重いテーマを豪華キャストの技量と安心感で描き出した『時には懺悔を』
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(C)2026 映画「時には懺悔を」製作委員会
西島秀俊、満島ひかり、黒木華、宮藤官九郎らが共演
【週末シネマ】スクリーンを観ていて妙に引っかかったのは、物語ではなく会話だった。話す内容ではなく、言葉遣い。まるで外国映画の日本語字幕を、そのままセリフにして喋っているようなときがある。簡潔で意味が明瞭で、妙に決まっている。ハリウッド映画をよく観る人なら、どこかで覚えのある言い回しだ。
・中島哲也監督が18年越しに映画化『時には懺悔を』新予告 無垢な笑顔が希望を照らす感動ミステリー
映画なのだから、現実の会話と同じである必要はない。それにしても、こんな“映画みたい”な会話劇はめずらしいのではないか。 実社会で人間は言葉が足りなかったり多すぎたり、自分でも何を言いたいのか分からないまま喋ることもある。ところが、この映画に出てくる人々は物語が進むように、観客に伝わるように実に手際よく話す。
おそらく筆者一人が覚える違和感なのだが、「これは映画ですよ」と念を押すようなセリフの数々は本作の性格を表しているように思える。それはキャスティングにも通じる。西島秀俊、満島ひかり、黒木華、宮藤官九郎、柴咲コウ、佐藤二朗、そして役所広司。ほかにも隅から隅まで著名俳優で固められたキャスティングは豪華で、それぞれの演技を堪能できるのだが、ここまで顔の知られた俳優が揃うと、観客にある種の安心感を与える効果もあるのではないか。

様式美から妙にはみ出す宮藤官九郎の風情がよい
本作は、ある探偵の死をきっかけに、9年前に起きた新生児誘拐事件の真相と、その後を生きる人々の姿があぶり出されていく物語だ。
障がい。罪。家族。喪失。生きること。自分が直面すれば簡単に目を背けられないものを、スター俳優たちが演じる物語として、少し安全な距離から眺めることができる。それ自体は重いテーマをエンターテインメントとして成立させるための技法でもある。
男女を問わず、キャストにはどこか共通した様式美のようなものがある。それぞれが映画のキャラクターらしく、少し現実から浮いているが、そこから妙にはみ出すのが宮藤官九郎だ。彼が演じる明野がとった初期の行動から思い出すのは、コーエン兄弟の『赤ちゃん泥棒』と同作のニコラス・ケイジ。厳密には引用でもパロディでもないが、明野というキャラクターが抱えるおかしみとペーソスは絶品で、粗雑と愛情深さが絡み合う宮藤の風情が、本作の世界に少し違う体温を持ち込んでいるように感じた。

満足感まで含めてよくできたエンターテインメント
そして、様式美の外側にいるのが、9年前に明野によって誘拐された少年・新だ。 重度の障がいがあり、身体を自在に動かすことも言葉を話すこともできない彼は物語のキーパーソンだが、映画は必要以上の説明はしない。彼の表情を捉えて、その心情を推量したり代弁はせず、余計な感動を誘う分かりやすい解釈は足していない。新について、あくまで明野や生みの親の視点で語るのは、むしろ誠実な選択だ。
言葉を持たない新の力強い存在を目の当たりにすると、最初に感じた“映画みたいな会話”という違和感が、別の意味を持ってくる。
映画の中心にあるのは、新をめぐって周囲の人々が何を思い、何を悔い、どう変わっていくかという物語だ。 豪華な俳優たちが並び、映像はスタイリッシュで、台詞はよく整理され、次々と提示される重いテーマを前に置かれた俳優たちは美しく苦しむ。観客はその技量に導かれて、人間の苦悩と向き合って「考えさせられる映画だった」という満足感とともに劇場を後にする。映画を観て何かを考えること自体は、映画の大きな楽しみの一つであり、その満足感まで含めて、本作は非常によくできたエンターテインメントだと思う。
タイトルは含蓄のある響きだ。登場人物たちは自分の罪や過去と向き合い、苦しみ、懺悔する。それを見つめる観客もまた、何かを考えたような気持ちになる。『時には懺悔を』とは、登場人物たちと観客が共有する感覚なのかもしれない。(文:冨永由紀/映画ライター)
『時には懺悔を』は、2026年8月28日より全国公開中。
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