『ビバリウム』ロルカン・フィネガン監督インタビュー

理想のマイホーム探しが悪夢の始まりへ、極限のラビリンス・スリラー

#ビバリウム#ホラー#ロルカン・フィネガン

ロルカン・フィネガン

本作は、この世界にすでに存在するものを悪夢的に誇張しただけ

『ビバリウム』
2021年3月12日より全国公開
(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

新居を探す若いカップル、ジェマとトムは不動産業者の案内で新興住宅地“ヨンダー”を見学に訪れる。ひと気もなく、まったく同じ外観の家が延々と並ぶ奇妙な住宅街、そこは一度足を踏み入れたら出られない、マイホームの夢を悪夢へと変える迷宮だった。

ジェシー・アイゼンバーグとイモージェン・プーツが、理想の家探しから一転、住宅街に閉じ込められ極限の精神状態に陥るカップルを演じ、カンヌ国際映画祭の批評家週間で話題となったスリラー『ビバリウム』。アイルランド出身の新鋭、ロルカン・フィネガン監督が本作の裏にある社会的なテーマについて語ってくれた。

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──『ビバリウム』のアイディアはどのように浮かんだのですか?

監督:『ビバリウム』の脚本も手掛けているギャレット・シャンリーの短編小説を元に、僕が短編映画『Foxes』を作ったのが2011年。自然がはびこり荒れ果てた住宅地に住む若いカップルを描いたスーパーナチュラル物語だ。毎晩亡霊のような鳴き声をあげるキツネたちを追った妻が、隠された回路を見つけるという話。この住宅地は、アイルランドでバブル崩壊の結果生まれたものだ。好景気のバブル期には、何もないような場所に法外な価格の巨大な分譲住宅地が突然建設されて、銀行もその購入費用の全額をローンで貸してくれるような状態だった。それが2008年のリーマン・ショックで突如建設がストップ、多くの人がまだ半分しか完成してないような所に住まなくちゃならない事態に陥ったんだ。今では彼らの家には何の価値もないけど、それでも借金は返してゆかねばならない。いわば彼らはそんな場所に、経済的にも肉体的にも罠のように閉じ込められたわけだ。
おもしろいことに、僕は2007年の段階で、あの経済バブルの真っただ中に起こっていたことに想を得た『Defaced』という短編を撮っていた。僕はその頃グラフィティアートをやっていたんだけど、ストリートアートは破壊行為だとみなされていたのに、町中を埋め尽くしていた住宅ローンの貼り紙広告は平気で許されていたんだ。『Defaced』で描いたのは、銀行のポスター広告の写真の中から逃げ出そうとする男の話。グラフィティアーティストが対面の壁に落書きした娘に恋い焦がれてね。広告のキャッチコピーは“ローンを組んで人生の成功者になろう!”。『Defaced』では新築の分譲住宅ローンの広告だったのが、『Foxes』では実際にそのローンを組んで家を買った人たちの話につながっていった。

ビバリウム

『Foxes』で扱ったいくつかのアイディアが、その後も僕の頭から離れなかった。たとえば孤立、資本主義的な消費文化、社会の細分化、社会契約といったテーマだ。脚本のギャレットと僕はそれらテーマを組み込んで一本のSF映画、往年のTVシリーズ『トワイライト・ゾーン』の1エピソードのような映画が作れないかと考えた。今の社会が僕らをどんな方向に誘導しているのかというのを思い切り誇張して、結果そのバカバカしさや不条理さをあぶりだすような映画をね。
『ビバリウム』の資金集めには相当時間がかかったので、その間に僕たちは低予算で一本の長編映画『Without Name』を完成させた。どこか怪しい不動産開発業者に雇われて、アイルランドの原生林の測量に派遣された男の話でね。そこに森の守護神のような精霊がいるんだ。土地の所有という問題をテーマにしたサイケデリック・ホラーだよ。アイルランド人全員がとり憑かれているテーマだね。『Without Name』は2016年のトロント映画祭で上映されて好評を博した。そのおかげで『ビバリウム』制作のメドがたって、超自然的なセットを背景に抽象的なテーマを思う存分掘り下げてゆくことができるようになったんだ。
つまり、『Defaced』『Foxes』そして『Without Name』で扱ったそれぞれのテーマが『ビバリウム』の中に凝集されていったというわけだ。『ビバリウム』を完成させてやっと、不動産とか所有とかいう観念から解放されたと思うよ!

ビバリウム

──『ビバリウム』の住宅地はルネ・マグリットの絵画を思わせます。どのような意図が込められているのでしょうか?

監督:僕は“ヨンダー”という分譲住宅地の環境をどこかシュールレアリスム的に描きたいと思っていた。まるで自分が他人に売りつけられた夢の中に生きていて、しかも最後にはこれは悪夢なんだと理解するような。それはリアルでありながら同時にある意味人工的な環境である必要があった。シナリオ段階ですでに、“ヨンダー”はルネ・マグリットの「光の帝国」のような場所と設定されていた。つまりマグリットは最初から僕たちにとっての視覚的参考資料だったんだ。同時に、消費社会という概念も取り上げたいテーマの一つだったから、“ヨンダー”の住宅がどれも画一的であることも重要だった。ちょっとアニメっぽい、何の特徴もない平凡な家、まるで子どものスケッチのような家であることが重要だった。
そこでは雨も降らず風も吹かず、そして虫も自然も全く存在しない、“ヨンダー”はそんな場所でなければならなかった。光にもどこか人工的なところが欲しかった。企画開発中、CG合成で住宅地の模型を作成して、色味や質感をモニター上でいろいろ変えて試してみた。家については早々にミント系の緑色にしようと決めた。色の心理学的特質なのだけど、緑は自然の中では青々とした牧草地のように生命にあふれ解放感がある。でも、その緑にちょっと光をあてて、完全に人工的な環境下で建物の正面に貼り付けてみると、いきなり毒薬みたいな印象になるんだ。学校とか病院とかの公共施設で感じられるちょっと有毒な一面。さらに、そこで演じる俳優たちの顔に映えた緑っぽさが、彼らに病的な印象を与えるという効果もあったよ。

──ほとんどがスタジオ撮影ですが、ブルーバックのセットを背景にした演技にはどんな困難がありましたか?

