『死刑宣告の女性弁護士』舞台挨拶で紛争と無関心の危うさを訴え
TBSテレビおよびJNN系列局の記者・ディレクターが世に送り出してきたドキュメンタリーを上映する「TBSドキュメンタリー映画祭」が、3月27日より大阪・テアトル梅田、名古屋・センチュリーシネマ、京都・アップリンク京都の各会場で開幕。3月27日~3月29日までの3日間で、計14回の舞台挨拶が行われた。
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29日、加古紗都子監督と難民支援活動家のサヘル・ローズによる映画『死刑宣告の女性弁護士 アフガンからの脱出』上映後の舞台挨拶が開催された。作品とサヘルの言葉を通して、紛争の現実や難民の状況、国際社会が抱える課題が語られた。加古監督は、本作を通じて紛争の背景にある複雑な人間関係や、日常が容易に脅かされる状況を伝えようとした意図を明かし、日本社会における難民問題への理解を深める重要性を訴えた。
サヘルは開口一番、「ペルシャ絨毯に乗ってイランからやってまいりました!」と会場の笑いを誘い、「笑ってくださって嬉しいです。こうして笑顔になれるこの瞬間は本当にかけがえのないもので、世界の向こう側では、映画を見たり考えたりする時間、さらには対話そのものが減りつつあります。こういう時間を設けることができ、今日は皆さんと対話をさせていただけたらなと思っています」と挨拶した。
続いて加古監督は、「この2年半、世界の女性に目を向けると、日を追うごとに混乱が深まっていっています。私自身、非常に忸怩たる想いを抱いているのも事実です。実はこの映画で全編の通訳を担当してくださったイランの方が、現在テヘランに住んでおり、毎晩のように空爆に怯えながら、なんとか生き延びている状況です。先週になってようやく連絡をくれました。この作品を通じて知り合ったパキスタンの外交官の方は、テヘランの大使館に勤めていて、アメリカとイランの仲裁に向けて働きかけを行っているところです。そして、なかなか報道されませんが、実はアフガニスタンでも断続的に戦闘が続いていて、多くの市民が亡くなっている現実もあります。でもこういった中だからこそ、皆さんに今日映画をご覧いただき、世界の難民を取り巻く、現状についてお伝えできたことは非常に意味があることだ感じています」と現状への思いを語った。
難民支援に携わるサヘルは、「難民居住地、難民キャンプ等での支援として大事にしているのが教育です。映画の中でお母さんたちが異国に行ったのは、子どもたちが教育を受けられる場所を守っていきたいという思いも強いと思います。なぜなら、かわいそうな眼差しとか、『かわいそう』『大変そう』という感想では何も変えられない。重要なのは、一人一人がきちんと教育を受けられる環境を作っていくことだと思います。皆さんが今、文字を読み書きできて、こうやって彼らの話を字幕を通して読むことができ、耳を通して話を聞くことができている。この一瞬一瞬がどれほど皆さんにとって宝物なのか、こういう出来事に対して関心を持ち続けてもらいたいと思っています。無関心が生んでしまった結果が、今世界中で起きている戦争、差別、紛争だと思います。私たちが傍観者でいるということは、すなわち加担者なんです。国家の行いは国民に降りてきます。皆さんにとって政府がどんな動きをしているか、全く関係のないことではなく、トップが動くことやその発言が全部、嫌でも国民に責任が降りてきます。皆様には加担者にならないでほしい。そのためには傍観者でいることを、もうやめて欲しいんです。大事なのは、一人一人が関心を持って社会の動き、自分の立ち位置、選挙を通して権利を行使し、自分の意見を主張すること。意見が違っていて当たり前なんです。この社会に必要なのは生きること。生きるためには手を取り合うこと。分断は何も生まない。共存するためには暴力的な発言ではなく、どのように対話するか。この対話をすることを、どうか放棄しないでほしいです。そのためにはこういう映画を通して、いろんな人たちの考え方、いろんな人の生き方に出会ってほしいなと思っています」と語り、現状への問題提起とともに未来へのメッセージを投げかけた。
最後に加古監督は「私たちにできることって何だろう?とよく聞かれます。傍観者にとどまらずにきちんと声を上げること、この日本という社会が間違った方向に進まないために、記者である私以外の皆さんもぜひ声を上げていただきたい」と締めくくり、舞台挨拶は幕を閉じた。

