若さに敗北した賞レース、勝者を称えたデミ・ムーアの境地と見事な女優人生

#この俳優に注目#サブスタンス#デミ・ムーア

サブスタンス
『サブスタンス』
(C) 2024 UNIVERSAL STUDIOS
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『サブスタンス』が描く世界に酷似した番狂わせ

【この俳優に注目】デミ・ムーア

今年3月に発表されたアカデミー賞で最大の番狂わせと言えるのは、前哨戦の主演女優賞をほぼ総なめにしていたデミ・ムーアが受賞を逃したことだろう。

栄冠を手にしたのは、『ANORAアノーラ』で鮮烈な印象を残した新鋭、マイキー・マディソン。ムーアと同じく初ノミネートだったが、40年以上の芸歴を誇る62歳のムーアに対し、マディソンはデビューして10年の26歳。キャリアのあるベテランが若さに敗北する展開は、ムーアの主演作『サブスタンス』が描く世界と酷似する構図だった。

デミ・ムーアの波乱万丈な半生を詳しく紹介する過去記事はこちら。【この俳優に注目】復讐劇『フュード』で悲劇のセレブ妻を熱演したデミ・ムーア

自身を投影したかのような役に挑む

『サブスタンス』の主人公エリザベス・スパークルは、かつて絶大な人気を誇った映画スターだったが、現在はTVのフィットネス番組が主な仕事だ。レオタード姿にはつらつとした表情で毎回収録に臨んでいたが、50歳の誕生日にプロデューサーから年齢を理由に降板を言い渡される。

サブスタンス

『サブスタンス』 (C) 2024 UNIVERSAL STUDIOS

絶望した彼女が、違法な再生医療「サブスタンス」に手を出した結果、彼女の背中から若く美しい女性が誕生する。やがて彼女は「スー」と名乗り、若さと美貌にベテランの記憶と経験の合わせ技で新たなスターとして一世を風靡する。しかし、「サブスタンス」に課された絶対的なルール1週間ごとの入れ替わり>を一方が破ったことで、完璧なはずの計画に狂いが生じ、ふたりは凄絶な負のスパイラルに呑み込まれていく。

エリザベスというキャラクターは、ムーアにとって、自身の人生を投影したかのような存在だ。

破格のギャラを得る女性スターとしてヒット作を連発するも……

1980年代、ムーアはハリウッド青春映画のブームを担った「ブラットパック」の一員として名を馳せ、『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)や『ア・フュー・グッドメン』(1992年)といった大作で不動のスターとなった1990年代、当時の女性スターとして破格のギャラを得てヒット作も連発したが、劇場を大入りにさせる「ポップコーン女優」と呼ばれても、映画賞などの栄誉は縁遠い存在でもあった。

私生活では1987年にブルース・ウィリスと結婚し、三女をもうけたが、30代後半になるとキャリアは低迷し、ウィリスとの離婚も経験した。映画界から認められないという疎外感に苦しむなか、16歳年下のアシュトン・カッチャーと再婚するも、数年で破局。離婚騒動は泥沼化し、摂食障害や薬物依存にも悩まされた。

そんな彼女にとって、人生を振り返り、ハリウッド・スターとしての重圧を自分の言葉で綴ることは、ある種のセラピーになったかもしれない。

生まれる前に両親が離婚し、依存症で自殺未遂もした母との愛憎、そして自身の依存症や人間関係における苦悩を赤裸々に綴った回想録『Inside Out』を2019年に発表した。

直後にコロナ禍が始まると、ロックダウン中はブルース・ウィリス一家とムーア一家が一緒に別荘で過ごす様子をSNSで発信し、明るく吹っ切れた表情を見せた。だが今年1月、ゴールデン・グローブ賞主演女優賞のスピーチで、「数年前、もう終わったかもしれない、やるべきことをやり遂げたのかもしれないと思うようになりました」と、密かに自信喪失に苛まれていたことを告白した。

自身が経験した栄光と闇を注ぎ込んだ熱演が絶賛

そんな「まさにどん底にいた頃」にムーアのもとに届いたのが、『サブスタンス』の脚本だった。「魔法のような、大胆で勇敢で、型破りで、とんでもなくクレイジー」と彼女が評したその物語。実年齢よりやや若いエリザベスの苦悩を、ムーアは痛いほど理解したに違いない。

45年を超えるキャリアの中で経験してきた栄光と闇、そのすべてを注ぎ込んだ熱演は、昨年5月のカンヌ国際映画祭でのプレミア上映直後から絶賛を浴びた。その後、数々の映画賞での受賞を重ね、ムーアは念願のアカデミー主演女優賞に初ノミネートされ、「このうえない名誉。この評価は私だけでなく、映画が象徴するものすべてへのものです」と、謙虚にその喜びを語った。

『サブスタンス』

『サブスタンス』 (C) 2024 UNIVERSAL STUDIOS

フランス出身の監督コラリー・ファルジャとムーアは、加齢を理由に追いつめられるエリザベスの姿を通し、男性優位のハリウッドを鋭く風刺した。下衆で傲慢なプロデューサーの役名はハーヴェイ。#MeTooの引き金となったワインスタインと同じ名を持つその人物は、若い女性を使い捨てる業界の象徴として描かれる。彼に番組降板を言い渡されたことがすべての始まりだったが、ムーアは2000年代、出演作の減少や整形疑惑報道に苦しんだ過去を思い起こしながら演じていたのだろう。

摂食障害や過度なトレーニングで自らを追い込んだ経験を見つめ直したムーアは、英「The Guardian」紙のインタビューに応えて、「私たちは、自分自身にどれだけ暴力的になれるのか、どれほど残酷になれるのかを理解しています」「自己批判、完璧主義、欠点を排除しようとすること、拒絶に絶望すること。それは女性だけの問題ではありません」と語っている。

『サブスタンス』

『サブスタンス』は、第97回アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。
(C) 2024 UNIVERSAL STUDIOS

若さや栄誉、他者の視線から解き放たれたデミの境地

エリザベス=スーが突き進む先には、悪夢のように強烈な結末が待ち受けているが、ムーアが今いる境地はそれとは大きく異なる。

3月のオスカーではマイキー・マディソンに受賞を譲ったが、すでにその結果を予感していたというムーアは授賞式では彼女に温かな拍手を送り、翌日には「マイキー・マディソンに大きな祝福を」とインスタグラムに投稿している。

「なりたい自分」ではなく、「ならなければならない自分」を突きつけられる。その強迫観念に呑まれてしまうのがエリザベス・スパークルであり、一度押しつぶされかけながらも跳ね返したのがデミ・ムーアだ。若さ、栄誉、自分を値踏みしようとする他者の視線から、ついに解き放たれた彼女の佇まいは、「自らを愛する」とは何かを、静かに観客に問いかけている。(文:冨永由紀/映画ライター)

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『サブスタンス』は、全国公開中。