『水を抱く女』クリスティアン・ペッツォルト監督インタビュー

“水の精 ウンディーネ”神話を現代に置き換えた、ミステリアスな愛の叙事詩

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水を抱く女

愛がどのように発展していき、心に残っていくのかを描きたかった

ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネは、博物館でガイドとして働いている。恋人に別れを切り出されたばかりの彼女の前に、潜水作業員として働くクリストフが現れる。運命に導かれるように惹かれ合う2人だったが、次第にクリストフはウンディーネが何かから逃れようとしているような違和感を覚え始める。

原題の「Undine」とは“水の精 ウンディーネ”を指し、精霊と人間との悲恋の物語は、古くは小説やオペラなど数々の芸術家をインスパイアしてきた。そんなウンディーネ神話の現代版とも言える本作『水を抱く女』を手掛けたクリスティアン・ペッツォルト監督にインタビューした。

愛する男に裏切られたとき、その女は…/『水を抱く女』予告編

──あなたの直近の映画はすべて、明確な歴史的または政治的背景を持っていましたが、本作は神話を出発点としています。なぜこの題材を選んだのでしょうか?

監督:私にはそれらがまったく異なるものと分類してしまって良いのかは分かりません。『東ベルリンから来た女』、『あの日のように抱きしめて』、『未来を乗り換えた男』と同様に、本作は愛についての物語です。しかし、それら過去作は不可能な愛、傷ついた愛、あるいは発展を予想させる愛について語っています。今回は愛がどのように発展していき、心にどのように残っていくのかを描きたかったのです。そして、非政治的な物語というものはありえません。政治は常に物語の中に入り込んでいます。

クリスティアン・ペッツォルト

『水を抱く女』撮影中の様子

──ウンディーネについて無数にある物語をすべて参照しましたか?

監督:いいえ。私は子どもの頃からウンディーネの物語について知っていましたが、あらゆることを間違って記憶してしまっています。そういった虚偽の証言や誤った記憶というのはおそらく台本を書くための前提条件ですね……。記憶しているお伽話、母親が読んでくれた神話、これらを読み直す必要はありません。それらの世界観は記憶に保存されており、物語を書く段になると、そうしたぼやけた所と明確な部分とが非常に重要になってきます。凝縮や要約はあらゆる伝承の中にあります。グリム兄弟などによって記録されたお伽話は、口伝を繰り返し、あるところは変化していきましたが、いくつかの点は同じままでした。私にとって映画は州立図書館で勉強することよりも、この口承の伝統に似ています。

──本作の主人公・ウンディーネはベルリンの歴史家であり、この街はご自身の作品の中で繰り返し独自の視点で取り上げていますね。

監督:私がこの映画を企画している頃、ベルリン市立博物館に展示されている素晴らしいベルリンの模型を見ました。ベルリンは辺り一帯を排水処理して整地し、沼地に建てられた都市です。そして、神話を持たない人工的で近代的な都市です。かつての貿易都市のように神話を輸入しました。沼地が排水されていくに伴い、旅商人たちが持ち込んできた神話や物語が、乾いていく干潟のように、この地に根付いていったと想像しています。同時に、ベルリンはそれ自身の歴史をどんどん消し去っている都市でもあります。ベルリンの特徴的な要素であった「壁」は、非常に短い期間で取り壊されました。ベルリンの過去と歴史に対して私たちは残忍です。フンボルトフォーラム(劇中に登場する、2020年にベルリンにオープンした複合文化施設)もまた過去の略奪なのです。私はこれらの破壊された過去、神話の残骸はウンディーネの物語の一部だと思いました。

──ウンディーネはお伽話のような人物だと思いますか?

監督:ウンディーネは人間になりたいお伽話の登場人物であるといえるかもしれません。そして、私たちは彼女がこの夢を実現するのを目撃します。彼女は既に人間です。彼女は人間であり続けたいと思っています。クリストフと一緒にダイビングに行くと、水が彼女を自分の一要素として引きずり込むように突然姿を消してしまいます。彼女は何も覚えておらず、「二度とここに戻りたくない」と言います。しかし、呪いと誘惑の世界、神話的な世界は、彼女を手放すことはありません。彼女に固執し、残忍で、彼女を引きずり落とそうとします。男性的な神話はウンディーネに惨めな死という逃げ道を残します。ウンディーネは男性の願望投影という所業から逃げなくてはならない女性です。

──そうした投影の呪いから逃れることは可能ですか?

