妻夫木聡「弱くていい、人の痛みを感じられるから」 映画『宝島』で見つけた平和への視点

#大友啓史#妻夫木聡#宝島#映画

(C)真藤順丈/講談社 (C)2025「宝島」製作委員会
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『宝島』
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宣伝アンバサダーとして京都から鹿児島まで駆け抜けた想いと熱いメッセージ

映画『宝島』の“宣伝アンバサダー”として全国行脚することを宣言した妻夫木聡。大友啓史監督とともに、物語の舞台となる沖縄を皮切りに全国各地を飛び周り、8月9日に京都、兵庫(神戸・姫路)、8月10日に熊本、鹿児島を訪問。2日間で5劇場の舞台挨拶に登壇し、2ヵ月間に及ぶ全国キャラバンもついに20エリアを達成した。感動に包まれた舞台挨拶では、2人が観客からの感動の声、熱い感想に触れ、思わず感極まる場面も。

・妻夫木聡、2000人のエキストラを動員した「コザ暴動」撮影裏を語る「色んな感情が入り混じった混沌」

・『宝島』舞台挨拶の写真はこちらから!

■8月9日 T・ジョイ京都

映画上映後、ステージに登壇した大友監督は「前作の『レジェンド&バタフライ』の時は、ほぼ京都暮らしでした。だからここの映画館にも個人的に通っていました」と挨拶。妻夫木も「先月のキャラバンで隣の大阪には行ったのですが、京都に来れなかったことが気になっていました。ですから今日こうして来ることができて本当によかった」と笑顔を見せた。

また、前述した“以前の京都暮らし”について大友監督が「京都は食べ物がおいしいので楽しみにしてたんですけど、ちょうどコロナの時期だったので、仕事が終わっても飲みに行けなかった。そういう悔しい思いをしていたので、昨日は1日先に早く入って、こっそりおいしいご飯を食べました。妻夫木くん、ごめんね」と告白。妻夫木も「え? 聞いてないですよ」とうらやましそうな表情に。そんな2人のやり取りに会場はドッと沸いた。

『宝島』

一方の妻夫木は「僕はもう、東京以外で撮影があるとしたら京都が一番多いんじゃないかなというぐらい何回も来させてもらってます。京都ではホテルではなく、コンドミニアムみたいなところを借りているので、本当に京都で生活してる気分を味わっています」とプライベートの一面を明かした。

そして、ここからは映画を鑑賞したばかりの観客から寄せられた質問・感想を読み上げることに。まずは「本土復帰は私が生まれてからのことなのに、知らないことが多すぎました。もしまた沖縄に行くことがあれば、ぜひコザを訪れたい」という感想が。さらに沖縄出身の観客からは「コザ暴動のシーンでの妻夫木さんの叫びに涙が溢(あふ)れました」という感想が寄せられ、「ウチナーンチュ(沖縄出身の人)の私から見てもカチャーシー(沖縄の伝統的な踊り)がとても自然で上手でした。体得するのは難しいと思いますが、練習はされたんですか?」という質問が。

「ウチナーグチ(沖縄方言)は以前の作品でも経験があったのですが、カチャーシーは本当に難しい。皆さんが子どもの頃から自然に踊っているものなので、教える人がいないんです」と説明する妻夫木。「撮影で呼ばれるまで公民館のガラス張りのところで練習していたら、おじいが通りかかって『酔っ払った人がいるのかと思ったよ』と言われてしまいました」というエピソードを披露し、会場は大笑い。あらためて「カチャーシーを褒められるのはすごくうれしいです」と喜びをかみ締めている様子だった。

また「この映画を拝見して、これまでいかに沖縄のことを無知でいたのか思い知らされました。これからの私に何ができるのか、まだこの時と何も状況が変わっていないことにがくぜんとしています」と語る観客からは、「この撮影で一番大切にされていたことは?」といった質問が。

『宝島』

それには「アメリカ統治下の沖縄では私たちの想像も及ばない思いで亡くなった方が多い。そうした方々の声に耳を傾け、耳を澄ませるような気持ちでいないと、この題材には立ち向かえないと思いました」と返した大友監督。「いつもは祭りごととして撮影に臨むのですが、今回は神聖な場所であるウタキ(御嶽)に向かうような、身を清める感覚でいました」と本作に向き合う“覚悟”について語るひと幕も。

