紹介されることが多い。

黒沢監督が最初に国際的な賞を受賞したのは2000年の『回路』だ。第54回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞に輝いた同作は、まだインターネットに不慣れな若者がいた当時の風潮を絡めて、周囲で連続する不可解な死の謎に迫ろうとする若い男女(加藤晴彦、麻生久美子)が主役。主人公がインターネット接続に苦労していると、勝手にどこかへ繋がり、「幽霊に会いたいですか」という文字が浮かび上がり、そこから死の連鎖が始まる。身の回りの漠然とした不穏さが、いつの間にか社会全体を覆っていた……黒沢作品の数々は、後に見ると、まるで未来を予見したようなものが描かれていることがある。『回路』に登場する人っ子ひとり歩いていないゴーストタウンと化した東京の風景は、20年後のコロナ禍で緊急事態宣言が出された東京都でほぼ現実のものとなった。

この2作でホラー映画のイメージは強くなったものの、 97年から2000年代前半は年に2本以上撮ることもあった黒沢監督。『ニンゲン合格』(98年)、『アカルイミライ』(03年)など、若き日の西島秀俊やオダギリジョーを起用して、独特の家族観がうかがえる人間ドラマの名作を世に送り、2008年に『トウキョウソナタ』を発表する。第61回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した同作は、主婦(小泉今日子)とリストラされたことを家族にひた隠しにする夫(香川照之)と息子2人という東京の家族の物語。崩壊寸前の家族4人それぞれの葛藤と再生を描き、海外で根強かったクロサワ=ホラーのイメージを覆した。

『トウキョウソナタ』の後、フィルモグラフィに空白が生まれる。その理由の1つと思われるのが幻となった企画『一九〇五』だ。1905年の横浜を舞台に、国際的なキャストを揃えた日中合作の大作は監督にとって初の歴史劇となるはずだった。2012年に撮影を予定し、準備も進んでいたが、当時起きていた尖閣諸島問題の影響を受けて製作中止となった。

2012年、黒沢監督はWOWOWの連続ドラマW『贖罪』を手がけた。基本的にオリジナル脚本で撮り続けてきた監督は、これを機に、原作のある作品の映画化にも取り組むようになり、その世界はより広がりを見せ始める。綾瀬はるかと佐藤健が主演の『リアル~完全なる首長竜の日~』(13年)、深津絵里と浅野忠信主演の『岸辺の旅』(15年)はどちらも小説の映画化だが、ストーリーを伝える手法そのものによって、見事に監督の世界が構築されている。

第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞した『岸辺の旅』以降、『クリーピー 偽りの隣人』、(16年)、フランスで現地スタッフ、キャストで撮った『ダゲレオタイプの女』(16年)、『散歩する侵略者』(17年)と、ジャンルはそれぞれ異なるが、黒沢監督は夫婦(カップル)を描き続けてきた。子どもを持たない彼らは、家族であっても血縁ではない他人同士。コミュニティの最小単位である2人が世界と向き合う黒沢映画の集大成と言うべきなのが最新作『スパイの妻』だ。

1940年の神戸に暮らす貿易商が偶然、恐ろしい国家機密を知ってしまったことから始まるサスペンスは、その妻も巻き込んで、太平洋戦争開戦が迫る時代を背景に、思いもよらない展開を見せる。黒沢監督がついに臨んだ歴史劇は細部まで行き届いたリアリティ、蒼井優と高橋一生が演じる夫婦の佇まいの美しさで、社会に訴えるドラマとしても深い愛の物語としても見応えがある。同時に『CURE』や『回路』などにも通じる闇もある。穏やかな日常と隣り合わせにある、魔が差す瞬間。説明のつかないものこそが最も恐ろしいこと。これまでホラーやサスペンスの形で伝えてきたものが、ずっとリアルな実体を伴い、迫ってくるのだ。

『CURE』以降、主演助演を問わず8回出演している役所広司や、西島秀俊、小泉今日子、香川照之、最近では前田敦子や東出昌大など、繰り返し起用される俳優が多いのも特徴だが、最後に、黒沢作品は「こんな人も出ていたの?」という驚きがあることも書いておきたい。

1992年『地獄の警備員』でタイトルロールの元力士の警備員(得意技は鯖折り)を演じたのはこれが映画初出演だった松重豊。99年放映のドラマ「降霊 KOUREI」には草彅剛が出演している。98年の『蜘蛛の瞳』にはローラースケートで室内を行ったりきたりする阿部サダヲが登場し、2003 年の『ドッペルゲンガー』にはユースケ・サンタマリア、2006年の『LOFT』には安達祐実、2014年の前田敦子主演作『Seventh Code』には鈴木亮平が出演。『トウキョウソナタ』で主人公が通う小学校の担任教師を演じた児嶋一哉(アンジャッシュ)は『散歩する侵略者』にも出演している。

90年代の黒沢監督は、オリジナルビデオで活躍し、哀川翔主演で便利屋コンビが主役のアクション・コメディ「勝手にしやがれ!!」シリーズやノワールの傑作「復讐」シリーズを量産したが、その哀川が『ニンゲン合格』や『回路』で演じた役柄のように「この人にこういうことをさせるのか」という目から鱗のキャスティングで楽しませる。『アカルイミライ』の松山ケンイチ、『トウキョウソナタ』の土屋太鳳など、新しい才能をいち早く見つける先見の明も持つ。

ホラー、SF、サスペンス、人間ドラマ、と幅広いジャンルを跨ぎ、常に新しい驚きをもたらす黒沢監督。新境地を見せた『スパイの妻』はもちろん、次に何が出てくるのか、期待は尽きない。(文:冨永由紀/映画ライター)

『スパイの妻』は、2020年10月16日より公開

 

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