『天上の花』東出昌大インタビュー

言葉では説明できないのが愛、愛って難しいですね

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東出昌大

三好達治と慶子は、出会わないほうが幸せだった

詩人・萩原朔太郎を父に持つ作家・萩原葉子の小説「天上の花―三好達治抄―」を映画化した『天上の花』。朔太郎を師と仰いだ詩人・三好達治を幼い頃から知る著者が、彼女の叔母に対する達治の強烈な愛の顛末を綴った一章「慶子の手記」を中心に、達治が長年恋焦がれた慶子と越前三国で一緒に暮らし始めた日々を描く。何よりも大切な存在なはずなのに、達治は自分を振り回す奔放な慶子と衝突を繰り返し、やがて暴力を振るうようになっていく。

天上の花

『天上の花』2022年12月9日より全国順次公開
(C)2022「天上の花」製作運動体

一途ゆえに苦しみ、相手も自分も傷つけていく達治を演じるのは東出昌大だ。達治と慶子の関係について、共感を得難い人物を演じることについて、最近の山での生活についてなど、多くを語ってもらった。

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──萩原葉子さんの小説を映画化で、実在の三好達治と彼が愛した女性の物語ですが、お話がきた時にまずどう思われましたか?

東出:荒井晴彦さんと五藤さや香さんと共同脚本ですが、荒井さんの世界観でこの『天上の花』を、というのは非常に楽しみだったので、ぜひやりたいと思いました。

──とはいえ、よくこの役を引き受けたなと思いました。

東出:でも、役と東出は結構違うので。もう今後なにも怖いものはないかなと思います。作品が面白ければ、ぜひどんな役でもやりたいなと思います。

──それでも、上辺だけでただ面白おかしく扱おうとする人もいるのではないか、と考えたりはしませんか?
東出昌大

東出:一瞬よぎったのかもしれないんですけど、何をしたって言う人は言いますよね。作品に向かう純粋な気持ちには嘘はないので、全力でお芝居をするということでいいのかなと思います。

──詩人・三好達治を演じるにあたって、どういう準備をされたでしょうか。

東出:まず、三好達治の詩と戦争詩の勉強、それから萩原朔太郎との関係もありますから、朔太郎についても勉強しました。

──東出さんは読書好きと聞いていますが、三好達治には以前からなじみはあったんでしょうか?

東出:そう、『測量船』っていうのは手元にあったので、確か読んだことがあって。ただ、覚えちゃいなかったですね。三好達治がどういう人なのかは、うっすらと、古典的というか格調高い方だというイメージでした。

──とすると、『天上の花』での三好達治像は少し違う面が見えた気がします。

東出:そうですね。萩原葉子さんが生前の三好達治さんから、「僕のこと、葉子ちゃん書くんだったら、好きに書いていいよ」と言われたらしいんです。三好達治の親類でご存命の方も、『天上の花』の中の三好達治と実在の三好達治は全然違うとおっしゃっていて、それは本当にそのとおりだと思います。萩原葉子さんがかなりバイオレンスを凄惨に書いたので、だからある意味では『天上の花』はフィクションだと思うんです。
でも、戦争詩というものを書きながら、時代に翻弄されて女性を愛した三好という人物はすごく映画的というか文学的というか。これが一般の三好達治像になることは好ましくはないんですけれども、フィクションだと思って楽しんでいただければと思います。

──実際に女性の名前も実際とは違う“慶子”となっていますし、萩原葉子さんも線引きをされている気はします。そのうえで、この物語で描かれる達治と慶子の関係をどう思われましたか?

東出:達治はやっぱり「愛していた」と思っていたんだでしょうね。自分は愛してるのに、って。でも萩原朔美さん(萩原葉子の息子で映像作家。本作にも出演)のお言葉を借りれば、「詩人が人を愛すなんてあり得ない」。詩人というのは自分の世界をどんどん広げていきたいパイオニア的な人だから、東出の見解では、もしかしたら達治は創作のためにミューズが欲しかったのかもしれないな、と思ったりもするんですけれど。ただ愛って重さが100グラムなのか1.5キロなのか、10トンなのか計れないので、達治が「愛していた」と言えば、それはそれで愛なのかなとも思ったりもします。