2005年に兵庫県尼崎市で発生したJR福知山線脱線事故。当時30歳で事故に巻き込まれ、重傷を負いながらも奇跡の生還を果たした鈴木順子と、その家族を追った『鈴木順子「私は生きる」ー脱線事故20年、記憶の軌跡ー』の舞台挨拶には、橋本佐与子監督、鈴木順子、母の鈴木もも子が登壇した。
橋本監督と同じMBSに所属し、日頃から親交のある西靖アナウンサーが司会を務め、「橋本監督が20年にわたり折に触れてお伺いしていましたが、『しつこいやつだな』と思いませんでしたか?」と問いかけると、もも子は「飽きもしないで20年もよく来ていただいたと思っています」と笑いを誘い、「当時は恥ずかしいとかも抜きにして、マスコミの皆様に来ていただきました。マスコミの方々を含め、多くの皆様に、(特に当初は)孤独であったところを一緒に乗り越えていただいたなと思っています」と当時の状況やマスコミへの思いを語った。
本編中の人物について話が及ぶと、橋本監督は事故の翌年に亡くなった長谷貴将医師に言及し、「当時、車両内で第一救命救助に入られ、順子さんをヘリコプターへ送った医師に会いたかったと考え、昨年そのご遺族である奥様に連絡をとらせていただいた」と経緯を明かした。もも子は「近所の方々や医療関係者、さらにはJRの担当者など、多くの方に支えられました」と感謝を述べた。
橋本監督は、順子によるちぎり絵作品「私は生きる」の額を観客に披露し、力強く描かれた言葉とともにフォトセッションに応じた。

名古屋会場で初めて行われた舞台挨拶は、地元CBC制作の作品『劇場版 盗るな撮れ~罪と少年とケーブルTV~』。昨年の監督作『劇場版 僕と時々もう1人の僕~トゥレット症と生きる~』が上映された柳瀬監督と、本作で描かれる当事者の一人である林龍太郎が登壇した。
柳瀬監督は冒頭、「更生は簡単ではなく、一筋縄ではいかないということを伝えたかった」と強調。林は、テレビ版として取材・制作が進められていた際に柳瀬監督から「この番組を映画にしたいんです」と言われ、「本気なのか?」と思っていたが、こうして無事に上映できてよかった」と振り返った。
林は「少年は受刑者だから雇用しているのではなく、彼の稀有な体験も含め、能力を評価しているからです」とも語った。諸事情により、林と少年はワンルームで同居しているが、彼との接し方を見直し、「これまではスマートフォンを持たせないなどの制限をしていたが、成人になったので制限が緩和され、現在は本人の意向に沿った生活を送っている。今後、彼がどうなっていくのか楽しみです」と語り、トークを締めくくった。

自身が難病である「パーキンソン病」と診断されたテレビマン・増山賢監督。その体験を記録したセルフ・ドキュメンタリー『やまない症動ー死ねない難病に挑むテレビマンの記録ー』の大阪上映に際し、増山監督と、パーキンソン病患者の尊厳の確保や療養生活の質の向上などを目指す全国パーキンソン病友の会代表理事・丸山美重、同会大阪支部の会員である藤川好美、佐合孝之、佐合雅美による舞台挨拶が行われた。
自身も当事者である増山監督は、「この病気の“初心者”で何もわからないので、『“先輩”である友の会の皆様に“舎弟”としてお知恵を拝借したい』という思いから、全国パーキンソン病友の会にアクセスした」と語った。
代表理事の丸山は、「私の発症の告知も子どもを産んだ後で、監督の状況と重なる部分があった」と振り返った。
同会大阪支部の佐合孝之は、「監督はまだ闘病が6、7年ほど。まだまだ〝あまちゃん“やな、と」と笑いを誘い、佐合雅美は「私は今で19年目。それぞれの時期に、それぞれの辛さがある。負けずに頑張りましょう」と呼びかけた。
増山監督が「長年病気と付き合ってきている“先輩方”の姿を見て、この先10年、15年と映画を作り続けていけるんじゃないかと勇気づけられている」と語ると、藤川は「次の主演は私で!」と発言し、会場を沸かせた。増山監督は「症状は日によっても人によっても違う。辛い病気ではありますが、前向きに取り組んでいきたい」と締めくくった。
愛知県での舞台挨拶には、パーキンソン病友の会愛知県の黒岩芳彦支部長、石原法子理事が登壇した。東京での公開後、大阪・京都を巡った最終地となる舞台挨拶は、作品を通じて病と向き合う人々の思いが共有される場となった。
増山監督は本編と同様にカメラを手に登場し、「見た目では分かりにくいが、誰にでも起こり得る病気」とパーキンソン病への理解を呼びかけた。
発症14年の石原は、同じ病を抱える仲間とのつながりに支えられて生きていると語り、映画に深く共感したと振り返った。
一方、黒岩は症状の進行に戸惑いながらも「笑顔を作ることで心を保ってきた」と語り、「できなくなった分、新しい楽しみを見つけている」と前向きな姿勢を示した。
