性暴力問題を告発し続ける孤高の男 根幹を形作ったのはアンジェイ・ワイダ監督らの社会派映画

#MeToo#日本映画界の問題点を探る#日本映画界の問題点を探る/性被害は報道よりもはるかに多い#早坂伸

早坂伸
若き日の早坂伸(右)

ぴあフィルムフェスティバルで史上初の快挙を成し遂げた作品でカメラマンデビュー

【日本映画界の問題点を探る/性被害は報道よりもはるかに多い 2】映像カメラマンとして『惡の華』や『架空OL日記』などこれまでに数々の話題作を手掛けてきた早坂伸。2022年に榊監督による性加害問題が起きるまでは、25年のキャリアを誇る映像カメラマンとして評価も地位も確立されていただけに、端から見ると、映画界の性暴力問題を告発する立場になったことが不思議に思える。

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ぴあフィルムフェスティバル2000のグランプリ作品の撮影を担当していたことから本格的にカメラマンとしての仕事をスタートさせた早坂。だが、当初は映画界を目指していたわけでもないという。

「高校は田舎の進学校だったので、周囲に芸術系に進むような人はいませんでした。なので、映画に興味はあったものの、大学では経済系の学部に進学。当時はバブル真っ只中だったこともあり、公認会計士が稼げると言われて簿記も勉強していました」

ところが、在学中にバブルが崩壊したことによって就職氷河期へ突入。「本当にやりたいこと」について改めて考えてみたところ、迷うことなく出た答えが「映画」だったという。

「映画の面白さに触れたという意味での原体験といえば、『ゴジラ』シリーズやジャッキー・チェンのカンフー映画です。けれど、映画に関わる仕事への興味を抱いたのは中学生の頃。アンジェイ・ワイダやシドニー・ルメット、コスタ=ガヴラスといった監督たちの作品を見て、映画には社会的なメッセージを伝えられる力があることを知りました。そういう映画を見て育ったことがいまの自分にも繋がっているように感じています」

こうして、映画学校への入学を決意。最初は脚本家やプロデューサーになりたいと考えていたそうだが、熟慮の末、「せっかく映画学校に入るなら独学ではできないことをやりたい」と撮影コースへ。「当時、ムービーカメラは高価で、個人で買うのは難しかった。独学するのも難しいから、とりあえず撮影について学んでみよう」と決めたという。

その後、映画学校で同級生だった李相日監督(『悪人』『流浪の月』)と取り組んだ卒業制作作品『青~chong~』がぴあフィルムフェスティバル2000にてグランプリを含む4部門を独占受賞するという史上初の快挙を成し遂げる。

「李はあまり自信がなかったみたいで、最初はぴあにも出したくないと言っていたほどでした。でも、客観的に見ても(出来が良く)何かに引っかかると思ったので、締め切りギリギリに半ば無理やり応募させたんです。結果的に賞をもらうことができ、僕にとってもデビュー作となりました」

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日本のMeToo運動が一段落しつつあるような空気感を危惧

早坂が本格的にキャリアをスタートさせた当時、映画業界は暴力的な言動に対して寛容で、ハラスメントという概念自体もほとんど知られていなかった。撮影現場でも荒っぽい風景が珍しくなかったようだが、2000年頃に変化が訪れる。デジタル化の波が押し寄せ、デジタルスキルを持つ若手が重用されるようになったのだ。

フィルム時代には10年以上の下積みを経て一人前とされたが、デジタルシネマの時代になり、助手の経験を経ずともカメラマンとして認められるように。同時に、カメラの軽量化も進み、女性カメラマンの数も急激に増えていった。今までとは違う映画人が登場したことで、「デジタル技術に明るく若い感性を持つカメラマンが求められるようになり、ベテランの活躍の場が減っていった」と早坂。

時代とともに風向きが変わっていったこともあるが、近年ではハラスメントを防止するためのリスペクト・トレーニングを導入する現場も増えているため、職場環境の改善を感じるという。しかし、2022年に相次いで明らかとなった性加害問題はまったく解決していない。早坂がいま危惧しているのは、日本のMeToo運動が一段落して終わりつつあるような雰囲気になっていること。次回は、早坂が自身の立ち位置を決定づけた性暴力告発について迫っていく。(text:志村昌美

【3 性被害は報道よりもはるかに多い/「噂だから」と受け流した過去を反省】に続く(2023年4月30日掲載予定)

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