【週末シネマ】鬼才ポランスキーが79分・リアルタイムで描いた『おとなのけんか』

『おとなのけんか』
『おとなのけんか』

やぶれかぶれになった大人のけんか、それも弁の立つ大人同士の口げんかは何と凄まじいものか。“子供のけんかに親が出る”という典型の話だが、そんなうんざりするようなシチュエーションを、ロマン・ポランスキー監督がジョディ・フォスターら実力派のオスカー俳優をキャストに迎え、風刺の効いた傑作コメディとして完成させた。

ジョディ・フォスターとケイト・ウィンスレットがポランスキー監督作で共演!

子供同士のけんかで1人は怪我を負って被害者に、もう1人は加害者になった。そこで双方の両親が和解の話し合いの場を持つ。前歯2本を折られた息子を持つロングストリート夫妻が暮らすブルックリンのアパートに、暴れん坊の息子を持つカウアン夫妻が訪れる。

金物店経営のマイケル(ジョン・C・ライリー)とアフリカのダルフール紛争について執筆中のペネロペ(ジョディ・フォスター)というリベラルなロングストリート夫妻に対して、カウアン夫妻は辣腕(らつわん)弁護士のアラン(クリストフ・ヴァルツ)と投資ブローカーのナンシー(ケイト・ウィンスレット)というリッチなカップル。

ペネロペお手製のケーキとコーヒーが出され、和やかに話し合いは進むが、引っ切りなしに掛かってくるアランの携帯電話が話の腰を折り、双方とも相手のふとした一言がいちいち気に障る様子で、和解の席は徐々に不穏な空気に包まれていく……。

相手に伝わらない悪意ほど無意味なものはない。その点、全く反りが合わないこの2組の夫婦は実は似た者同士かも、と思わせるほど、的確に互いの痛いところを見つけ出しては、ちくちくとつつき合う。上辺は良識ある大人を装うが、心の片隅に「自分以外は全員馬鹿」という思いがある2人(ペネロペ、アラン)と、攻撃的な伴侶を抑える役目を担ってはいるが、忍耐力も限界に達しようとしている2人(マイケル、ナンシー)。

子育て、夫あるいは妻への不満、仕事、ペットの扱い、はては世界平和についてまで、とどこまでも広がる争点に応じて4人の関係は”昨日の友は今日の敵”といった具合に協調と敵対を繰り返し、変化し続ける。お澄ましな外面をかなぐり捨て、ぶちまけ合った後、彼らは息子たちの”こどものけんか”のようにケロッと仲直りできるのか? それとも2度と顔を合わせたくないと思うのだろうか。

何度挑戦してもあまり成功せず、コメディは不得手な印象が強いジョディ・フォスターも、今回は卓越した脚本と共演者に恵まれて、正論をふりかざす面白みのない優等生役で善戦、最年少のケイト・ウィンスレットは女優魂と度胸で、2組の夫婦が本性をさらけ出すきっかけ作りを熱演。ジョン・C・ライリーには、一見愚鈍な様子でいて決して馬鹿ではない庶民の男のリアリティがある。特筆すべきは、ちょっとした仕草から無神経で傲慢な”嫌なヤツ”オーラを放つクリストフ・ヴァルツの表現力だ。

オリジナルはトニー賞など数々の演劇賞に輝き、日本でも昨年「大人は、かく戦えり」の題で上演された舞台劇。撮影前、ポランスキー監督とキャスト4人は2週間に渡って、最初から最後まで通して演じる入念なリハーサルを重ねたという。そのうえで、予定調和に陥らない作劇が保たれているのだ。舞台と同じくリアルタイム仕様で、わずか79分の映画なのだが、1時間強でこれだけのことが起きるのか、と驚愕する。上映時間2時間超の作品が当たり前の昨今、この密度の高さは芸術だ。昨年の公開作になるが、映画を取り巻く現状の貧しさに警鐘を鳴らす『CUT』(アミール・ナデリ監督)の劇中で主人公は「映画は真に娯楽であり、芸術である」と訴えた。『おとなのけんか』はその言葉を形にした一作である。

『おとなのけんか』は2月18日よりTOHOシネマズシャンテほかにて全国順次公開される。(文:冨永由紀/映画ライター)

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