監督:私はいつも100年ほど早く生まれてしまって、まだその時代にない何かを代弁する人々に興味を持っています。ウンディーネも彼女が背負わされた早すぎる呪いを批判し、闘わざるを得ないそのようなキャラクターの一人かもしれません。彼女を裏切ったヨハネスの元を去るとき、彼女は自由です。彼女は家に帰り、ベッドに横になり、愛する男によって蘇生されたときの曲「ステイン・アライヴ」を聴きます。彼女が自由なのはそのときですが、呪いが再び発動するのはこの瞬間でもあります。あなたが最も解放されたと感じるとき、それはあなたが最も脆弱であるときです。古い世界の呪いは、彼女の自由のためにありえない代償を要求します。彼女は自由な瞬間を手放さずに、自分の経験したことが消えないようにします。そのため、映画の最後は彼女の視点から世界を見ているショットです。それは非常に重要なシーンです。

──本作には水中シーンが多くありますが、水中での撮影にはどのような準備をしましたか?

監督:準備のためにたくさんの映画を観ました。私が知っている最も魅力的な水中映画は、リチャード・フライシャーの『海底二万哩』です。本作のすべての水中世界は、水を加える前に構築されました。アーチ道、植物、巨大な溝のあるダムの壁、タービンなどの制作にまず取りかかりました。本作に出てくるベルリンの模型のように、物理的で具体的な構築モデルには魔法が宿っています。俳優が水中を潜っていくとき、それは本物でなければなりませんでした。しかし、魚を訓練することは出来ませんから、アニメーションを使ってナマズを追加しました。

──水中シーンの撮影前に、俳優たちとリハーサルしたのですか?

監督:水中で俳優との接触はほとんどできず、実際に彼らとリハーサルすることもできませんでした。そのため、これらのシーンのすべての視線と動きについて、完全なストーリーボードと正確なショットリストを作成しました。これは特に撮影監督のハンス・フロムにとって非常に重要でした。撮影は私がよくするように、その場で決断をすることが出来ません。水中カメラマンがいて、私たちは地上のモニターで確認しました。俳優は水中にいる制作アシスタントを通して私達の声を聞くことができましたが、コミュニケーションを大幅に減らす必要があったので、俳優が水中に入る前に、すべての論理的側面に取り組みました。彼らはかなり疲弊していましたが、全力で推し進めてくれました。

──パウラ・ベーア(ウンディーネ役)とフランツ・ロゴフスキ(クリストフ役)は、監督の前作『未来を乗り換えた男』でも共演していました。監督から見た2人の一番の魅力は?

監督:『未来を乗り換えた男』の撮影中、映画に出てくるピザ屋でのランチタイムに、私は2人にまだ初期段階の本作の企画を話しました。それは私にとって楽しく、また彼らも物語を楽しんでくれていることに気づきました。彼らの相互作用には大きな信頼があります。これは今までに、他の俳優コンビの間で感じたことはありません。それがどこから来ているのかは分かりません。彼らのあらゆる触れ合い、あらゆる視線、すべてが信頼と尊敬と信じられないほどの解放感に満ちています。
私たちはいつでもすべてを一緒に話し合うことができます。パウラは非常に若い女優ですが、他の人が歳をとってからしか経験できないようなことを表現することができます。フランツは確実にドイツで最も肉体的な俳優です。そして、あのような目線を送れる俳優はそう多くいません。フランツの身体的側面は、彼の手さばき、ものに触れる様の素晴らしさでも見ることができます。フランツと一緒に居ると、彼がフィジカルに世界を捉えていて、それを楽しんでいるという印象を常に抱くのです。

クリスティアン・ペッツォルト
クリスティアン・ペッツォルト
Christian Petzold

1960年ドイツ、ヒルデン生まれ。ベルリン自由大学でドイツ哲学と演劇を学び、その後ドイツ映画テレビアカデミー(DFFB)で映画製作を学びながら、助監督を務めた。卒業後、いくつかのTV映画を監督。映画では2003年『WOLFSBURG』(未)でベルリン国際映画祭批評家連盟賞などを受賞、続く『GHOSTS』(05年/未)ではベルリン国際映画祭コンペティション部門出品、ドイツ映画批評家賞を受賞、『YELLA』(07年/未)では主演のニーナ・ホスにベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)をもたらした。『東ベルリンから来た女』(12年)ではベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞し、『あの日のように抱きしめて』(14年) はサンセバスチャン映画祭批評家連盟賞をはじめ多数の賞に輝いている。『未来を乗り換えた男』(18年)でベルリン国際映画祭コンペティション部門出品、『水を抱く女』では同映画祭の銀熊賞(女優賞)と国際映画批評家連盟賞のダブル受賞を果たした。