また石原は「隠さず伝えることが大切」と、自身の経験から周囲への理解の必要性を強調した。
トークの途中、増山監督はカメラを三脚に置き、「実はカメラを持ち続けることも難しくなっている」と自身の身体の変化を明かし、現実と向き合いながら記録を続ける覚悟を語った。
終盤には黒岩が涙ながらに「一人では闘えない。仲間や医師の支えが力になる」と訴え、石原も「症状は人それぞれ。だからこそ知ってほしい」と呼びかけた。
最後に増山監督は、観客に作品を広めてほしいと願いを託した。三者に共通していたのは、パーキンソン病への理解を社会に広げたいという強い思いだった。
京都での初日には、増山監督が全国パーキンソン病友の会代表理事の丸山美重、同会京都府支部会員の井内康博をゲストに迎えて舞台挨拶を行った。
増山監督は「パーキンソン病と宣告されたものの、まずパーキンソン病がどんな病気なのかわからない。100人の患者がいたら100通りの症状があると言われるように、症状も千差万別で、人に説明することもままならない。先が見えなさすぎて、普段取材するようにカメラを手に取って同じ病気の先輩方にお話を聞き始めました。それがこの映画の始まりでした」と語った。
これに対し井内は「自分も宣告を受けた当初は、ひとりではわからないことだらけで不安でしたが、(全国パーキンソン病)友の会に入り諸先輩方が笑顔でおられることに大変救われた。入会するまでは悩んだんですが、入会は自分にとって大きな一歩で、景色が変わりました」と振り返った。
さらに丸山は「パーキンソン病は大変な病。どの病気もそうかもしれないが、この病気を宣告されると精神的ダメージがとても大きく、友の会に来られる方の多くは、当初は落ち込んでいらっしゃる。でも今、ここにいる我々は笑っています。それは笑顔でいることが何よりの薬だと思っているから。それを同じ病気の方々に伝えたい」と語り、会場は温かい拍手に包まれた。

数々のドラマの脚本を手がけ、これまでメディアに登場することのなかった脚本家・野島伸司に密着した『野島伸司 いぬ派だけど ねこを飼う』。津村有紀監督は「なかなか表には出てこなかった野島伸司さんの姿を、このような形で映画として残せることが嬉しい」と喜びを語った。
舞台挨拶には、野島と高校の同級生である近藤靖も登壇し、「映画を見て端々に書き手の重みがあると感じて、同級生として誇りに思います」と率直な思いを明かした。
津村監督は本作の製作経緯について問われ、「野島さんとは以前から親交があり、あるときクリエイティブの話題になりました。自分の中には4人の人格があって書き分けているというような話を聞いたんです。これは自分だけでなく、記録として残すべきだと思い、映画化のお話をして実現しました」と秘話を語った。
学生時代の印象について近藤は、「高校時代の彼は、ほとんど寝ていて誰とも話さないようなシャイな奴だったんです。今回の映画でも何も話さないんじゃないかと思っていたんですが、たくさん話していて驚きました。当時の彼が、将来これほど多くの名作ドラマを描くようになるなんて思いもしなかった」と振り返り、旧知の仲ならではのエピソードを披露した。
最後に津村監督は、野島作品の魅力について「野島さんの作品には、常に勇気と好奇心が溢れていて、それがクリエイティブな情熱を保ち続ける秘訣なのだと思います。この映画が、皆さんの勇気と好奇心が何かの情熱へと繋がるきっかけになれば嬉しい」と締めくくった。

TBSの番組『THE TIME,』内で放送されたオーディション『THE LAST PIECE』に、インタビューなどの新規映像を加えて映画化した『THE LAST PIECE -Glow of Stars-』。愛知会場での舞台挨拶で映画化の経緯について問われた北村監督は、「昨年9月に『THE LAST PIECE』が完結し、STARGLOWというグループが生まれたタイミングで、映画の話がありました。これまでに描き切れていなかった部分も多く、STARGLOWとしてデビューした今だからこそ5人に『THE LAST PIECE』を振り返ってもらったら、どういう言葉が出てくるんだろうとか、きっと今だからこそ聞けることがあるんじゃないかと思い、本作で一緒に監督をしている川口監督と『THE LAST PIECE』を振り返るような映画と作ろうと二人三脚でやってきました」と語った。