さらに「くしくも今日は長崎に原爆投下されて80年という日。考えさせられることがたくさんありました」という感想も寄せられた。そして「見終わって『人間はバカじゃない』と思いたい気持ちと、『バカかもしれない』という思いが共存しています。このようなモヤモヤ、マグマをどうやって昇華させたらいいでしょうか?」といった観客からの切実な声も。

それに対して「昇華しないでほしいです。そんな簡単なことじゃないから」とやさしく語りかけた妻夫木。「僕たちは生きることに迷うし、みんな強くないじゃないですか。弱くていいと僕は思っています。だからこそ人の痛みを感じることができる。だから昇華せずに燃えていきましょう、みんなでたぎっていきましょう」と観客を鼓舞すると、会場からは大きな拍手が送られた。

そんなトークもいよいよ終盤間近。最後の挨拶で妻夫木は、「これは沖縄の物語ですが、日本全体の物語であり、皆さんの物語でもあると思っています。見てくれた方々がそれを実感して、その輪を広げてくださる。それを僕は目の当たりにしています」と語りかけると、「今日いらっしゃっている皆さんは、もう大友組の宣伝部です。ひとりでも多くの方にこの想いを届けていただけるよう、口コミをよろしくお願いします!」と熱いメッセージを送る。

大友監督も「この映画はコロナもあり、2度頓挫しながらも、なんとか生き残りました。この規模の映画でこういうことはなかなかありません。届けるべき価値がこの映画にあると信じて、キャストもスタッフも待ってくれたからです。ぜひ『宝島』を映画の都・京都から全国に広げてください」と呼びかけた。

■8月9日 OSシネマズ神戸ハーバーランド

京都での熱気をそのままに、神戸入りを果たした妻夫木と大友監督。神戸との縁について質問された大友監督は「神戸は(NHK大河ドラマの)『龍馬伝』でも来ましたし、この映画のロケハンでも来ました。若い頃、NHKにいた時はディレクターとして、震災の取材でともにしたこともありました」と述懐。

一方の妻夫木は「神戸は映画の撮影でお邪魔したことがあります。僕は福岡生まれなんですが、育ちは横浜。神戸は横浜とすごく似ている感じがあって親しみを感じていました」と語りかけた。

『宝島』

その後は、映画を鑑賞したばかりの観客からの熱い感想や質問などが次々と読み上げられる。そんな中、コザ暴動のシーンに触れて「かなり貴重であろうクラシックカーを炎上させたり、ひっくり返したりして驚きました。あれは本物ですか?」という問いかけもあり、大友監督は「この映画では覚悟を決めることがたくさんあったんですが、そのひとつがまさにそれでした」と振り返る。

「コザ暴動を再現するにあたり、80台ぐらいのヴィンテージカーを集めたんですが、今の日本にあるのはほぼ全部、右ハンドルに改造されているもの。だからアメリカや韓国に残っているものを見つけてこないといけないんです。そういうものを実際に集めて、ひっくり返したり、焼いたりもしました。スタッフの間でも『もったいないな』と思いはありましたが…やってしまいました」とその背景について説明。

さらに「大きな炎はCGを足すということはしていますが、基本的にアクションシーンで使った車輌はヴィンテージカーを使っています。ただ…プロデューサーの泣き顔が今でも思い浮かびます」とリアリティーを追求するために取り組んだ想いについて明かした。

「今年は戦後80年という年でもあるし、今日は長崎に原爆が落ちた日でもあります」と語りかけた妻夫木は、「それは忘れてはいけないし、知っていなきゃいけない。それをちゃんと伝えていかなきゃいけない。そういう未来にちゃんと繋げていくのが僕たちの使命。だからそのことを絶対諦めたくないし、ひとりの俳優として、何かを叫び続けるのではなく、ひとりの俳優としてこうやって映画で表現をして、映画を通じて皆さんに知ってもらう機会をつくらなきゃいけない」と観客に力強く呼びかけた。

『宝島』

対する大友監督は「沖縄の人たちの、あの優しさの奥にある強さは何だろうとずっと考えていました。そんな時にこの原作に出会い、日本の高度経済成長の裏で、沖縄ではまだ人々が戦っていたということをあらためて知りました。これは、僕たち日本人全員が知らなきゃいけない物語だと思った」と語りかける。

その上で「歴史の教科書に載っている数行の記述を知るんじゃなくて、この映画を通して登場人物たちの感情を追体験してもらいたい。そしてここにいる皆さんはもうそれを体験したわけですから、すでに大友組です。ひとりでも多くの人にこの映画を通して、あの時代の沖縄を追体験していただきたい。それが僕らの願いです」とメッセージを届けた。

