『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』ジム・ニューマン(製作)インタビュー

“宇宙音楽王”サン・ラーの革新的SF映画、半世紀を経て日本初公開

#サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス#ジム・ニューマン

サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス

時代を先取りした映画に、当時の観客の賛否は真っ二つだった

『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』
2021年3月5日より順次公開

太陽神の姿で土星からの使者として出現した“宇宙音楽王”サン・ラーが脚本・音楽・主演を務めた『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』が3月5日より公開となる。

物語の舞台は、1970年代のカリフォルニア。サン・ラーは音楽を燃料に大宇宙を航行するうち、米国にいる黒人のブラザーたちの移住先として理想的な惑星を発見。地球に戻って「宇宙雇用機関」を開設し、ジャズのソウル・パワーによる銀河間移動を駆使して使命を果たそうと計画を立てるが、アメリカ航空宇宙局(NASA)がその技術を盗もうとする……。

本作は1974年に制作された、ミュージカル、SFオペラ、社会評論とジャンルを横断した革新的なSF作品。半世紀の時を経て日本初公開されるに当たり、製作のジム・ニューマンに当時のお話をうかがった。

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──この映画を作ることになったきっかけを教えてください。

ニューマン:友人であるウェス・ロビンソンがサンフランシスコのベイ・エリアでアーケストラ(サン・ラーが率いた音楽集団)のライヴをブッキングし、彼からアーケストラがサンフランシスコ・アート・インスティテュートで演奏することを聞いた。1970年のことだ。それがものすごく印象に残るライヴだったので、サン・ラーと何かしら映画で関わろうと心に決めたんだ。

サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス

──ジョン・コニー監督を本作に起用した経緯は?

ニューマン:監督のジョン・コニーとは公共ラジオKQEDで仕事をしたことがあった。私が10年以上も主催してきたアート・ギャラリーシリーズの「DILEXI」からその名をとったアートのTV放送番組だ。ウェスが後日サン・ラーとのミーティングを手配してくれて、映画を作ろうということになった。

──サン・ラーはどんな人物でしたか?

ニューマン:サン・ラーはとても面白く、非常に好感のもてる人物。ミスター・ラー、ミスター・リー、ミステリー、ミステリアス。彼はあらゆるもの、あらゆる人と自発的に結びつきを得ることのできる天才だった。

──サン・ラーとのエピソードはあれば教えてください。

ニューマン:映画本編のいくつかのシーンは私の自宅で撮った。サン・ラーが自宅に来た際、ペットのコーギー犬が必ずラーに吠えていた。それは動揺したり怒って吠えていたというよりも畏怖の念を抱いていたようだった。そしてラーはいつも謎めいた笑みを浮かべていたよ。

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──1974年当時、本作がアメリカで公開された時の観客の反応と、半世紀を経て日本初公開を迎えるお気持ちは?

ニューマン:1974年初公開時の観客の反応は賛否両論、真っ二つだった。作品を愛してくれる者もいれば、憎む者もいた。時代を先取りしていたのだろう。だがこうして約半世紀を経て日本で初めて公開されるということは素晴らしい。私も日本に行きたかった。

サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス

──観客へのメッセージをお願いします。

ニューマン:音楽を聴け。ラーの言葉を聞け。登場する若者たちの言葉に耳を傾けるのだ。

ジム・ニューマン
ジム・ニューマン
Jim Newman

1933年アメリカ、ネブラスカ州オマハ生まれ。サックス奏者として訓練を受け、スタンフォード大学とオーバーリン大学に通い、55年に音楽の学士号を取得。在学中ジャズクラブを始め、ミュージシャン活動に加えて、ジャズ・プレゼンターとして多くのアーティストを紹介するコンサートを主催した。58年にロバート・アレクサンダーとDILEXI GALLERYを共同設立、70年に閉鎖されるまでその運営を指揮。92年、サンフランシスコを拠点とする新しい音楽祭組織Other Mindsを共同設立し、2004年まで代表を務めた。現在はプライベートのアッパー・アシュベリー・シネマクラブの映画シリーズをキュレーションしている。映画およびTVのプロデューサーとしては、KQED-TVと協力して、テリー・ライリー、フランク・ザッパなどのアーティストによる12のオリジナルTV番組シリーズ「DILEXI SERIES」を製作。1971年から1974年にかけて、2つの長編映画、Phil Makannaの『Shoot the Whale』と『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』を製作した。