また、オーディション撮影時を振り返り、「オーディションというと殺伐とした、競争みたいなイメージでピリピリしているのだろうなと思っていたのですが、合宿などで彼らと一緒に過ごしていくと、本当にみんな仲がよくて、何より彼らの人間性が素敵で、支えあいながら夢に向き合っている姿を目の当たりにしました。結果が出てお別れするシーンでは、カメラマンも泣きながらカメラを構えていました」と当時の現場を明かした。
大阪での舞台挨拶では、北村監督が「『THE LAST PIECE』というプロジェクトでは、廃校を改築した施設に合宿で泊まり込んでいたので、候補者30人とスタッフ、関係者は寝食を共にしました。10代を対象としたオーディションですが、実際に始まってみると彼ら全員、人間として、またアーティストとして社会的にも人間性が素敵で、周りへの思いを忘れない、お互いのリスペクトを感じる現場でした」とプロジェクトの様子を語った。
さらに「10代の男の子だな、というような、画面でもちょっとふざけたイメージもあるかと思いますが、実際はその100倍はふざけていて、例えば海に行くと誰かが投げられたり、スタッフも投げられたり、本当に、スタッフも共に青春を過ごさせていただいたなと思います。残念ながら、人生を賭けて戦いを挑んで叶えられなかった彼らも、最後の日に、映っていないですがスタッフ一人一人にまで声をかけてくれるんです。あまりに密着しているのでスタッフもそれぞれ自分の担当チーム推しになって、(他の現場ではそんな姿見たことないのに)スタッフのおじさんたちが号泣しちゃって」と、現場の熱量を伝えるエピソードを披露した。
本作は、プロジェクトの様子と、オーディションから半年後に行われたインタビューを軸に構成されている。意図を問われた監督は、「オーディションの最中も彼らの成長を目の当たりにしたのですが、4万人の前でのコンサートをはじめ、デビューから半年という濃密な体験をした後の彼らに興味があって、話を聞いてみたいと思った」と語った。
また、劇中では放送されなかったオーディション映像も多数使用されている。密着取材ということで未使用素材について問われた北村監督は、「泣く泣くカットしたシーンは多いですね」と明かし、特に印象的なシーンについて語ると、会場からはディレクターズカット版を望む声も上がった。

航空自衛隊ブルーインパルスを追ったドキュメンタリーで、大迫力の映像とともに隊員たちのリアルを映し出す『ブルーインパルスの空へ』。上映後には満席の会場に渡部将伍監督が登壇。「ブルーインパルスについては、この場にいらっしゃる皆さんの方が詳しいと思います。そんな方々に、どのような映像や音声、インタビューを届けるべきかと、ずっと考えていました」と企画当初を振り返った。
コクピットに設置した360度カメラについては、「パイロットだけを映した機内映像は他のメディアでもよく見るので、パイロット自身ではなく正面の景色を映したり、飛行中の動きのある映像を多く取り入れて編集した」と制作のこだわりを語った。
また、映像編集中にパイロットたちの熟練技術に改めて感嘆したという。「機体同士の距離の近さは下から見ていても感じますが、360度カメラの映像では、その近さがより際立って見えます。ファンブレイクをしている映像は、編集していてもめちゃくちゃヒヤヒヤしました。彼らはその距離感を時速800キロで飛んでいるというすごさが映像越しに伝わったのではないか」と語った。
パイロットたちの素顔や日常が垣間見える点も本作の魅力の一つだ。渡部監督は「映画を見てくださった方に『パイロットたちも普通の人なんだな』と思ってもらえたら良いなと思います。実は取材開始当初、『ブルーインパルスのパイロットたちは超エリートですね』と伝えたら、隊長から『そんなことはありません』と少し怒られちゃって(笑)」と明かした。
エンドロールでパイロットたちのプライベートシーンを使用した理由についても、「皆さんは航空祭などでも彼らの素顔はイメージしづらいかと思い、素の姿をぜひ見ていただきたいという思いもあって」と説明した。
さらに、音声編集の過程では飛行中のパイロットたちのつぶやきにも驚かされたといい、「取材用ではなく、自然とあの言葉が出るような想いで普段フライトしているということが伝わってほしい」と語った。
観客からの質問コーナーでは、ブルーインパルスファンからの専門的な質問も飛び交い、渡部監督ならではのエピソードに会場は大いに盛り上がった。最後は観客の熱のこもった拍手に包まれ、イベントは盛況のうちに幕を閉じた。
「TBSドキュメンタリー映画祭」は、東京・大阪・京都・名古屋・福岡・札幌と全国6都市にて順次開催中。
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