50、60代の同級生も!日本と真逆、経験豊富な年長者を大学は好む/ニューヨーク大学映画科で学ぶということ2
「社会経験が豊かな方が良い映画が作れる」という選考基準
マーティン・スコセッシ、ウディ・アレン、スパイク・リーらそうそうたる監督らを輩出したニューヨーク大学映画科。映画界での成功を夢見る人々が世界中から集まる名門学科だ。一説にはハーバードよりも難しいと言われるこの学科を卒業した中村真夕監督が、合格までの過酷な道のり、そして学校での学びについて綴ったエッセイの第2弾。
【ニューヨーク大学映画科で学ぶということ2】ニューヨーク大学大学院(NYU)の映画科で映画を学ぶことを夢に、ニューヨークに来た私。一度目に受験するも書類選考で落とされ、次の受験を目指して、テレビ番組制作会社で働きながら、二度目の挑戦をし、なんとか面接まで辿り着いた。NYUは世界中から映画監督を目指す人たちが受験する難関で、一学年35名のところに1000人以上が受験する。まず面接に選ばれるのは100名程度。日本と違い筆記試験などはないので、とにかくポートフォリオを作り、推薦状をもらいとアーティストとしての自分をどう見せるかが重要だ。
・いつか監督になって見返してやる、倍返しだ!/ニューヨーク大学映画科で学ぶということ1
インタビューでは、人としてどんな経験を積んでいるかをじっくり聞かれる。「なぜ監督になりたいのか?」「どんな映画を作りたいのか?」「これまでどんな社会経験で積んできたのか?」と徹底的に聞かれる。日本の会社の面接と違い、その組織に馴染むことより、個人として何をしたいのかが問われる。また新卒の若い子より、社会で他の仕事をしてきた社会人が好まれる。なぜなら「社会経験が豊かな方が、いい映画が作れる」というのが大学の考え方だからだ。
ロスの名門大学に合格するも、3度目の挑戦を選択
私は2次選考まで辿り着いたのに、そこで今回も落とされてしまった。しかしロスにある南カルフォルニア大学(USC)の大学院から合格通知が届いた。USCはジョージ・ルーカスやロバート・ゼメキス監督などを輩出したハリウッドの名門映画大学だ。私は迷った。もう1年、頑張ってまたニューヨーク大学を受験するか、それともロスに行くか?でもジム・ジャームッシュ監督やハル・ハートリー監督などニューヨークインディーズの作品が好きだった私は、どうしても自分がハリウッドで映画を学ぶことを想像できず、ニューヨークに止まって、もう一度、NYUを受験することにした。
1年後、3度目の正直を果たし、私はNYUに合格した。先生たちは多様で、学長のクリスティンは中国人女性、撮影を教えてくれるユリはウクライナ人、演出のボリスはロシア人、録音のロンはアフリカ系アメリカ人だった。3年生になるとスパイク・リー監督のクラスもあった。35名の先鋭のクラスメイトたちは、人種も年齢も異なる人たちだった。私みたいに大学を出て数年で来た22、23歳ぐらいの学生は数名で、多くは30代以上の社会経験の豊富な人たちだった。その中には弁護士、医者などもいて、一番年上のスーザンは、60代でニューヨークの有名なギャラリーのキュレターだった。中々、日本では60歳になってからセカンドキャリアを目指すという人は少ないが、アメリカでは50、60代になってから新しいキャリアに挑戦するという人は一定数いる。一緒に学ぶ20代の子たちも決して、「おばさん、おじさんだから」と馬鹿にしたりはしない。むしろ自分にはない色々な経験を積んだ人たちとして、若い子たちもリスペクトしている。1年目が一番ハードで、グループになってサイレント映画を一緒に作る。こうして20代から60代までのデコボコメンバーでの映画作りが始まったのだった。(text:中村真夕/映画監督 『親密な他人』『愛国者に気をつけろ!鈴木邦男』ほか)
・「ニューヨーク大学映画科で学ぶということ 3」(8月26日掲載予定)に続く
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