『5月の花嫁学校』マルタン・プロヴォ監督インタビュー

“良き妻”より自由に私らしく! 女性たちの変化をハートフルに描く

#マルタン・プロヴォ#5月の花嫁学校#MeToo#フランス

マルタン・プロヴォ

変化をもたらす有能な女性たちが、笑いで我を忘れるような作品にしたかった

『5月の花嫁学校』
2021年5月28日より全国公開
(C)2020 - LES FILMS DU KIOSQUE - FRANCE 3 CINÉMA - ORANGE STUDIO – UMEDIA 

ジュリエット・ビノシュらフランスを代表する3人の名女優が花嫁学校の教師を熱演! 古い価値観から新しい生き方へと目覚めていく女性たちを、ハートフルに描いた映画『5月の花嫁学校』が5月28日より公開される。

1967年、フランス。アルザス地方の小さな村にある「ヴァン・デル・ベック家政学校」に18人の少女たちが入学した。経営者である夫と学校を切り盛りするポーレットは、義理の妹ジルベルト、修道女マリー=テレーズと共に、生徒を“良妻賢母”に育てるべく、料理や裁縫など徹底した花嫁教育を行っていた。しかしある日、夫が急死し、しかも多額の借金を作っていたことが発覚! 学校を再建しようとするポーレットの前に昔の恋人が現れ、自由を求める生徒たちの声とともに、徐々に新しい生き方に目覚めていく。

本作を手がけたマルタン・プロヴォ監督のインタビューが到着した。

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──ポーレットが生徒たちに説く「良き妻になるための鉄則」は、今では時代遅れに聞こえますが、当時のフランスの思想を反映しているのでしょうか?

監督:実家の台所にある棚の引き出しに、「若い夫婦のためのガイド」という本が入れてあったことを今でも覚えています。1960年代末は、母が台所を取りしきって、父は食卓について新聞を読みながら食事が出てくるのを待っていた時代。1968年以前は、それが当たり前だったんです。何百年も前から続いてきた「男は、自分の家を切り盛りする妻をめとるべき」というルールに対して、女性たちが反論することは許されなかった。このルールがすべてを物語っていますよね。

──1957年に生まれ、1960年代に幼少期を過ごした監督ご自身の記憶や体験が、本作の元になっているんですね。

監督:私の母は、一人で食材の買い出しに行き、食事のメニューを考え、子どもである私たちに服を着せ、台所で食事の準備をしながら、私たちに宿題や教科書の朗読をさせていました。何よりも記憶に鮮明に残っているのは、父は一家の稼ぎ手であることを理由に、家事を一切手伝わなかったことです。私たちが「ご飯だよ!」と呼ぶのを待っていて、食卓につくと、まず自分に食事が出されることを当然と考えていた。母は、そんな父によく腹を立てていたものです。
母は夏休みになると私たちの世話をさせるために、若い女性たちを雇うことがあったんです。母は彼女たちを「若い娘さんたち」と呼んでいました。この女性たちは、いわゆる花嫁学校の生徒で、貧しい家庭、特に農家の出身が大半でした。

──当時のフランスにおいて、花嫁学校とはどのような位置付けだったのでしょうか?
5月の花嫁学校

監督:1960年代のフランスは、まだ発展していない農村部が多く、そのような地域で育った少女たちにとっては、花嫁学校に行くことで裕福な家庭の男性と結婚したり、都会で家政婦の仕事に就いたりでき、農家の嫁という厳しい生活から免れる希望を見出せたんです。私の母が雇った若い女性たちのほとんどは、海を見たことさえなかった。1960年代では、当たり前のように、海外に行ったことのない男女が大勢いたんです。
このような学校は、以前はあまりにもたくさんあったため、1968年5月以降に存続したものが一つもないというのは信じられないことですよね。農業系の高校になったものもありますが、それ以外の学校は、2年以内にフランス全土から消滅してしまったんです。

──本作で描かれた1960年代から時代は大きく変わりましたが、男女の格差や不平等は改善されたと思いますか?

監督:亭主関白な男性は少しずつ絶滅しつつあります。男性は、夫と同様に手に職を持つ妻と、家事と子育てを共有するようになった。男たちは無意識のうちにも、まるで調教でもするかのように女性を奴隷のように扱ってきました。今では別世界での話のように思えますよね。私がその世界にいたのは、遠い昔の話ではないのです。だからこそ、私はその世界のことをよく知っています。
しかしここ数年、全体主義の台頭や極右思想の影響で、女性たちを再び社会から家庭に戻そうとする動きがあります。それは、女性たちは仕事ができなくなり、子供を生むか否かを自分で決断できなくなり、自由を失うということを意味します。2017年の大統領選挙のわずか数ヵ月後に、中絶する権利についての議論が国会でなされるようになるとは、誰が想像していたでしょうか。

マルタン・プロヴォ

──女性の権利や解放というテーマを、軽やかなコメディタッチで描いた理由は?

監督:私はリサーチを深める中で、新しい領域とまではいかなくとも、せめてこれまでとは違った領域に足を踏み入れたいと思いました。もちろん、女性というテーマでそれを実現したいと思ったんです。変化をもたらすことのできる有能な女性たちが、笑いで我を忘れるような作品にしたかった。その笑いとは、悲劇から生まれるもので、私たち誰もが体験したことのある笑いです。
私たちは笑わなければ、自分自身や人間の置かれている状況を受け入れることができない。私たちの母親の世代も、祖母の世代も本作で描き出されている状況を体験している。それがはるか昔のことに思えるでしょうか? 実は、そんなに昔のことではないのですが、私たちは笑うことによって、そのような世界から遠ざかることができるのです。

マルタン・プロヴォ
マルタン・プロヴォ
Martin Provost

1957年、フランス・ブレスト出身。2008年、フランスに実在した素朴派の女性画家セラフィーヌ・ルイの生涯を描いた『セラフィーヌの庭』(08年)が批評家から絶賛され、興行的にも成功を収める。同作で初タッグを組んだヨランド・モローの主演女優賞をはじめ、作品賞・脚本賞を含むセザール賞7部門を受賞。13年に公開された『ヴィオレット ある作家の肖像』(13年)では、女性として初めて自らの生と性を赤裸々に書いた実在の作家ヴィオレットの実像を、彼女の才能を見出したボーヴォワールとの絆を軸に描き、高く評価された。『ルージュの手紙』(17年)では大女優カトリーヌ・ドヌーヴとカトリーヌ・フロの初共演を実現させ話題に。