■8月9日 アースシネマズ姫路

京都、神戸で熱い歓迎を受けた妻夫木と大友監督は、休む間もなく姫路に到着。大友監督にとって姫路は『るろうに剣心』シリーズでロケをした思い出の地でもある。ステージに登壇するや妻夫木が「会場の皆さん、こんにちは。実は僕たち5分前にこの会場に到着しました! 皆さんのところに間に合って本当に良かったです」と報告。無事に間に合い、安どの表情を見せたふたりに、会場からは温かい拍手が送られた。

そしてここからは映画を鑑賞した観客からの質問、感想を読み上げることに。「あの時代の彼らと同じような懸命さでいることはできないかもしれないですが、他人任せにせずに、たくましく、そして優しく、精一杯、今を生きることは、わたしにできることかなと思います。生き方を見つめ直すいい機会になりました」という感想が飛び出せば、「ウチナー(沖縄)の魂をひしひしと感じる作品でした。どのようにしてウチナーの思いを妻夫木さんのものとされたのでしょうか」という質問も。

妻夫木がこの作品に向き合うにあたって、沖縄にいる親友の存在が大きかったと語る。「その親友が、佐喜眞美術館に連れて行ってくれて。沖縄戦の時を描いた絵をとにかく見てほしいと言われたんです。沖縄を知る上で学ぶことも大事だし、知ることも大事なんだけど、あの絵を見たときに、どこかで分かった気になってるんじゃないかと感じて。“感じる”ことを忘れていた自分に気づかされた気がしました」。

その絵からさまざまな声が聞こえてくるような感覚に襲われ、涙が止まらなかったという妻夫木。その姿を見た親友からは「そういうことなんだよ」と声をかけられたとのことで、「その親友が自分のことを信じてくれた」と声を詰まらせた。

そんな中、「わたしは沖縄に行くと、霊感がないと思っているのに、ウタキ(御嶽)など神聖な場所に行くと必ず頭痛がします。皆さんはそんなことは感じませんでしたか?」という質問も。

妻夫木は「僕自身は頭痛がするということはなかったんですが」と前置きしつつも、「沖縄にはそこら中にウタキ(御嶽)という神聖な場所がいっぱいあるんです。皆さん、そこに手を合わせてお祈りをしているんですけど、僕らも今回はウタキ(御嶽)に手を合わせましょう、というのは心がけていました」と述懐。

だが「天候だけはなんともならなかったですね」と続けた妻夫木は、「500人ぐらいエキストラさんを呼んだシーンがあったんですが、あの時は雨がじゃんじゃん降っちゃって…参りましたね」と振り返る。

そこで晴れ女との誉れ高い、本作ヒロインの広瀬すずのパワーを頼ろうと「すずちゃん、まだ入り時間は早いけど先に来てよ」とお願いしたこともあったという。「てるてる坊主みたいな感じでお願いして。すずちゃんも『わかりました』と来てくれたんですけど、さすがのてるてるすずちゃんも効かなかった…。その時は諦めて、500人の方にも帰っていただくことになってしまった」と残念そうに振り返る妻夫木だった。

そして「わたしは父方の祖父母が広島に住んでいるのですが、祖母が友だちを助けるために原爆投下すぐに広島市内に入り被爆をしたり、祖父が困った友人のため田んぼを売ったりした話を思い出しました。来週は終戦の日であり、祖母の誕生日でもある8月15日にお墓参りに行く予定です。この映画を見たことで、今まで以上に強い気持ちで祈りを捧げようと思いました」という感想が読み上げられるなど、熱い思いのこもった感想の数々に、登壇したふたりも感無量の様子だった。

『宝島』

最後に妻夫木は「やっぱり映画というのは人の人生を変える力、世界を変える力を持ってるのかもしれないなと、そんな気がしています。こうやっていろんな場所で、いろんな方々や土地に触れながら、お話を聞く中で、本当に皆さんに想いが伝わってるなと思うし、逆に僕たちが多くのことを学ばせてもらっています」とコメント。さらに多くの人に映画を届けたいという想いを再確認している様子だった。

