1963年6月9日生まれ、アメリカ・ケンタッキー州オーエンズボロ出身。『エルム街の悪夢』(84年)で映画デビュー。その後、TVシリーズ『21ジャンプ・ ストリート』(88~91年)で注目を集め、『クライ・ベイビー』(90年)で映画初主演。同年、長年の名コンビとなるティム・バートン監督のファンタジー『シザーハンズ』に主演し人気を確立した。以後、『ギルバート・グレイプ』(93年)、『エド・ウッド』(94年)、『デッドマン』(95年)、『ラスベガスをやっつけろ』 (98年)など作家性の強い作品に好んで出演し、ハリウッドきっての実力派俳優として活躍。『ブレイブ』(97年)では監督・脚本・主演を手がける。デップの名を一躍世界中に広めた大ヒットシリーズの第1作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(03年)では、映画俳優組合(SAG)賞とエンパイア賞を受賞、アカデミー賞主演男優賞に初ノミネートを果たす。2004年にはGKフィルムズと製作契約を結び、姉クリスティ・デムブロウスキーと共に製作会社インフィニタム・ニヒルを設立し、自身が主演の 『ラム・ダイアリー』(11年)や、マーティン・ スコセッシ監督作『ヒューゴの不思議な発明』(11年)などプロデュース業も精力的に行う。その後も『チャーリーとチョコレート工場』(05年)、『アリス・イン・ワンダーランド』(10年)、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(18年)などで様々なキャラクターを自在に演じ分け、大ヒットに導いた。本作『MINAMATAーミナマター』では、製作と主演を務める。
『MINAMATAーミナマター』ジョニー・デップ インタビュー
水俣病を世界に知らしめた写真家が、50年前の日本で見た光景とは?
我々は、小さな蓄積で巨大な壁を崩すことができる
日本四大公害の1つである水俣病を世界に知らしめた写真家ウィリアム・ユージン・スミスを描いた映画『MINAMATA―ミナマタ―』が9月23日より公開される。
舞台は、71年のニューヨーク。写真家のW.ユージン・スミスは、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場から流出する有害物質により、苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に侵され歩くことも話すこともできない子どもたち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側──そんな光景に驚きながらもシャッターを切り続けるユージン。チッソ工場の社長から「ネガを大金で買う」という申し出を受けるも拒否。自らも危険な目に遭いながら、カメラを構え続けたユージンは、彼の人生と世界を変える写真を撮る。
デップが長年の憧れであるユージンの遺作となった写真集「MINAMATA」をもとに、自ら製作・主演を務め映画化。日本からは真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子らが出演している。「この歴史は語り継がれなければならない」と訴えるデップにその思いを聞いた。
・有害物質を海に…誰もが躊躇する役に挑んだ國村隼がジョニー・デップを絶賛
デップ:なぜかW.ユージン・スミスに、昔からとても興味がありました。もちろん最初は彼の写真に興味を持ったのですが、彼が辿ってきた人生や、彼が体験したこと、そして何を犠牲にしてあのような瞬間を写真に捉えることができたのか、などを読みました。スミス氏とアイリーンの水俣での活動は、とてつもなく重要なことでした。二人は危険に向き合いながらも、ひたむきに、そして熱意を持って取り組んだ。二人は途中で投げ出さなかったのです。
デップ:水俣に関する記事を読んで、知識を深めていくうちに、実際にそれが起こったという事実がとても衝撃的でした。しかし、その影響は解決されたわけではなく、未だに続いているということが、それ以上に衝撃的です。一人の関心を持つ者として、色々な記事を読み、知識を深めていくうちに、この歴史は語り継がれなければならないと思いました。いかなる場合でも、メディア、映画、その他の表現方法を使った芸術の持つ力をうまく活用すれば、過去の出来事も現在進行形の状況も、人々に伝え、関心を持ってもらうことが可能です。
このような映画を作るのは、実際にはなかなか難しいのが現実です。ただ私たちは、幸運なことにこの作品を完成させ、水俣の現実を世の中に知らせるという名誉を授かりました。それにより少しでも多くの人々が、今までまったく知らずにいた事実に興味を持ったり、関心を持ったりするきっかけになればいいなと思います。関心を持てないのは、単純にそのことに対する知識がないだけです。知識を深めれば、おのずと関心を持つことに繋がります。映画の持つ力をフルに活用して、伝えたいメッセージを発信することが、私も含めてここにいる我々の願望でした。
デップ:本作のために裏方で活躍してくれた皆、カメラの後ろにいたスタッフ、全員が献身的に力を尽くしてくれました。こちらにいるヒロさん(真田広之)は、彼自身の撮影が数日間ない時でも毎日現場に来てくれて、若手の俳優の手助けをしたり、看板を描いてくれたり、セットの手伝いをしてくれました。映画に携わった全てのスタッフが、心から献身的に作品作りに取り組み、アイリーンとユージンの活動を世に知らせなければならないという責任を、強く感じていました。俳優陣は、美波もヒロさんも含めて全員が、それぞれが考えていた以上に、真剣に演技に取り組んだと思います。アンドリュー(・レヴィタス)監督が、予算以上の作品に仕上げる能力があることはすぐにわかりました。元々監督のことをとても高く評価していましたが、僕が想像していた以上に、期待に応えてくれました。配慮が行き届き、責任感を持ち、渾身の力を込めてこの作品に取り組んでくれました。
ブノワ・デロームは素晴らしい撮影監督です。彼は最高レベルのアーティストですね。役者とカメラの間には、取り交わされる不思議なダンスのようなやり取りがあるのです。計画通りに進んでいなかったり、撮影する側が役者の動きを読めなかったり、反対に役者がカメラの動きを予想できなかったり、1コマ1コマ、役者と撮影者であるブノワの目の間で、自然にダンスが発生するのです。とても素晴らしい作業でした。
デップ:我々は、水俣の被害の様子を伝えることに専念していました。そして、ユージンの歩んできた人生、彼の人となりや、彼の歴史を表現しました。私の解釈したユージンは、きっと頭の中が騒がしい人だったのではないかと思います。その騒がしさを落ち着かせることは、かなり難しかったのではないかと想像できますし、生涯ずっと、そのような状態だったのではないかなと思います。雑音というか、騒音というか、そのような邪魔な声や音が日常化すると、静寂がとても孤独に感じられるのだと思います。それでいつも、異物と共存するために、変わり者で彼らしい独特のやり方ですが、孤立することをあえて選んだのだと思います。
もうひとつ付け加えると、我々の人生には時として、堅固で巨大な災難が立ちはだかることがあります。水俣病のような最悪の疫病であったり、火災であったり、あらゆる災難があります。易経の六十四卦の中に、風天小畜という卦があります。この卦では、立ちはだかる巨大な災難に対して、罵声を浴びせてもどうにもならない、立ちはだかる巨大な災難の壁を、一人では壊すことはできない。でも、誰かが最初に問題を認識して、少しずつその壁を崩していけば、小さな力であっても、結果的に、その小さな蓄積で巨大な壁を崩すことができる、と説いています。これは我々が今すべきことを指しているのだと思います。我々は皆、ただの一片のホコリです。我々がその小さな力なのです。我々が窮地に立たされたときは、誰かが率先して、巨大な壁を壊すことを始めれば、きっと大勢の人が後に続いてくれるはずです。
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