女優も人気漫才師も本気で殴る! 金子正次が命を懸けた遺作が男の心を震わせる

#映画レビュー

(…前編「満席の初日に歓喜〜」より続く)

【男達の遠吠え】『竜二』後編
「ここの窓からは何も見えねえなぁ」

監督が途中降板…
疑心暗鬼の現場を本気の思いが変えていった

1983年公開の金子正次主演作『竜二』で、多くの人の心を打った名セリフがこれである。平和な家庭生活を送るためにヤクザから足を洗い、カタギの暮らしに身を投じた竜二。酒屋という慣れない仕事に就きながらも、平穏な暮らしで自分としても納得している……つもりだ。少ない給料ながらも健気にやりくりする妻は「私も娘もそれで幸福なの」。しかしどこか満たされない思いを抱える竜二は、アパートの窓から外を見ながら「ここの窓からは何も見えねえなぁ」とつぶやく。

今では伝説の作品として語り継がれている『竜二』だが、決して順風満帆に作られた作品というわけではなかった。あまりのクオリティーの低さに撮影途中に監督が降板。プロデューサーが監督を務める事態に。本当に出来上がるのか、という現場の疑心暗鬼。スタッフからの不平不満──。このあたりのいきさつは、生江有二のノンフィクション本「ちりめん三尺ぱらりと散って-俳優金子正次33歳の光芒-」(文藝春秋社)、もしくは高橋克典主演の映画『竜二 forever』などに詳しい。

「ちりめん三尺ぱらりと散って」の中では、こんなエピソードが紹介されている。直役の佐藤金造(現・桜金造)は当時、売れっ子の漫才師。そんな彼に安いギャラで俳優オファーを出す金子たちに「面白いじゃないの! 早く撮ってさっさと終わらせちゃおう」と安請け合い。そんなシャレの気分で現場に飛び込んだのが運の尽き。フィルムを節約するために何回も繰り返されるテスト。金子は妻役の女優・永島暎子を本気で殴りつけ、永島もそれをよしとしている様子。そしてその本気は金造にもぶつけられた。「これテストなんだからね」とボヤくも、金子は力強く殴りかかる。

ある日、金造はスタッフのひとりに「こんな現場よくいるね。一緒にやめちゃおうよ」と軽口をたたいたというが、その答えは「金子さんが金を持ってきて頭を下げた以上、おれは最後までつきあうよ」――。金子の本気の思いは、周囲に伝播し、現場の熱をどんどんと上げていった。自分の映画を作ることに情熱を傾け、『竜二』という作品を置き土産にこの世を去った金子正次。33年という太く短い生涯だった。(敬称略)(文:壬生智裕/映画ライター)

壬生智裕(みぶ・ともひろ)
福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、特に国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても映画祭パンフレットなどの書籍も手掛ける。