忖度はゼロ! 史上最も秘密主義な政治家のヤバすぎ悪行を描く社会風刺劇

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『バイス』
『バイス』

【週末シネマ】『バイス』
トップを意のままに操る陰の権力者ぶりが恐ろしい

ディック・チェイニーのことは、アメリカ在住なら大抵の大人は覚えているだろう。だが、2000年代前半のことを知らない世代や忘れてしまった人々、そしてアメリカ以外の国に住む人々に、彼がどんな人物だったかを端的に伝えるのが、本作で描かれる9.11の同時多発テロ発生時の様子だ。当時彼はジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領だった。

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ニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が衝突した時、彼がどう反応したのかは映画を見て確かめてもらうとして、まず注目したいのはタイトルでもある“バイス=VICE”だ。副大統領の「副」の意であると同時に、「悪徳、不品行」などを表す言葉でもある。この映画は、チェイニーがこの2つを兼ね備えた存在として描いている。

大学をドロップアウトし、うだつの上がらない青年がいかにして政界入り、そこで目の当たりにした権力に魅入られ、別人のように開花していく。大きく影響を与えたのは、才色兼備ながら60〜70年代という時代背景もあって夫に夢を託してサポートする道を選んだ妻、そして共和党会員議員で後にジョージ・W・ブッシュ政権の国防長官を務めたドナルド・ラムズフェルドだ。パッとしなかった青年が強烈なキャラクターと出会って変貌していく様をきめ細かく演じるクリスチャン・ベールが見事だ。体重の大幅増量とオスカー受賞のヘアメイクによる作り込みが話題だが、完ぺきな外形に入っている“魂のなりきりぶり”が見事だ。思えば、少年時代の主演作『太陽の帝国』も無邪気な少年が波乱に揉まれて変わっていく物語だった。もちろん方向性はどれも全く異なるが、あり得ないような人生の旅を信じさせる説得力がベールにはある。

ジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防長官を務めた後、政界を退いて石油会社ハリバートンのCEOに収まったチェイニーは旧知の仲であるブッシュ息子に請われて、副大統領になる。閑職のはずなのに、その目立たなさを逆手にとり、大統領を意のままに操る“影の大統領”ぶりは空恐ろしい。ブッシュを演じたサム・ロックウェル、妻のリンを演じたエイミー・アダムスも、ベールと共にアカデミー賞にノミネートされた。

作品賞、監督賞、脚本賞で候補になったアダム・マッケイ監督は人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』で時事問題をネタにしたコメディ・スケッチの脚本を務めた人物。ベール主演の『マネー・ショート 華麗なる大逆転』で第88回アカデミー脚色賞を受賞している。秘密主義のチェイニーを題材にしたことについて、映画の冒頭で「これは実話です。というかディック・チェイニーは歴史上最も秘密主義なリーダーの1人なので、できる限り真実に近づけるようにしました。とにかく俺たちはベストを尽くした」と宣言している。その言葉通り、かつてニュースで毎日のように見ていたチェイニーの、カメラの前に映っていなかった裏側を見ているような気持ちにさせられる。

そしてこの忖度ゼロの社会派風刺劇が誰の視点で語られているのか。そのキーワードとなる英単語は何かと考えてみると、この物語がまた面白くなってくるのだ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『バイス』は4月5日より全国公開中。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。