解散騒動で深手負うキムタクが見せた、本物のスターにしか使えない魔法

#木村拓哉#週末シネマ

『無限の住人』
(C)沙村広明/講談社 (C)2017 映画「無限の住人」製作委員会
『無限の住人』
(C)沙村広明/講談社 (C)2017 映画「無限の住人」製作委員会

「この役を演じるのは、この人以外はありえない」というのは、映画監督がキャストについて語るときに取り立てて珍しい表現ではない。沙村広明の同名コミックを映画化した『無限の住人』に主演する木村拓哉について、監督の三池崇史がそうコメントしても、実際に作品を見るまではそれほど強く響かなかった。だが、三池の直感に間違いはなかったようだ。

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逃れられない運命を正面から受けとめて生きていく。その覚悟が、不老不死の浪人・万次と20年以上トップを走り続けるスター、木村拓哉の共通点だ。

映画は凄絶な斬り合いで幕を開ける。サイレント映画の大傑作『雄呂血』のクライマックスを思い出させる迫力だ。正義と思った行動が裏目に出て、浪人に身をやつすという境遇も『雄呂血』の主人公と万次は似ている。もちろん、その後にたどる道は異なるし、決定的な違いは致命傷を負った万次が、現れた謎の老婆によって不死身の体となったこと。愛する妹を目の前で殺され、生きる意味を失った男は孤独のまま無限を生きる運命を背負わされる。年月が流れ、隻眼で顔も体も傷だらけの万次のもとに妹と瓜二つの少女・凛が訪ねてくる。無残に殺された父親の仇討ちの手助けを請われ、万次は凛とともにならず者が集う最強の剣客集団「逸刀流」に立ち向かう。

凛と万次の妹の2役を演じるのは杉咲花。父の仇を討つという強くまっすぐな思いを持つ少女と、ぶっきらぼうに振る舞いながら彼女を守り抜くと誓っている男の組み合わせは、リュック・ベッソン監督の『レオン』のようだ。全力で気持ちをぶつけてくる杉咲、それをしっかり受けて返す木村の相性は抜群で、このコンビの魅力が観客の心を鷲掴みにする。緊迫の中に微笑ましさや寂しさ、いたわしさといった多彩な面を持つ関係性だ。

2人の前には次々と強豪が現れる。演じるのは福士蒼汰、市原隼人、北村一輝、そして市川海老蔵といった過去の三池作品の主演俳優たち、さらに戸田恵梨香や栗山千明、田中泯なども登場する。主役級スター同士が斬り結ぶシーンには、妥協ないアクションと華があり、見ていて飽きない。「逸刀流」の若き統主・天津影久を演じる福士は、荷が重いのではという予想を裏切る堂々たる敵役ぶり。他のキャストもケレン味たっぷりに悪を魅せる。設定は江戸時代だが、登場人物の格好や名前、口調は時代も場所もよくわからない無国籍風。不思議とそれが気にならない。型無しではない、型破りなのだ。

三池作品では、いつもたくさんの人が死ぬ。殺される。彼の作品は常に、人を殺すという咎(とが)について向き合い続けてきたのではないだろうか。特に本作では、命を粗末にする者、命を尊ぶ者、両者の違いがくっきりと見えてくる。その差は愛なのかもしれない。愛ある者が人を斬る、その重さが意味するものを考えさせられる。「俺は誰を斬ればいいんだ」という万次が凛に問いかける言葉も印象深い。

木村にとって、映画の撮影時から公開までの1年余はキャリア上で大きな変化があったことは衆知だが、深手を負っても不死身と恐れられて生き続ける万次の孤独が、つらさが見えない/見せないスターの生き方に重なり、独特の効果をもたらしているようにも思える。それにしても、スターとはこういうものだと思わされる。おなじみの俺様っぽい“木村拓哉”印を見せつつも、“万次”として観客を物語に引き込んでいく。本物のスターにしか使えない魔法だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『無限の住人』は4月29日より公開中。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。