殺伐とする社会に優しさを。ロジャー・ミッシェル監督が遺した『ゴヤの名画と優しい泥棒』

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ゴヤの名画と優しい泥棒
『ゴヤの名画と優しい泥棒』
(C) PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020

65歳で急逝した『ノッティングヒルの恋人』の監督による長編遺作

【週末シネマ】1961年、ロンドンのナショナル・ギャラリーからスペイン最大の画家、ゴヤによる「ウェリントン公爵の肖像」が盗まれた。19世紀に描かれた名画を「誘拐した」と自ら名乗り出た犯人は60歳の年金生活者。驚くことにこれは実際に起きた事件だという。

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イギリス北部のニューカッスルで長年連れ添った妻・ドロシーと息子と3人暮らしのケンプトン・バントンはタクシー運転手で、今は年金暮らし。妻が中流家庭の掃除をして働く間、自宅で戯曲を書いている。同時に彼は社会に増え始めていた高齢者の孤独な生活に胸を痛めてもいた。彼らの孤独を救う解決策はテレビだと考え、高齢者が公共放送のBBCを無料で受信できるよう活動し、自身も受信料支払い拒否で刑務所に入ったこともある。そんなケンプトンが思いついたのが、名画を人質に高齢者の公共放送BBCの受信料を無料にせよ、と訴えるという大胆な作戦だ。

ケンプトンはロンドンに向かい、名画を手に入れると、警察へ「絵画を返して欲しければ、年金受給者のBBCテレビの受信料を無料にせよ!」と脅迫状を送る。もう若くもない彼がどうやって絵を手に入れたか、どう隠したか。あり得ないような事件はどのように起きたのかは作品を見て確かめていただきたい。この作品はなんといっても、ケンプトン・バントンという人物の心意気についての物語なのだ。

ゴヤの名画と優しい泥棒

60年以上前のイギリスの格差社会も、閉塞感が増す現代も、一般市民は今も同じ問題に苦しめられている。そんな中、弱きを助けたい一心で行動を起こすケンプトンの優しさは、ロビン・フッドや日本のねずみ小僧のような義賊を思わせる。1960年代と現代の大きな差は、物事をどう捉えるかという時代の空気かもしれない。昔はのどかでよかった、の一言では済ませられないが、犯罪は犯罪として裁きつつ、その背景を汲み取る姿勢、人が人を信じられる世界の温かさに心が洗われる。

ジム・ブロードベント×ヘレン・ミレンが紡ぐ家族の物語

頑固で信念を曲げないケンプトンを演じるのは『アイリス』(01年)でアカデミー助演男優賞を受賞し、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(11年)や『パディントン』シリーズ(14年、17年)、『キング・オブ・シーヴズ』(20年)などのジム・ブロードベント。夫のしでかした一大事を知らされないまま、実質的な稼ぎ手として一家を支えるドロシーを演じるのは『クィーン』(06年)でアカデミー賞主演女優賞に輝き、最近は『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』(21年)に出演するなどジャンルを問わずに活躍する名女優、ヘレン・ミレン。向こうみずな父親をハラハラしながら見守る次男ジャッキーを『ダンケルク』(17年)で主人公の1人を演じたフィオン・ホワイトヘッドが演じる。3人が織りなす、ある悲しみを抱えた家族の物語も心に残る。

ゴヤの名画と優しい泥棒

監督は『ノッティングヒルの恋人』で知られるロジャー・ミッシェル。昨年9月に65歳で急逝した監督は、先日在位70周年を迎えた英国のエリザベス2世のドキュメンタリー『エリザベス 女王陛下の微笑み』の公開を6月に控えているが、本作が劇映画としての遺作になる。殺伐とする一方の社会で絶対に忘れてはいけない大切なもの=「優しさ」を思い出させてくれた監督の冥福を祈りたい。(文:冨永由紀/映画ライター)

『ゴヤの名画と優しい泥棒』は、2022年2月25日より全国公開。