──私は達治と慶子は似た者同士に見えました。よく知らない相手に勝手に期待して、思い通りではなかったと失望する。そして、“似た者同士”と“気が合う”というのは違うことだと強く感じました。

東出:本当に出会っちゃいけない2人が出会った。有森(也実)さんが「2人とも悪くない」とおっしゃっていました。「2人とも悪くないんだけど、この2人は出会わないほうがお互い幸せだった」と。そんな恋、というか愛もあるのかなと思ったりします。

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創作活動と愛、結婚の狭間でぐちゃぐちゃに

──慶子を演じた入山法子さんとの共演について、暴力的なシーンも多かったですが、いかがでしたか?

東出:すぐ二人三脚みたいな感じになったように思います。クランクイン前に本読みがあって、その頃からちょっとずつお話はしてたんですが、インして最初の2~3日で撮影がものすごく押したんです。そういう危機感があると団結力は増すので、今後自分たちの衣装替えのタイミングなど、どこか削れるところはないか、とお互いスケジュールのことも含めて相談したり、撮り方について監督とお話する中で、意見を出し合ったりしたので、共に闘っている戦友みたいな感じでした。

──達治が慶子を殴る場面など、演技と分かっていても見ているのがつらいほどでした。

東出:女優さんの顔を男の手で本当に叩くと、腫れ上がって撮影が継続できなくなりますから。でも、ふりであっても、叩かれた後の慶子の顔がガラっと違うぐらい、入山さんもすごい覚悟を持ってこの芝居に臨まれてたと思うんです。
役者って、どこまでリアリティーを重視して何をやっていいのか難しいところだと思うんですけど、本当に殴るぎりぎり直前までお互いやってたように思います。

──撮影期間は2週間ほどだったと聞いています。すると、何度もテイクを重ねる現場ではなかったのでしょうか?

東出:最初の頃はテイク数が非常に多かったです。テイク数を重ねると、芝居が結局だんだん慣れてきちゃうんです。殴られるリアクションもそうだし、初めて殴ってしまって「ううっ」となる気持ちも、何回も何回もカメラ位置を変えてやるのは……できなくはないけど、引き絵でまずマスターを撮っておくと、気持ちがすんなり通っていると思います。クランクアップの日に撮ったトンネルのシーンは一発撮りでした。

──あの場面にはホラーを感じました。

東出:そうですね。ホラーですね。

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──愛なんだけど、ホラーという感じで。そこでお聞きしたいのが、この作品に寄せて東出さんが出されたコメントについてです。「愛ゆえに男が女を殴る」「悪魔的な、本人にとっては純粋無垢な愛」という一部を切り取ってしまうと、ネガティブに響いてしまいます。もう少し語っていただけますか?

東出:(女性を殴ることは)僕はしたことがないし、殴ってそれが愛だと言ってる人の心理は今までは信じられなかったんです。でも人の愛って、やっぱり分かり得ないじゃないですか。家庭内暴力のニュースを見た時、こんな殴る男なんて、と忌避感を覚えていたんですけど、いざ達治をやって、彼の弱さを知ったり、達治が本当に慶子のことを思っている気持ちを知ると、人のことって分からんな、とまず思ったんです。
それプラス、達治は詩人でした。ニーチェの言葉で「深淵をのぞき込む時に気をつけなければいけない。深淵もまたこちらをのぞき込んでるのだから」というのがありますが、深淵をのぞく作業ってものづくりだと思うんです。でも行き過ぎると深淵に乗っ取られて、怪物になってしまうことがある。達治はその世界で怪物になってしまった、という映画なのかなと思ったんです。達治は自分の命よりも何よりも一番この世で美しいと思ってたのは慶子です。それを壊しにかかるって、やっぱり僕は想像できない。だから、怪物の物語なんだろうなと思います。

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──達治の暴力は許されるものではありませんが、嗜虐的(しぎゃくてき)ではないように本作では見えます。

