『映画 太陽の子』柳楽優弥×有村架純インタビュー

覚悟を必要とする作品 激動の時代生き抜いた若者たちに思い馳せる

#柳楽優弥#有村架純#太陽の子#映画 太陽の子

柳楽優弥 有村架純

こういう作品には絶対、覚悟みたいなものが必要/柳楽

『映画 太陽の子』
2021年8月6日より全国公開
(C)2021 ELEVEN ARTS STUDIOS/「太陽の子」フィルムパートナーズ

太平洋戦争末期、旧海軍の依頼を受けて京都帝国大学では極秘に原子の力を利用した新型爆弾の研究が行われていた。この事実に着想を得て、大学で実験に打ち込む青年と、彼が母親と暮らす家に身を寄せる幼馴染の女性、戦地から一時帰郷した青年の弟という若者3人を通して、当時を生きた人々の苦悩や葛藤、それでも未来へ思いを馳せる様を描く『映画 太陽の子』。昨年8月に放送されたNHKのテレビドラマとは異なる視点と結末が加わり、激動の時代とその渦中の若者たちの物語が完結する。

科学が世界をよりよく変えると信じ、研究に情熱を注ぐ主人公・石村修を演じた柳楽優弥と、修と彼の弟・裕之から思いを寄せられる幼馴染の朝倉世津を演じた有村架純が、作品への思いや撮影現場について、裕之を演じた三浦春馬との共演について語った。

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──出演するにあたって、お2人とも「覚悟が要る作品だった」と発言されていましたが、それでもやろうと思われた決め手は何でしょう?

柳楽:本当に台本が素晴らしかったんです。戦時下を描いた作品ですが、若者たちが懸命に生きた描写、家族の物語でもある。そういうところにすごく感動して参加したいという気持ちがありました。当時、京都帝国大学で新型爆弾の開発をしていた事実を知らなかったので、「どういうふうにお客さんは感じるんだろう」と思ったり。単純に、勉強もしなきゃいけない、役作りもしっかりしないといけないと思って、そういう意味で覚悟が必要でした。こういう戦時中を描く作品には絶対、覚悟みたいなものが必要だと思うんです。

有村:私は監督の熱量と、この事実を世の中にみんなで届けたいという思いと、あとは柳楽さんや春馬さんもいたので、こんなに心強いキャストの方々と一緒に芝居ができるなら、というところもすごく大きかったです。

有村架純

──修も世津もほぼ今のお2人と同世代ですが、時代は1944年から1945年にかけてです。どういう準備をされたんでしょうか。

柳楽:僕のキャラクターは、爆弾開発する研究者です。実験するときに「これは触っていい」とか、「これをここに入れると危険になる」とか、その仕組みについてまず勉強しました。あとは化学式や数式も、研究生たちが持っている知識を基礎から学びました。共演者の方たちもスタート地点が似ていたというか、この事実を知らなかった方も多かったので、一緒にディスカッションしながら理解を深めていったっていう感じです。

──では70年以上前の人物ということよりも……。

柳楽:それよりも、まずやらなきゃいけないことが山ほどあった。時代については衣装とか、違う場面のパフォーマンスで表現できるところもあると思うんです。それよりも、まず科学者として自然に動けなかったんです。分からな過ぎて(笑)。だから、まず自分たちのキャラクターがやっていることへの理解を深めることがとても大切だったと思います。

──世津は、これまで戦争を描いた作品は多々あれど、今まであまり見たことのないキャラクターだと感じました。

有村:戦時下という厳しい状況の中で生きているということは、しっかりと忘れないようにしていました。それでもポジティブな印象を与える役割をできたらいいなと思っていて、そこはすごく気をつけました。世津の中でもきっとたくさん飲み込んだ感情はいっぱいあって、状況がどんどん悪化していく中でもけなげに、気丈に振る舞いながら毎日を生きていたのかな、と。勝手な想像ではありますが、だからこそ笑顔でいることも意識して、とにかく想像を膨らませることが重要かなと思いました。

──やはり“何十年前”というように時代にこだわるのではなく、今につなげる気持ちでしょうか。

有村:そうですね。たたずまいとか、しゃべり方とかは現代的にならないように少し意識しました……現代だったらこうだけど、と思いながら、その当時の女性としての立ち方、立ち振る舞い方があったと思うので、そこは注意して演じていました。

──修と世津と、修の弟の裕之、この3人の関係が本当に素敵でした。裕之を演じた三浦さんも含め、3人それぞれの共演の経験が以前にあったそうですが、現場での雰囲気はいかがでしたか。

