樹木希林、実は不動産王だった! 妥協しない役者人生を支えたのは…

#樹木希林

2015年春に主演作『あん』のインタビューに応じてくれた樹木希林さん
2015年春に主演作『あん』のインタビューに応じてくれた樹木希林さん

自宅で見せた優しさ

9月15日に樹木希林さんが亡くなった。2005年に乳がんの手術を受け、2013年に日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した際、スピーチで「全身がん」であることを公表したが、その後も女優として活躍を続け、今年5月には出演作『万引き家族』がカンヌ国際映画祭で上映され、本人も渡仏。映画は最高賞パルムドールを受賞した。

来た仕事はほとんど断る/樹木希林インタビュー

樹木さんには2度お目にかかったことがある。1度目は10年ほど前、ある映画の撮影現場取材だった。若い共演者たちをリードし、歯に衣着せぬ発言で監督と意見を戦わせる姿が印象的だった。2度目は2015年、河瀬直美監督の『あん』に主演した際のインタビューだ。がんの治療を終えた後だったが、「治ってるかどうか、わからないの。でもね、それを追いかけていったら、くたびれちゃうから追いかけない」と語った。

他のキャストや記者がいた現場とは違い、私たちを自宅に招いて一対一で話したその時に受けた印象は、数年前に初めて樹木さんに接した時と大きく違うものだった。最も強く感じたのは目の前にいる相手が誰であろうと、しっかり向き合う誠実さ、そして優しさだ。代表作の1つと言ってもいいCMの惹句に寄せるならば、強い相手にはより強く、弱い相手にはそれなりに、という感じだろうか。こちらが聞き上手でもなく押しの弱い人間ならば、威圧せず、変に甘やかしもせず、そのまま相手に寄り添う。弱いものいじめをしない、誰かの弱さを否定しない、本物の強さを感じた。

出演作の素晴らしさを伝え、本人もその出来に満足している作品ならば「そうですよね」と同意する。その一方で彼女の演技を賞賛すると、「それは監督の腕です。編集の腕です」と応える。確固たる自分の意見を持った人であり、同時に、多くの人が力を合わせる映画作りの一員=俳優である意識を忘れない人だ。(下に続く)

夫・内田裕也の言葉に反論

不動産王の異名もあり、本人も「『72になって仕事があるのは幸せなことだ』と内田裕也に言われたんですけど、私はそういうとき『別になくたって、私は家賃収入でやれるもん』って偉そうに言うんです」と笑っていた。妥協しないための土台をしっかり作る堅実さと独立心、勇気の持ち主だ。

その生き方が、語る言葉が、他の誰にも真似のできないものだから、人間・樹木希林に人々は惹かれるのだが、それゆえに本人が語った「役者なんて、作品に出たらそれを見る人もいる、見ない人もいるけど、私自身はもう作品の中での私でいたいわけなんです。“実はうちはね”なんて、そういう話は本当はしたくないんだけど、せざるを得ないことになっちゃう」という言葉が心に残る。

「生きるということも、死ぬことも面白がって、それもそれっていうふうにいると、案外気楽ね」と自身の境地を語っていた。「私は60になって目が見えなくなったり(2003年に網膜剥離で左目を失明)、肺炎起こしたり、がんになったり、っていろんなものが、こう重なってくるとああ、そういうもんだなって。だから、元気でぱたっと死ぬ、っていうのは、ちょっとかわいそうな気がする」と若くて健康な人間が突然死するのは気の毒だと語り、「だんだんだんだん弱くなって、いろいろ不自由になって、あれもできなくなる、これもできなくなる。そのうちにだんだんあきらめがついてくるのね、自分の生というものに。そうすると、そんなに。楽よ、あきらめてくる」

不細工だったからこそ得をした

仕事についても「女優というのは名ばかり」という。「もともと美形の人がやることになっているのに、不細工というところでいたからね。逆に競うっていうことが全然なかったの。役を競うとか、あの役がぜひ欲しいとか。もし私がある種の美形だったらば、ちょっと道は違っていたと思う。これは私、得したなと思うの。だから、ものは考えようね」

マネージャーも、スタイリストやヘアメイクもつけず、全て1人で女優・樹木希林を作っていた。「そういう人がいた方が綺麗になるのかもしれないけど」と言いつつ、「それをすることによって削げていっちゃうもののほうが多いから」と語った。その自然体の魅力に、70歳を過ぎてから化粧品メーカーからCM出演依頼が来たという。「電話をして、『私72で、悪いけど、こういうものに出られないっていう自覚はありますよ』と言ったの。何かを顔に塗って綺麗になります、という広告は出られませんって。だって年相応に老けていくのを目指している役者にライトを当てて、何かをつけて『若くなりました』なんて変でしょう? 直接そう言ったら、電話口で向こうもこっちも笑って終わりました」

愛情深く、でも余計なものは持たず、最期は自宅で、愛し愛された家族に看取られた樹木さん。「畳の上で死ねたら上出来」という言葉を生前に遺したが、その通りの美しく上出来の75年の生涯を全うされたと思う。心からご冥福をお祈りいたします。

(文:冨永由紀/映画ライター)

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。

INTERVIEW