『旅立つ息子へ』ニル・ベルグマン監督インタビュー

愛息子との逃避行の末に、父が下した決断──父子の絆を描く感動作

#イスラエル#ニル・ベルグマン#旅立つ息子へ

ニル・ベルグマン

アハロンを苦しめる葛藤は、人生に悩む人々の共感も得られると思う

『旅立つ息子へ』
2021年3月26日より全国公開
(C)2020 Spiro Films LTD.

アハロンは自閉症スペクトラムを持つ息子・ウリのために仕事を辞め、大切に育ててきた。しかし別居中の妻は成人になるウリの将来を心配し、施設に入所させることを決める。定収入のないアハロンは裁判所から養育者として認められず、従うほかなかった。入所当日、施設へと向かう途中でパニックを起こす息子を見たアハロンは、ウリを連れてあてのない逃避行に出る。

父と息子の絆を描いた感動作『旅立つ息子へ』を手掛けたのは、東京国際映画祭で唯一、2度のグランプリ受賞歴を持つニル・ベルグマン監督。自身も父親である彼に本作への思いを語ってもらった。

天才児をもってしまった母の孤独。埋まらない溝に切なさ感じる

──本作の父子にはモデルがいるそうですね。

監督:自閉症の弟を持つ脚本家ダナ・イディシスが、ある時「弟と父が別れることになったらどうなるだろう」と思いを巡らせていたのだそうです。その疑問を核にして彼女と2人で脚本を書き始めました。感情豊かな登場人物の関係は、ダナの弟と父親をモデルにしています。
本作で自閉症スペクトラムの息子・ウリと、彼を育てる父・アハロンの関係が描かれますが、私はシンプルに“父親”を描いた作品と考えています。私自身、初めて父親になった日に息子を見て、心が震えたからです。この子は世界で一番、おだやかで優しく、壊れやすい存在だと。私は危険な世界から、この子を守れるだろうかと。アハロンも同じことを考えたはずです。ただ、アハロンは息子を守ることだけに目が向いていて、息子の成長に気付いていないようですが。

旅立つ息子へ

──自閉症を抱える若者やその家族、社会がそれをサポートする仕組みなどについて、リサーチはされましたか?

監督:ウリ役のノアム・インベルと2人で、自閉症スペクトラムの人々が生活する施設を何度か訪問しました。一口に「自閉症スペクトラム」といっても症状は幅広く、施設で出会った人々、それぞれが個性的でした。ウリの人物像は彼らを参考にしつつ、特別なキャラクターに作り上げました。
ロケハンのために訪れたイスラエル南部エイラットで見た光景も、映画作りに生かされています。まさに自分たちが描こうとしている物語が目の前に起きたんです! ランチをしているシングルマザーと自閉症を持った息子さんがいて、私たちは健気な彼の様子から目が離せなくなりました。すぐに親子に映画に協力してほしいとお願いし、彼らの生活にお邪魔させてもらいました。親子間の特別な絆や、2人が編み出した独自のコミュニケーションは映画にも取り入れています。今でも彼らと連絡をとりあっているんですよ。

──主人公2人のキャスティングについて教えてください。

監督:ウリ役には無名の俳優を、と決めていました。ノアムは、一次オーディションから光っていました。彼本来の魅力はもちろん、素晴らしい演技力に感動しました。あとでノアムの父が、自閉症スペクトラムを抱える若者の施設のマネージャーで、ノアム自身が施設の友だちに囲まれた環境で育ったことを知りました。彼のバックグラウンドがウリを演じることに大いに役立っていると思います。
アハロン役には色々な候補がいましたが、親子役のマッチングを試していたら、シャ イ(・アヴィヴィ)とノアムの間に美しい絆が生まれた瞬間が見えたので、すぐにシャイに演じてもらうことを決めました。

──ウリ役を演じたノアム・インベルのとても自然な演技に驚きました。

監督:ノアムは本作が扱うテーマや人物をよく理解していましたが、演じるのにそれだけでは不十分です。彼は徹底的に役作りに取り組んでいました。ウリという愛すべきキャラクターの中に、広い心の持ち主であるノアム自身の個性が生きています。才能ある彼の輝かしい未来を、私は心から信じています。
ウリの人物像は、あらゆる点でダナの弟をモデルにしていますが、映画として描くにあたり、キャラクターと俳優が一体になるように演出しました。映画は俳優が決まった瞬間から、新しい何かが起きなければいけませんし、俳優自身が与えられた役と一体化する必要があります。この相乗作用が完成したときに魔法が起きるんです。撮影中に脚本になかったニュアンスが生まれたのは、ノアムの演技がダナの書いた素晴らしいキャラクターと結びついたからでしょう。

旅立つ息子へ

──本作で描かれる父と子の姿は、国や世代を問わずあらゆる人が共感できるように感じました。

監督:息子を守ろうという父の思いは、国境や文化を越えて共感を呼ぶものだと思います。危険な世界から愛しい誰かを守るというテーマは、身近なものですから。私は劇中にある“ねじれ”がとても気に入っています。父親は息子のためにキャリアを捨てたのではなく、自分が繊細かつもろい性格ゆえに、子育てという盾を手にして現実逃避したのです。実は息子を利用している。アハロンを苦しめる葛藤は、人生に悩む人々の共感も得られると思います。

──コロナ禍で世界中の映画製作者たちが厳しい状況に置かれていますが、イスラエルの映画業界の現状をどう見ていますか?

監督:イスラエルの映画館は2020年3月から閉鎖され、今のところ再開の目処が立っていません。新作の撮影も停滞していて、ほんの数本が進行している状況です。ストリーミングでの公開を持ちかけられますが、やはり映画は観客にスクリーンで見てもらいたいですから……。パンデミックに対する政府の対応は、とても無関心かつ不合理です。私たちアーティストは優先順位で最下位とされていて、以前のように活動できるようになるのは最後だろうと諦めています。今は、映画を見に行くなど文化の息吹を吸うよりも、新しい靴を買う方がはるかに重要ということですから。しかしパンデミックが終息すれば、文化に飢えていた人々が映画館に足を運ぶようになると信じています。

──最後に、好きな日本映画があれば教えてください。

監督:日本映画が大好きで、イスラエルで最も有名な映画評論家の1人から、本作と是枝裕和監督の作品を比較され、とても誇りに思いました。私は現在、エルサレムのサム・スピーゲル学校で教壇に立っていますが、伊丹十三監督の『タンポポ』(85年)の1シーンを学生たちに見せるのが大好きです。夫が病気の妻に向かって、子どもらのため食事を作るよう命じます。そしてそれが、妻が作る最後の食事になるのです。このシーンは、若い学生たちには不条理に見えるかもしれませんが、笑っている学生もいます。私は毎回泣いてしまうんですよ。

ニル・ベルグマン
ニル・ベルグマン
Nir Bergman

1969年、イスラエル・ハイファ生まれ。1998年にエルサレムのサム・スピーゲル映画テレビ学校を卒業。2002年に『ブロークン・ウィング』で長編映画デビュー。同作で東京国際映画祭グランプリ、ベルリン国際映画祭パノラマ観客賞など、世界の映画祭で受賞を果たし、ソニー・ピクチャーズ・クラシックス配給のもと大成功を収めた。長編2作目の『僕の心の奥の文法』(10年)でも東京国際映画祭で2度目のグランプリを獲得し、史上初の快挙となった。以降も、監督・共同脚本を務めたTVシリーズ『イン・トリートメント』(08~10年)がHBOに採用されるなど高い評価を得ている。現在は、イスラエルを代表する映像作家の一人として、母校にて教鞭を執っている。