東出:これは結論付けることではないのですが、非常に自傷行為に近いなと思いました。
あと、発言の一部が切り取られて騒がれというのは、もうこの時代どうしようもないことだと思うんですけど、この『天上の花』の中においての三好達治というのは怪物だったとしても、怪物というのはやっぱり映画になり得るんです。ゴジラだって怪物だし、キングコングだって怪物だし、フランケンシュタインだって。そういう怪物を描いてる映画です。人間の形をしながら、ひどいことをする三好達治に思いをはせてみる。忌避感を抱いて触れないよりも、そういう真逆の価値観に触れる、怪物に触れるのは、それこそいろいろな考え方や多様性を生んだりするのかなと思います。

──戦争や軍隊にいた経験が三好達治を作ったという印象も受けました。
東出昌大

東出:セリフでもあるんですけども、そのように思います。僕も達治の生涯を調べて、プロデューサーの寺脇さんが一緒に語れる方だったので、たくさん話しました。陸軍幼年学校に入っていたのは、彼の人格形成において非常に大きかったんだろうなと思います。

──軍隊はまさに詩と真逆の世界のように思えます。

東出:萩原朔太郎を、孤高の大天才だと思って尊敬してた達治本人は、集団に帰属してる人間だったと思うんです。朔太郎はパイオニア的だし、どんどん新しい方向に行くけど、達治はボードレールとかゾラの翻訳をして、文学と向き合いながら、古典的な作風のものをいっぱい作った。古典というのはもともと何かあるところからの踏襲だったりします。達治は集団に属してるが故に、基本を格調高く守り過ぎたが故に、創作活動と女性を愛するということ、結婚するということの狭間でぐちゃぐちゃになったのが、この『天上の花』なのかなと思います。まっとうになりたい、いい詩人になりたかったんだと思います、心底。文学を愛してたし。だから不器用な方ですね、ここで描かれる三好達治は。

『天上の花』

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──こうでなければ、という思いが人一倍強い。その辺りは東出さんご自身とは違うような印象を受けます。

東出:僕はもう全く真逆ですね。アナーキストなんじゃないかなって、最近自分でもちょっと思うんですけど。反支配主義というか。なんで人間は人間を支配するんだろうとか、集団ってなんだろうとかを考えながらぼちぼち生きてますね。

──お話聞いてると、すごく達治のことを調べて、ご自身でも達治について考えて臨まれたのがわかります。そこで“俳優”というと主語が大きくなるので、東出さんは、とお聞きしますが、演じる役についてどこまで理解するべきだと思いますか? 分からないまま演じることがいい場合もありますか?

東出:こういう作家性の強い作品の場合は、東出がキャスティングされてる時点で、おまえこの人物になれるよな、なってみろ、という感じだと思うんです。一方、『コンフィデンスマン』におけるボクちゃんというのは、「もう詐欺やめる、詐欺やめる」って言いながらも、ずっと続けている。演じていて、なんで?って思うけれど、それは別にどっちでもいいんです。そのどっちでもよさが余白になったり遊びになったり、その不自然さが逆にチャーミングに見えたりもすることもあるんです。『天上の花』、『とべない風船』、『Winny』(2023年公開予定)と続いた作家性のある3作品は、とにかくその人物になれるように、なれるようになれるように、時代を調べて、人を調べて、本を読んで、原作読んで、いっぱいいっぱい繰り返してその人物になるっていうことを目標に、僕は役作りをするように思います。

──今回三好達治を演じてみて、何か発見したことはありますか?
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東出:これは再発見というような感じだと思うんですけれども、やはり萩原朔美さんの言った、「自分は散文家だ」と。「言葉を手段にしてるけど、詩人というのは言葉が目的だ」と言っていて、現代アートもやっぱり物を作るということが目的だと思うんです。金を稼ぐための手段ではなく、それを目的にしてる人たちの孤高の苦しみというのは、本当にすごいんだなと思いました。

──俳優という仕事もそうではないでしょうか。

東出:俳優という仕事は、僕が思うに与えられたものをまた調べて、自分の血肉にして、いい材料になるっていうことだと思うんです。映画は監督のものだと思っているので、僕はいい材料になりたいな。そのためには、日常的に例えばご飯作りながら考えることもあれば、山を歩きながら「いい役者って、いい芝居って、どういうふうにやれば……」と考え続けはするんですけれども、僕はゼロから生むんではなく、1だったり10だったりするものを広げていくお仕事だと思うので。生きるということを、手段じゃなく目的にして、この目的の末に何があるんだろうというのは日々考えてるので、役者という仕事よりも、そっちのほうが近いかもしれませんね。