監督:ある意味、“ヨンダー”の屋外がスタジオセットだということは理想的な環境だった。僕たちは不自然な作り物の環境の中でずっと撮影をしていたのだけど、それこそまさにこの映画の登場人物たちが“ヨンダー”に閉じ込められて生きざるをえなかった環境そのものだったから。カットの切返しごとに照明の向きを反転させなくてはならないという制約も、それによって方向感覚が失われることで逆にいい影響を与えてくれたと思うよ。ブルーバックが設置されたのは通りの両端だけだったから、それが何かに影響したということはない。俳優たちが反応しているのはあくまで常にその場にあるリアルなものに対してだよ。
実は最大の困難は、ジェシー(・アイゼンバーグ、トム役)が穴を掘るシーンだった。倉庫の床に穴をあけるわけにはいかないし、かと言って、穴の深さ分の高さを盛り上げたセットを作る予算もなかった。結局家の前庭を25センチほど盛り上げたうえで、ジェシーはとても浅い穴に入って演技をしなければならなかった。穴の底にあぐらを組んで座り、深い穴であるように見せたのさ。そしてあたかも穴を掘っているかのごとく、柄を半分に折ったスコップを見事に操った。まさに映画の魔術と結ばれた素晴らしい俳優だよ!

ロルカン・フィネガン

『ビバリウム』撮影中のロルカン・フィネガン監督(左)

──本作は現代の“極端にまで推し進められた画一性”について語っています。このテーマについてどんな考えをお持ちですか?

監督:自分の将来がすでに設計され、用意されている社会に生まれたことを考えると、とても奇妙な気持ちになるよ。僕たちは、自分が何を欲するべきかを指令するシステムの中にからみとられている。そこで人々の欲求不満を喚起するのに大きな役割を果たしているのが、広告と資本主義下の大量消費主義だ。そこにはもはや「必要」はない、あるのは何かが足りないという「欠乏感」だけだ。
触手を伸ばすように広がる、画一化された住宅からなる郊外という光景は比較的最近のものだけど、これは利益の追求その一点だけを目的とした結果生まれたものだ。不動産開発業者はどこからも遠く離れた地所を買い取って、そこにフラクタル図形よろしく最大限多数の住宅を建築する。何しろすべてが画一化された住宅だからコストは下がる。そしてこうやって売り出すんだ、「ここは都会の一切の喧騒から逃れられる隔絶された土地だけど、毎日の通勤には不便のない理想の場所だ」とね。貧富の格差の拡大もあり、自宅を所有するなんてことは夢のまた夢のようになってしまった。そこで広告があなたにこう吹き込む、「この場所こそあなたにとっての永遠の約束の土地なのだ」と。
こうした住宅地には自然と言えるものが全くないし、近所の人が集まれるような場所もない。人はそんな家を買うために莫大な借金をするんだけど、それは穴を掘っているのに等しい。その後の人生の時間を削って借金を返済してゆくのだから。当然、近所付き合いなんてないし、コミュニティなんていう感覚も生まれない。こんな奇妙な場所こそが、ぼくたちの生きる資本主義時代の必然的帰結なんだ。子どもたちは、見た目はともかく事実上親たちとは隔絶して、デジタル機器の中で日々を過ごしている。生命不在の場所を作るために自然が破壊される。希望に満ちた若いカップルをそこに置くことで、そんな人生がいかに奇妙でまた恐ろしいものであるかをこの映画で示したかったんだ。この映画は、すでに存在しているものを悪夢的に誇張しただけなんだよ。

ロルカン・フィネガン
ロルカン・フィネガン
Lorcan Finnegan

1979年、アイルランド・ダブリン生まれ。ダブリンでグラフィックデザインの学士号を取得した後、ロンドンに移り、人気SFシリーズ『ブラック・ミラー』のクリエイターであるチャーリー・ブルッカーの制作会社Zeppotronでモーションデザインや編集を担当する。のちに監督も任されるようになり、それ以降は短編映画やミュージックビデオ、CMなど幅広く映像作品に関わる。SXSWでプレミア上映され短編映画『Foxes』は、トライベッカ映画祭など数々の国際映画祭で高く評価され、アイルランド映画・テレビアカデミー(IFTA)賞では最優秀短編映画賞を受賞。また、初長編監督作となった『Without Name』はトロント国際映画祭でのプレミア上映後、シッチェス映画祭、ロンドン映画祭でも上映され話題を呼んだ。最新作『ビバリウム』はカンヌ国際映画祭の批評家週間でプレミア上映され、ギャン・ファンデーション賞を受賞。チャレンジングなテーマが評価され、批評家週間の中でも際立って注目を集めた。