『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』ドン・チードル監督インタビュー

演技派スターが渾身の監督デビュー作について語った

#ドン・チードル

誰かがマイルスを演じるとしたら僕しかいない、と皆に言われた

ジャズ界の革命児とも呼ばれる異端の天才、マイルス・デイヴィス。その実像を、演技派俳優ドン・チードルが監督、主演を兼ねて描いた渾身作『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』が公開中だ。

創作活動を休止した“空白の5年間”に何があったのか? 史実とフィクションを織り交ぜ、カリスマの横顔に迫る刺激的な本作についてチードルに聞いた。

──本作はあなたの初監督作になりますが、なぜこの映画を作ろうと思ったのですか?

『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』
2016年12月23日より全国順次公開中

チードル:僕は10歳の頃からマイルス・デイヴィスの音楽に浸っていた。彼にはいろいろな面があるけれど、特に言えるのは、クリエイティブなエネルギーとパワーの強力なシンボルであり、自分のコンフォートゾーンから足を踏み出すことを決して恐れず、一所に留まっていることを嫌う人だったということだね
 マイルスと親しかった人たちから単純に彼についての映画を見たいと思っている人たちまで、さまざまな人からアプローチされたよ。誰かがマイルスを演じるとしたら僕しかいない、と皆に言われてね。でも僕は、これまでに何度か出演したスタンダードな伝記映画と同じようなものを作る気はまったくなかった。作為や嘘が多いと感じてきたからね。いわゆる“実話に基づく”ってやつさ。
 マイルスがロックンロール殿堂入りして間もなく、彼の家族から話があったんだ。いくつか違った視点から見たものを提案されたんだけど、どれもピンとこなかった。どの案も、マイルスの計り知れないほどの創造性とダイナミズムを十分にとらえようとしていないと感じてね。だから、今後も連絡は取り続けようと言って、握手をして別れたんだ。その後、いろいろと考えているうちに、ありのままのマイルス、つまり意欲満々で前に向かって勢いよく進む一方で、気まぐれで危険という本物のO.G.、オリジナルギャングスタ的なところもあったマイルスを描く映画はどうだろうと思った。でも自分で脚本を書かない限り、そんな映画は絶対に生まれないだろうということに気づいて、マイルスの家族にそれでもいいか、と聞いたら、「最高だ。やってくれ」と言ってくれたんだ。

──驚くことにマイルス・デイヴィスの映画はこれまで1本も作られていません。ドラマティックな人生を生きたカリスマなのに、なぜでしょうか?

チードル:ジャズが片隅に追いやられてしまって、今の観客にあまり関心をもたれなくなったことが大きな理由だね。今でもマイルスの名前はよく知られているし、アルバム「カインド・オブ・ブルー」は年間5万枚以上売れ続けている。でも僕が質問してみた人たちの大半は、彼がジャズ・ミュージシャンだったことは知っていても、彼がトランペット奏者であることは知らなかったし、ディジー・ガレスピーと混同している人もたくさんいたよ。「ああ、ほっぺをめいっぱいふくらませてた人ね」ってね。
 また、マイルスの音楽は、昔ヒットしたロックのように、すぐに、ああ、あの曲だとわかるようなものじゃないからね。自分で歌えるような曲ではないし、3分で終わる曲でもない。ラジオから流れてこない限りは、普通は聴かないものだ。
 映画スタジオは、そういう視点で見て、時代物、黒人、ジャズ、ニッチもの、売りにくい、海外市場にアピールしない、と判断してしまうんだ。

音楽を失うというのは、マイルスにとって死に等しいものだった
撮影中のドン・チードル監督(右)

──本作ではマイルスの人生の重要な時期に焦点をあて、その上で、それよりも前の時代に光をあて、それよりも先の時代を示唆していますね。このような斬新な構成にした理由は?