──話が少し戻りますが、「悪魔的な、本人にとっては純粋無垢な愛」とコメントされましたが、「悪魔的な」を取った愛とは、東出さんにとってどういうものですか。

東出:昨日、たった50秒のYouTubeの海外の動画を見たんですが、チンパンジーが自分の子供が死んだと思っていたのに、その子が動き出した時にぎゅってつかんで、こうやって(子どもを抱く仕草で)体をゆらす動画があったんです。愛だな、と思いました。言葉では説明できない、もう愛(いとお)しくて愛しくてしょうがないっていうのが愛だなと思います。
僕は狩猟をやるので、親子の鹿がいた時に、親鹿を捕ると子鹿がその周りで鳴いてたりするんです。これは愛なのか、お母さんがいないと生存できないが故に本能的に鳴いてるのか、それは鹿さんに聞けるわけもないので分からないんだけど、愛ってなんだろうな、と思いながら、それでも僕は身近な好きな人や友人に鹿肉を振る舞って、みんなで食べて「うまいうまい」と言ったりしてる。なんでしょうね、愛って。愛って難しいですね。

──この映画で達治の慶子に対する振舞いを見ていると、愛と憎しみの関係についても考えさせられます。

東出:無償の愛ということでコーティングされてるんではなく、慶子にこうしてほしい、こうあってほしいっていう期待が裏切られた時に、憎しみが生まれたりすると思うんです。難しいですね。この時代の女とは、という期待があったから、おかしなことになってるんじゃないかなと思ったりします。
でも期待しないというのも……それが愛なのかなとか思ったりしますよね。期待ができるというのが、健全に人を好きってことなのかなって思ったりもするし。

──撮影で印象に残っていることはありますか?

東出:一瞬怖い顔するところがあるんです。慶子に「1万円あげたら戻ってきてくれますか?」と言う場面です。あれは「どのくらいにしましょう?」と監督に聞いて、「どれくらいまでできる?」と言うから、「相当気持ち悪い顔もできると思うんですけど」と(笑)。あれはちゃんと狙いに行って、やり過ぎたかなと思ったんですけど。お芝居って、人物になってる場合もあれば、作為を持って演じることもあって、あれは作為なんです。作為があるものを自分で見ると、やっぱり気恥ずかしいんです。作為があるから。でも、あの気持ち悪さが良かったと言ってくださる方もいらっしゃったりするので。

──昨年、『草の響き』の時に斎藤久志監督とは共犯関係と表現されましたが、今回の片嶋監督とはどんな感じでしたか?

東出:今回も喧々諤々と言い合いました。監督が「俺はな、よく自爆するって、ほかの映画人から言われるから」と言うから、「じゃあ、今回は自爆しないテイク数の撮影にしましょう」と言って、意見出し合ったりしてました(笑)。でも今もすごく仲良くて、この前も京都で撮影した時に、片嶋さんはその作品のプロデューサーだったんだけど、2人で飲み行って、「おまえとサシで飲むの初めてだよな」と言われました。人相は軍曹みたいですが、お話すると、先輩ではありますが、すごい可愛らしいというか。大好きな人ですね。

──東出さんは最近、山暮らしをされていますが、達治の三国での生活に影響を受けたりしたんでしょうか?

東出:それはないです。でも、似たようなボロ屋に住んでますけど(笑)。

東出昌大

──小屋を建てているというお話も聞きました。

東出:そうです。小屋建ててます。もう屋根は終わって、だから柱と屋根終わったので、あと内側の床を張って、流しを入れて、かまどはあるので、あと壁をつけて完成です。この冬のうちにやりたいなと思ってます。

──冬はかなり寒そうですね。

東出:寒いです。厳冬期はマイナス15度ぐらいになるので。で、屋外でご飯食べてるので。

──冬でも?