柳楽:雰囲気はすごく良かったなと思います。やっぱりこういう作品なので、場面、場面によっては緊張感が絶対に必要ですし、監督もムードを作ってくださる方だったので、そこにみんなしっかり乗っかって集中していました。コロナ禍前だったので、普段は撮影がないときも食事に行けたり、いい関係性でした。いい現場だったな、と感じます。

有村:柳楽さんも春馬さんもその他の皆さんも、皆さんプロフェッショナルな方たちばっかりだったので何も心配もないし、むしろ自分がそこに身を委ねて引っ張り上げてくれるという感じがするような、そういう現場でした。より自分自身も身を引き締めながら撮影に取り組めましたし、緊張感はあったけど、撮影の合間は春馬さんもよく笑っていたし、それにつられて私たちも笑っていたし。そういった自然な掛け合いもできていたので、とても穏やかでした。

──せりふが京都弁ですね。柳楽さんは東京出身で、有村さんは兵庫出身ですが、普段使われていた言葉とはちょっと違うかと思います。それぞれご苦労された点は?

柳楽:春馬君と僕は、方言指導の方に常に付いてもらっている状態で、架純ちゃんや(兄弟の母を演じた田中)裕子さんはネイティブにしゃべられるから、春馬君と「練習しないとやばいね」と、一緒に練習しましたね。せりふを録音したテープを聞きながら、せりふを休み時間に言い合ったりして。
お互いがせりふを言うのを聞いて「ちょっと練習してきたね」「いや、そんなことないよ」なんて感じで話し合いながら、一生懸命やってました。僕には結構注意が入っていて。あんまり得意じゃないんですよね(笑)。だけど、良い経験でした。

──有村さんはいかがでしたか?

有村:京都弁のほうがやっぱり、少し“はんなり”な感じなので、語尾までしっかり音を乗せるとか、そういうニュアンスは普通の関西弁とは違いましたね。

──結構それも気を使いますよね。

有村:そうですね。でも、大まかなイントネーションは大丈夫だったので、特に苦労はしなかったです。

──3人の海でのシーンは印象的でした。明け方前から準備を始めての撮影だったと聞いています。順撮りだったのでしょうか?

柳楽:監督が気遣ってくれてほぼほぼ順撮りで撮影できました。

──物語での前日の、楽しそうな場面を撮って翌朝に、という順番だったのでしょうか。

柳楽:これは全然別ですね。1週間、2週間くらい開いてる。

有村:たぶん、ロケが始まった直後くらいに、明るい海のシーンを撮ったんじゃないかなと思います。

柳楽:そうだと思いますね。明るいシーンでは、現場にも楽しい雰囲気がありました。修と裕之が海に入って遊んでるんですよね。海の引きの潮の力が強くて、前貼りが取れるんです(笑)。海から上がる時は取れないように直すみたいな(笑)。そんなエピソードも、シーンに合った明るさにつながったと思います。
緊張感のある早朝のシーンは、監督が本当にその瞬間を撮りたいということで夜明け前からスタンバイしました。陽の光の関係もあって、2カットぐらいを一発OKで撮らなければならない緊張感もあって、前日にリハーサルをして、じっくり話し合って、すごい緊張感でした。スタッフ全員、あとキャストも全員、みんなが自分に集中していくというか。すごくいいシーンを撮れた達成感もありモニターにずっとその映像を流していたりしました。スタッフさんたちにも手応えがあったのかな。すごく印象に残ってます。

有村:明るい海のシーンは、2人が何か少年に戻ったような……世津も含めてみんなが少年少女に戻ったようなシーンに見えたらいいなと思って。春馬さんも柳楽さんもすごく無邪気に演じてくださっていたので、私もそこに乗っかることができて、この作品の中で唯一の、ちょっとほっこりするようなシーンになったなと思います。
あのシーンも結構アドリブとかもあったと思います。監督は基本的に長回しをするので、カット尻が長いんですね。せりふが終わっても、その先に何かあるんじゃないかと見てくれるので、私たちはちょっと戸惑いながら、「まだカット掛からないから芝居しなきゃ」って思うんですけど。

柳楽:「前貼り……」って思いながら。

有村:そうですよね(笑)。でも、海の中から春馬さんが「世津もこっちおいでよ」みたいにアドリブで言ってくれたりとか。

柳楽:確かに。

有村:「早う、こっち」とか言って。そういうナチュラルなかけ合いとかも、あのシーンではできました。

今、選択していることが未来につながる/有村

──裕之が出発する前の晩の縁側のシーンも心を掴まれました。有村さんがアドリブで2人の手を取ったとお聞きしました。

有村:3人で過ごす最後の夜で、もしかしたら……と。最悪なことを考えると、ほんとに最後になるかもしれない前夜だったわけです。その中で、ただせりふを言って思いを伝えるだけではちょっと……何ていうんでしょう、温度感が低いというか。もっと言葉にならないものを伝えるには、どうしたらいいんだろうと思った時に、何かアクションを起こすことを考えて、あそこで手を取るっていう結果に至りました。