チードル:このプロジェクトは、動き出しては中断する、の繰り返しだった。契約の準備を進め、脚本家と打ち合わせをしていたら、経済が崩壊して契約がふいになった。もっと実績のある監督ならば、プロジェクトが先に進むんじゃないかと、他の監督にプロジェクトごと渡そうとしたこともあったけど、なぜかいつも、ふりだしに戻ってしまっていたんだ。
 その後、脚本家のスティーヴン・ベーグルマンとの出会いがあった。彼とは、ゆりかごから墓場までをカバーする伝記映画にはしたくないということで意見が一致した。端折るところがあまりにもたくさん出て来るし、観客もなにか誤魔化されたような気分になるだろうからね。僕がイメージしたのは、『オール・ザット・ジャズ』のボブ・フォッシーのように、マイルスが彼自身の映画のスターになるような映画だった。また、常に前に進んでいるような、エネルギーにあふれたストーリーの映画にしたいと思ったんだ。
 それはなぜかというと、マイルスがそういう男だったからだよ。彼は決して後ろを振り返らず、常に前を向いていた。革新的で、たくさんの作品を生み出し、常に作品のスタイルが変わっていた。それなのに、1970年代後半の5年間は、追い詰められ、麻薬にはまり、不満を抱えていた。その危機的な時期が、映画の入口としてすごくいいものになるんじゃないかと思ったんだ。ジャズについて何も知らない人でも、そういうジレンマは理解できるだろ。多くの作品を生み出してきたアーティストが、5年間も創作活動をストップしてしまったのは、いったいどういうことだったんだろうか。
 スティーヴと僕は、マイルスの音楽と同じようなモード構造の作品にしようと決めた。だからマイルスのレコーディングと同じくらい、作曲だと言ってもいいくらいなんだ。ゆるくて印象派的で、隠喩的でもある。彼と(妻となる)フランシス・デイヴィス(エマヤツィ・コーリナルディ)との関係に焦点をあてた箇所は、メインストーリー、つまりマイルスがスランプと腰痛に悩まされ、痛みを和らげるためにドラッグを使っていた1979年の出来事に対するコメントになっているんだ。フランシスは彼のミューズ、つまり彼が取り戻そうとしている音楽的な声を象徴している。“現在”のシーンで彼がなくしたオーディオテープもまた、彼と音楽との失われた関係性を象徴しているんだ。マイルスが出会う若いトランペット奏者ジュニア(キース・スタンフィールド)のキャラクターですら、マイルスと彼の過去との複雑な関係を反映しているんだよ。若い頃のマイルスを、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーは“ジュニア”と呼んでいたんだ。マイルス自身はそのニックネームを嫌っていたんだけどね。

──常に進化していくマイルスのジャズ・スタイルは、演出にどのような影響を及ぼしましたか。

チードル:僕にとって大きなモチベーターになったのは、マイルスのキャリア上のどの時期のものであろうと、使いたい曲をすべて使えるような方法を作り上げることだった。そうすることで、彼の心の中の葛藤を表面化できると考えたんだ。マイルスの生涯のあらゆる時代、あらゆるスタイルの音楽を使ったよ。そしてそれぞれの曲に合わせてシーンを書き、撮影したんだ。限られた時期の曲しか使わないことで、自分を縛るようなことはしなかった。マイルスは生涯を通じて、サウンドトラックを書き続けたからね。彼の曲は、それぞれが作られた時代を反映していたけれど、時代の先をゆくものも多かった。彼はジャズという言葉も嫌っていたしね。“ソーシャル・ミュージック”という言葉を好んで使っていたよ。
 バックに流れている「ネフェルティティ」のように、同じ時期の曲を使ったこともあった。そのシーンでは、シーンの中でレコードが鳴っているから、その音がずっと流れているんだ。口論の内容を具体的に聞かせるよりも、その方がはるかに悲痛で胸を打たれるよ。
“現在”のボクシングシーンでは、東京とブーツレグセッション(共に1960年代)での「ソー・ホワット」(アルバム「カインド・オブ・ブルー」に収録)を使った。あのシークエンスにふさわしい曲だったからね。映画の構造のおかげで、時代順に“ベストヒット”を並べたサウンドトラックではなく、ロックやファンクやエレクトロなどいろいろなスタイルの曲を使うことができたんだ。

──デイヴィスは何度か結婚していますが、ダンサーのフランシス・テイラーと過ごした年月を探究することにしたのはなぜですか。

チードル:フランシスは、僕が「ソー・ホワット」時代と呼んでいる時期にマイルスと一緒にいたからだよ。フランシスとの結婚生活が崩壊したときに、彼女との関係も、彼のトラディショナルで象徴的なジャズも終わった。出来る限り発展させてきた、そのスタイルの音楽を、彼はそれ以降は一切演奏しなかったんだ。
 また、フランシスは彼の人生に重要な影響を与えた女性だ。彼にとっては、ロマンス、そして人とのつながりを得た時期だった。その後、彼が彼女を押さえつけようとしたため、彼女は出て行ってしまった。彼女と出会い、彼女を失ったことは、彼が音楽的表現を喪失したことの象徴になっている。音楽を失うというのは、マイルスにとって死に等しいものだった。自分がしてしまったことをようやく認めたことで、彼はスランプを抜け出し、再び成長し、前に進めるようになったんだ。