東出:冬でも。でも今は取りあえず仮住まいの周りに農業用のビニールを張って暖房器具としてるので、まだいけるかなと思いますね。

──田舎と東京と2拠点生活する人は増えてきましたが、大抵は畑で農産物を作るというスタイルです。狩猟生活というのは珍しいと思いますが、なぜだったんですか。

東出:「ぼくは猟師になった」っていう本を読んで、「自分で肉を捕って食べる。それがまたうまい」って書いてあったので、そういう生活してみたいなと思ったんです。もともと動物が好きなんです。動物に肉薄できるっていうのもすごいうれしかったし、それで猟師を始めたっていう感じです。

──肉薄して、好きである動物の命をとる。どんな心境になりますか。

東出:やっぱり感じてしまうものは感じてしまうので、うわ、すごいことやってんなとか、かわいそうとか、感じてしまいます。「かわいそうなんて言ってるやつは山来んな」とおじいちゃん猟師が言ってたんですけど、感じてしまうことは感じてしまうので、これはもう防ぎようがないです。でも女性猟師さんの話を伺ってると、「え? かわいそうなんて思わないよ。だって食べるためじゃん」とか言われると、ああ、そうなんだとか。猟師の中でもいろいろいますね。そういう価値観に触れられるのも面白いし、命ってなんだろうと考えながら捕って。
この前も夜、車で走ってたら道路になにか落ちていて、車を止めて見てみたらカモだったんです。カモが死体で転がってて、血抜きもされてないし外傷もなかったんですけど、持ち帰って調べてみたら心臓発作で死んでたんです。心臓の周りがうっ血していて。そういう動物の死体も食料にできるので、無駄がないと思ったり。

──山生活に関するドキュメンタリーを撮影したと聞きました。

東出:撮ってます。

──ドキュメンタリーの被写体になるのは、俳優としてカメラの前に立つのとは違いますか?

東出:全部さらけ出してます。(監督である)エリザベス宮地さんという作家さんを信じて。でも、それでもやっぱり格好つけてしまうこととかあるのかもしれないんですけど、「カメラを忘れてる瞬間あるね」ってよく言われます。

──それを拝見するのも楽しみです。最後に、去年お話を聞いたとき、自己表現をしたいのか、そうでもないのか、承認欲求が強いのか、そうでもないのかも分からないとおっしゃっていましたが、その感覚は今も変わりませんか。

東出:変わってきました。承認欲求は著しく低いと思います。ただ仕事が人前に出る仕事なので、出る限りは精いっぱいやらねばと思うのですが。どっちでもいいと思うことが増えてきたというか、自分がどう思われようと、何を言われようと、基本的に僕自身が他者に対して“どっちでもいい”んです。人の耳目にさらされる仕事だけど、全部の声を気にしていたらなんのために生きてるか分からなくなっちゃうので、自由に好き勝手生きようと最近は思っていて。その気持ちと承認欲求って、つり合わないので。人に心配されるぐらい承認欲求はないのかもしれないです。でも映画が好きなので、いい芝居をしたいとは思います。すごく。『草の響き』の時も『天上の花』も『とべない風船』もきつい役をやるのはもちろん、きつい。でもオファーが来たら全力でやります。

とべない風船

『とべない風船』 2023年1月6日より全国順次公開(2022年12月1日より広島先行公開)
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──そういう役が続くと、演じること自体がつらくなりませんか?

東出:も、たとえば三好達治みたいに女性に手を上げるという価値観は、もともと想像もしたことなかったんです。そういう全然自分とは違う人のことを想像して調べて、という時間は、もしかしたら僕の人生を豊かにしてくれるかもしれない。お金の話は関係なく、お仕事で得られる人生の楽しさはあるんだろうなと思います。これからもお仕事がある限りは全力でやります。

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(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)

東出昌大
東出昌大
ひがしで・まさひろ

1988年2月1日生まれ、埼玉県出身。2012年、映画『桐島、部活やめるってよ』で俳優デビューし、第36回日本アカデミー賞新人俳優賞等受賞。主な出演映画は『クローズ EXPLODE』(14)、『GONIN サーガ』(15)、『聖の青春』(16)、『寝ても覚めても』(18)、『菊とギロチン』(18)『コンフィデンスマンJP』シリーズ(19~22)、第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作『スパイの妻』(20)、『Blue』(21)、『草の響き』(21)など。『とべない風船』が広島先行公開に続き、2023年1月6日より全国順次公開予定。公開待機作は2023年3月公開『Winny』、2023年公開『福田村事件(仮)』など。