大友監督も「僕たちは沖縄の人たちの“声なき声”を届けなきゃいけない。そしてそれを知らなきゃいけない」と、作り手としての使命感を改めて強調。そして会場の観客に向けて「勝手ながら、今から皆さんは大友組の一員です。ひとりでも多くの方々に、わたしたちのこの思い、この映画が届くように、皆さまの力をお貸しいただければ幸いです」と熱いメッセージを送り、トークを締めくくった。

■8月10日 熊本ピカデリー

前日の京都、神戸、姫路という関西での舞台挨拶を終えたふたりは、この日は九州へと移動。全国キャラバン19ヵ所目となる熊本に降り立った。観客からの温かい拍手に迎えられた大友監督が「熊本も『るろうに剣心』の撮影などで大変お世話になっております」とあいさつすると、妻夫木も「僕の両親が福岡と佐賀の出身で。父の職場とも関連があったので、熊本には何度も遊びに来させてもらいましたし、くまもと復興映画祭でもお世話になっております」と告白。その浅からぬ縁に、会場からは歓迎の声があがった。

『宝島』

そしてこの日も映画を鑑賞したばかりの観客からの感想・質問を読み上げることとなった。「私は介護職をしていて、高齢の利用者さまから、戦争時代の貴重なお話を伺う機会があります。しかし年々、戦争の経験者の方々が少なくなってきております。今回の映画のように、歴史を知る機会が増えることで、後世に大事なものが残せるのだと感じました」といった感想や、「偶然にも、昨日、長崎の平和祈念式典にネットで参加しました。今日、『宝島』を観賞して、戦後の沖縄でこんなことが起きていたことを知り、心が痛く、悲しくなりました。今、自分にできることは、子どもたちに伝えていくことだと思います。そこで『宝島』を演じられる前と後で、戦争や平和について考えが変わりましたか?」といった質問も。

「当然、変わりました」と即答した妻夫木は、「沖縄戦では約20万人の方が亡くなり、その多くが民間人で、”集団自決”によってたくさんの方が亡くなったというのは教科書で見たことがありました。ただ実際は、身内同士が手をかけあって亡くなった。そんな狂った世界が存在していたのに、僕は教科書の中の言葉しか知らなかった」と述懐。

また、沖縄・宜野湾市の佐喜眞美術館で鑑賞した「沖縄戦の図」という絵を見て、沖縄の方々の痛みや苦しみが伝わってきたと明かし、時折、言葉を詰まらせながらも、「僕は俳優という立場で、こういう映画をつくって皆さんに届けたいなと思いました。監督と一緒に、ひとりひとりに直接、手渡しで届けていくことが、この映画に最善な道なんじゃないかなと思ったんです。自分の中で映画の力を信じたいという心が芽生えたのは、『宝島』という映画のおかげ。この映画を通して、改めて戦争について、日本について、沖縄について、僕たちの未来、現在、過去、すべていろんなことと向き合わせてくれた、きっかけをくれた作品だと思います」と訴えた。

その後には「およそ3時間、圧倒されっぱなしでした。映画館の大きなスクリーンで見るべき作品だと思います。エンドロールで使われていた写真は、実際の写真でしょうか?」という質問も。

それには「実際の写真です」と明かした大友監督。「実は仕上げの段階では、写真を出すべきかすごく迷っていました。ただ原作者の真藤順丈さんもおっしゃっていますが、この映画の本当の主役は沖縄の歴史だと思うんです。これはフィクションではなくて、たかだか何10年か前の、今と地続きの世界の中で実際に起こった出来事であるということを、僕も含めて、みんなが知っておいた方がいいんじゃないかと思い、あの写真を使わせていただきました」と付け加えた。

そして最後に妻夫木が「『宝島』という映画は、見ていただいてからも、さらにどんどん成長してるように感じます。全国を回らせてもらって、皆さんの中に芽生えた種が、どんどん花開いているように感じています。僕はその花をもっともっと全国で咲かせたいなと。そのためには、皆さん一人一人の力が必要だと思っています。皆さんの力でどんどん思いの輪を広げていきましょう!」と呼びかけた。

大友監督も「この映画をつくった人間として、最後までこうやって皆さんにしっかり目を向けて、ひとりひとりに手渡しで、心を込めて届ける必要があると思っています。今日見ていただいて、気に入っていただけたら、ひとりでも多くの方に、この時代にこんなことがあった、沖縄でこんな思いをして生きていた人たちがいた。それは今の僕たちの時代ともつ繋がってるんだということを伝えてください」とメッセージを送った。