──この映画は、偉大なアーティストの多くがそうであったように、マイルスの天才性も狂気と紙一重だった、と示唆しているようですが。
『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』
2016年12月23日より全国順次公開中

チードル:その通りだよ。彼は音楽を遮断することができなかった。頭の中で常に音楽が鳴っていたんだ。それを示しているのが、彼とフランシスがセックスをした後の場面だ。フランシスのダンスを見ていた彼が、突然姿を消す。彼女が階下に降りると、マイルスがたった今彼女から得たインスピレーションをもとにトランペットを吹いているんだ。彼は頭の中でずっと作曲していたんだよ。
 また、マイルスはじっとしていられない性質で、常に何かしていないと気が済まなかった。音楽でなければ、ボクシングか、コカインか料理か。落ち着いてなにかやるということができなくて、いつも動き回っていた。服を着替えてみたり、絵を描いてみたり、ピアノを触ってみたり。いつも気分が高ぶっている状態だった。音楽の演奏は彼にとって、はけ口だったんだ。音楽をやめたとき、そのエネルギーが彼自身に向かってしまい、それが破壊的な形をとることもあったんだ。
 マイルスはとことん気まぐれな人間だった。今の時代なら、躁うつ病と診断されるんじゃないかな。怒って誰かを殴ったかと思うと、次の瞬間には同じ相手に酒をついで、何事もなかったかのように隣に座って話しかけるんだ。

──マイルス・デイヴィスのパフォーマンスに合わせて、まるでプロ奏者のようにトランペットを吹いていますが、正しい息継ぎやトランペットの操作を習得するのは大変でしたか。

チードル:僕は5年生のときにアルトサックスをやっていたことがあって、その頃にチャーリー・パーカーのような人たちの演奏方法を研究していたんだ。当時は、78回転のレコードを33回転にスローダウンさせることは簡単だったからね。この映画のためにトランペットを習うと決めてからは毎日練習した。今も吹いているよ。完全にトランペット・オタクになってしまったんだ。上手に吹く中学3年生くらいのレベルにはなったと思うよ。
 トランペットとサックスはまるで違う楽器なんだ。僕としては、サックスよりもトランペットの方が理に適っている気がする。オクターブやアルペジオがよく理解できるんだ。もしかしたら、それは18歳ではなく、48歳という年齢のおかげかもしれないけどね。
 マイルスの映画やビデオを見たし、この映画で描かれている時期の少しあとの1980年代初めには、彼の演奏を生で見たこともあった。また、今回は友人のウィントン・マルサリスにも世話になった。彼は「マイルスの素晴らしいソロ演奏は全部わかっているから、知りたいことがあったら何でも聞いてくれ」と言ってくれたんだ。彼にはすごく助けてもらったよ。僕が最初に使ったトランペットも彼が送ってきてくれたものだったんだ。
 演奏シーンで出てくる曲のソロは全部覚えたし、バックバンドのメンバーもみんな、「マイルス・アヘッド」の演奏を覚えたよ。曲をちゃんと理解するためには、どう演奏するのか学ぶ必要があると思ったんだ。映画の中では僕とバンドが実際に演奏しているよ。聞こえるサウンドは僕らが出している音ではないけどね<<

──マイルスというキャラクターとの同化ぶりがあまりに見事なので、本当にマイルス自身としてこの映画を監督されたんじゃないかと思ってしまいました。

チードル:そうなんだ。できるだけ長くマイルスになりきるようにしていた。指示を徹底するために、自分自身に戻ることもあったけれどね。仕切りやのマイルスは周りの人たちから“チーフ”と呼ばれていたから、演出をするときは、彼のそういう面にコネクトした。マイルスがどういう人間だったかを表現するのであれば、彼だったらこうしただろうという方法でやらなければならないと思ったんだ。

ドン・チードル
ドン・チードル
Don Cheadle

1964年11月29日生まれ、アメリカのミズーリ州出身。カリフォルニア芸術大学で学び、俳優の道へ。『ホテル・ルワンダ』(04年)でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。『クラッシュ』(05年)のような秀作から、『オーシャンズ11』(01年)、『オーシャンズ12』(04年)、『オーシャンズ13』(07年)、『アイアンマン2』(10年)、『アイアンマン3』(13年)、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(16年)など話題作、ヒット作まで多彩な作品に多数出演。