──柳楽さんは、ふいに手を取られてどう感じましたか。

柳楽:嬉しかったですね。あそこで世津が2人の両手を取ることで、すごくいいシーンになりましたから。すごいアイデアだなって思いました。一見、シンプルに見えるような動きでも、本当に素晴らしいシーンになるんですね。あれはほんとに難しいシーンだったなと思っています。腹で感じている恐怖と、会話の中で強がるというか、未来について前向きに懸命に生きている姿が、雰囲気として漂っている。穏やかな雰囲気なんですけど、すごいシーンですよね。

──あの場面で世津が手を取るのは、私にはすごく自然に思えました。なぜかと言うと、冒頭の建物疎開の場面で、自宅が壊されるのを見ている祖父・清三の手を世津がずっとさすっていたのが印象に残っていて。あれは元々脚本にあったんですか。

有村:手をさするのはなかったです。手を握るのは脚本にあったか……すみません、ちょっと忘れちゃいましたけど。

──あの仕草で世津の優しさが伝わりました。

有村:ありがとうございます。

──映画には、修が比叡山に登って1人で過ごす場面があります。せりふもない、長回しのシーンでしたが、本当に素晴らしかった。それまでの、何かに取り憑かれている様子がさらに違うものへと変わっていくような、お伽話によくある“魔法が解ける”瞬間を見たようで、感動しました。

柳楽:あそこはほんとに難しかったです。実は監督も、修という主人公について「みんなが共感できるような主人公ではないかもしれない」と言っていて。
強い信念を持っているけど、戦争によって狂気じみてきているのを自覚せず、普通のことだと思ってしまっている感じとか、すごく怖いです。
比叡山に登る理由が、原爆が爆発している瞬間を見てみたいっていう恐ろしい発想ですから。とても共感できず、どういうふうに表現したら、監督にOKをもらえるんだろうって。そんな状態で撮影に臨みました。
でも、言われてみると、お母さんが作ってくれたおにぎりとか、そういう力もすごく強いんだなと感じます。

──最後に。3人は「未来について話そう」と語り合いましたが、お2人は未来のことを考えるほうですか。それとも今を大切にするのか、どちらでしょうか。

柳楽:(有村に)どうですか?

有村:私は、今は“今”です。今現在は、今を考えて生きています。今、選択していることが未来につながるから、だから今を間違わないように、と考えてます。

有村架純

──柳楽さんはいかがでしょう。

柳楽:僕、そのことに最近気づいて。今の選択が大事です、と感じますね。だけど、やっぱり理想というか、「これだけのマッチョになりたいな」とかも思う(笑)。

有村:そういうことはありますよね(笑)。

柳楽:そういう憧れはすごくありますし。そういう目標を設定して、そこから逆算して、今、果たして何ができるんだっていうことですかね。

──なるほど。今を重ねていって、未来がある。

柳楽:ですね。

(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)

柳楽優弥
柳楽優弥
やぎら・ゆうや

1990年3月26日生まれ、東京都出身。2004年、映画デビュー作『誰も知らない』でカンヌ国際映画祭の史上最年少・日本人初となる主演男優賞を受賞。16年、『ディストラクション・ベイビーズ』でヨコハマ映画祭、キネマ旬報ベストテンの主演男優賞を受賞。その他の主な映画出演作は『許されざる者』(13年)、『クローズEXPLODE』(14年)、『最後の命』(14年)、『合葬』(15年)、『銀魂』シリーズ(17年・18年)、『夜明け』(19年)、『泣くな赤鬼』(19年)、今年は主演映画『ターコイズの空の下』と『HOKUSAI』が公開。10月からドラマ『二月の勝者―絶対合格の教室―』主演のほか、今冬はW主演作『浅草キッド』がNetflixで全世界同時配信予定。

有村架純
有村架純
ありむら・かすみ

1993年2月13日生まれ、兵庫県出身。2010年、ドラマ『ハガネの女』でデビューし、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(13年)で注目を集める。『映画 ビリギャル』(15年)で第39回日本アカデミー賞優秀主演女優賞と新人俳優賞をW受賞。同作と『ストロボ・エッジ』(15年)で第58回ブルーリボン賞主演女優賞受賞。主な映画出演作は、第29回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎新人賞を受賞した『何者』(16)年、『夏美のホタル』(16年)、『3月のライオン』(17年)、『ナラタージュ』(17年)、『コーヒーの冷めないうちに』(17年)、『フォルトゥナの瞳』(19年)、『花束みたいな恋をした』(21年)、『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』(21年)。ドラマ『コントが始まる』に出演、9月に舞台「友達」に出演予定。