■8月10日 鹿児島ミッテ10

休む間もなく、鹿児島に降り立った妻夫木と大友監督を観客も大きな拍手で出迎えた。そんな会場に向かって大友監督が「鹿児島までなんとかたどり着きました。雨が少し心配だったんですが、こうやって皆さんとお会いできてうれしいです」と挨拶。

続いて妻夫木が「鹿児島でついに20ヵ所目になりました。なんだか感慨深いですね」と笑顔を見せると、「キャラバンでは福岡に行ってきたんですが、その時は時間がなかったんで、あらためて今日、熊本、鹿児島と来られてすごくうれしいです。皆さんから感想をいただけるだけで僕たちも来た甲斐があります」と観客の温かい歓迎に感慨深い様子だった。

『宝島』

あらためて鹿児島について質問された大友監督は「ずいぶん前なんですが、『龍馬伝』を霧島の方で撮影しました。その後もやりたいネタがいくつかあるんで、実はこっそり来て取材をしています」と明かした。

妻夫木は「僕は10数年前に1回だけご飯を食べに来たことがありますが、日帰りでした。だからあまり鹿児島のことを知らないので、今日はたくさん知識を仕入れて帰れたらいいなと思ってます」と語った。

その後は会場に来た観客の感想、質問を読みあげるコーナーとなり、まずは「今までの先行上映で色々な場所に行ったと思うんですが、思い出に残っていることはありますか?」という質問が寄せられた。

それには妻夫木も「やはりその土地土地で、感じ方が少しずつ変わっていくのかなという気がします。劇場の大きさにもよるとは思うんですが、鹿児島の皆さんとは結構距離が近いから、なんだか心の距離感も近いように感じていますし…」と思案しつつも、「でもやはり最初に行った沖縄ですね」と返答。本作が激動の時代の沖縄を描いた映画ということで、沖縄の人に見てもらいたいという想いはありながらも、一方でどこかに不安が残っていた。だが映画を見終わった観客から「つくってくれてありがとう」と言われた言葉が本当に嬉しかったという。

「感動したとか、素晴らしかったと言ってもらうことも当然うれしいんですけど『ありがとう』というのはまだ消化しきれていない感じがして。きっとその方の中で『宝島』の物語がずっと続いていくような、そういうイメージを持ったんです。その言葉をはじめて言ってもらえたのが沖縄だったので。沖縄の方に判子を押してもらえたような、そういう気持ちもあったので、一番印象深かったですね」と振り返った。

さらに「大友監督から見た妻夫木さんってどんな方?」という質問も。それにはこの映画の企画が、コロナ禍などの影響により、二度もとん挫しては復活したことについて言及しつつも、「その時にいろんな方が支えになってくれたり、いろんな言葉をくれたんですけど、妻夫木くんは『監督とこのプロジェクトと心中します』と言ってくれたんです。その言葉がすごく支えになりました。やはり背負ったり向き合ったりするのがすごく大変な題材なんですけど、そこは妻夫木君が一緒になって、主役として背負ってくれた。それも表面的ではない、自分が大切にしている沖縄の友人たちへの想いを大事にしながら、細やかに丁寧に役に取り組んでくれた。僕にとっては本当に信頼に足る人。この映画を成立させるのは彼でなきゃできないと思っていたので。本当にありがとうございました」とあらためて感謝の思いを述べた。

妻夫木自身も本作の脚本と出会い、「運命だと思った」と振り返る。沖縄の友人と一緒にいる時に沖縄が抱える現実を目の当たりにしたこと、沖縄戦の集団自決という言葉の裏にある、肉親が家族に手にかけなければならなかった壮絶な現実などについて触れると、思わず言葉に詰まってしまうひと幕もあった。

『宝島』

そんなイベントもいよいよ終盤。妻夫木は「僕は『ウォーターボーイズ』という映画で全国を回って、その土地土地で『ウォーターボーイズ』が皆さんに愛されて、その土地の映画になっていくのを目の当たりにして。もしかしたら映画って人の人生を少しでも変えられるかもしれないと。そういう映画の力を感じたんですけど、今回、その力を改めて信じてみたいなと思っているんです。今日ここにいらっしゃる皆様は“大友組”の観客部です」と会場の観客に映画を託した。

そして大友監督も「映画は本当に子どもみたいなもの。大事な子どもを皆さんに預けるような気分です。いい子に皆さんで育ててくれると幸いです」と締めくくり、大きな拍手が鳴り響いた。

『宝島』は2025年9月19日より全国公開。