テレビ局と映画製作の歴史(その1)/映画製作に最も熱心だったのはフジテレビ!

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フジテレビの絶頂期を飾った『踊る大捜査線』シリーズ
フジテレビの絶頂期を飾った『踊る大捜査線』シリーズ

『踊る大捜査線』『海猿』シリーズなど、テレビ局が制作したヒット映画は数多い。そんなテレビ局と映画製作の歴史2回に分けて解説します。

『海猿』原作者の佐藤秀峰氏がフジテレビと和解も、報じ方には「理解に苦しみます」と苦言

テレビ局で映画製作に最も歴史が長く、熱心なのがフジテレビだ。1969年『御用金』で最初に映画製作に乗り出した(監督はフジテレビの社員ディレクター、五社英雄)。同じ69年に『人斬り』、71年に『暁の挑戦』が作られたが、興行成績が振るわず、81年『幸福』まで作られることはなかった。

「フジテレビ=映画」のイメージを決定づけたのが83年『南極物語』だ。フジテレビの番組に俳優や犬が次々と出演、バラエティ番組で連日取り上げるなど大々的なキャンペーンが行われ、映画公開を一大イベント化。現在テレビ局が製作した映画は自局を挙げて一大プロモーションを繰り広げるが、その走りといえる。『南極物語』は配給収入59億円を上げ、邦画の歴代1位を記録する大ヒットとなった。

その後もフジテレビは『子猫物語』(86年)、『優駿』(88年)、『タスマニア物語』(90年)といった家族向け映画や、ホイチョイ・プロダクションズと組んで『私をスキーに連れてって』(87年)、『彼女が水着に着がえたら』(89年)、『波の数だけ抱きしめて』(91年)といった若者向け映画を作った。

70年代末から80年代に入ると他局も映画製作に乗り出すようになる。その大きな目的がテレビ放映権の獲得だ。現在でこそテレビでの映画放送は低視聴率だが、当時は各局とも毎週の映画放送枠があり、視聴率が高かった。曜日順に、テレビ朝日が「日曜洋画劇場」、TBSが「月曜ロードショー」、日本テレビが「水曜ロードショー」、フジテレビが「(金曜、土曜)ゴールデン洋画劇場」。人気映画ともなると各局の争奪戦で放映権料が高騰し、しかも権利は数年で切れるため、権利を購入し直す必要がある。自ら製作すれば放映権は確実に得られ、しかも権利はずっと手元にある。そのため各局とも製作に力を入れ始めた。

80年代はフジテレビ映画を中心にヒット作が生まれるものの、90年代に入ると、映画界そのものが冬の時代を迎える。年間観客動員数は90年に1億4600万人で始まり、以降年々減少して最低が96年の1億1957万人。その後はやや回復して99年には1億4476万人にまで持ち直す。

洋画と邦画の年間配給収入シェアでは、洋画の方が邦画より高い「洋高邦低」の時代を迎える。92年が一番競って邦画が45.1%。最も差が開いたのが98年で邦画が30.2%にまで落ち込んだ。

現在テレビドラマの映画化は数多いが、その先駆けとなったのはフジテレビの『踊る大捜査線』だ。『踊る大捜査線』以前もテレビドラマの映画化は存在したが、『踊る』のヒットはケタ違い。配収50億円をあげ、邦画の歴代1位『南極物語』59億円に迫る大ヒットとなった。97年3月のドラマ終了後に3度のスペシャルドラマを経て、98年10月に公開。映画の公開前にスペシャルドラマを放映して映画を盛り上げる手法の先駆けともなった。

ちなみに、『踊る』をプロデュースした亀山千広氏はその後映画事業局長などを経て、フジテレビの社長となっている。(文:相良智弘/フリーライター)

相良智弘(さがら・ともひろ)
日経BP社、カルチュア・コンビニエンス・クラブを経て、1997年の創刊時より「日経エンタテインメント!」の映画担当に。2010年からフリー。

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