『1987、ある闘いの真実』チャン・ジュナン監督インタビュー

ブラックリストの壁を乗り越え製作した衝撃作に込めた思い

#チャン・ジュナン

弾圧を恐れ秘密裏に進められた脚色作業

警察の取調中にソウル大学の学生が死亡。当局は心臓麻痺と発表するも、新聞は「拷問中に死亡」とスクープ。韓国を揺るがす事件へと発展していく……。

1987年、軍事政権下の韓国で実際に起き、歴史を劇的に変化させた大事件を描いた『1987、ある闘いの真実』が、9月8日より公開される。民主化闘争の実話を映画化した本作についてチャン・ジュナン監督に話を聞いた。

──この映画を作ろうと思ったきっかけを教えてください。

『1987、ある闘いの真実』
2018年9月8日より全国順次公開
(C)2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

監督:1980年の光州事件については映画、小説、論文などで取り上げられています。しかし、光州事件がもたらした1987年の出来事については語られていません。私はそのことにすごくもどかしさを感じていました。独裁政権から大統領直接選挙を勝ち取った歴史的にも重要な時期について、何故、誰も語らないのかと思いました。
 また、自分も子どもを育てる親となり、次の世代にどのような世の中を残すべきか、何を語るべきかについて考えるようになりました。1987年を振り返り歴史の鏡とすることができるのなら、次世代への大きなプレゼントになると思ったんです。
 私がシナリオの初稿をもらったのは2015年の冬のことでした。しかし、この頃は朴槿恵(パク・クネ)政権下。“ブラックリスト”の存在は明るみになっていなかったのですが、政権の意向に合わないコンテンツや作品に対しては支援を断ち切るなどの巧妙な弾圧がありました。そのため私も迷いました。しかし、ある時、新村(シンチョン:延世大学がある街)にあるイ・ハニョル記念館を訪れ、そこに展示してあった片方の運動靴を見て、この映画に挑戦しようと心に決めました。

──ブラックリストは、朴槿恵(パク・クネ)元大統領の不正について捜査する過程でその存在が明るみになりましたが、当時の状況を考えると本作製作を進めるのは大変だったのでは?

監督:シナリオの脚色作業は秘密裏に行われました。そのため生存者に対するインタビューはできず、集めた資料を基にシナリオ作業を行いました。国内の投資会社も投資には難色を示していました。ところが、キャスティング稿が完成した頃に崔順実(チェ・スンシル)ゲートが明るみになり、多くの投資会社から投資のオファーが来ました。1987年の出来事は、色々なことが重なり奇跡的に起きたことですよね、この映画の製作過程もまるで奇跡のようです。私は迷信を信じませんが、天が見守ってくれているのではないかと思ったくらいです。

──1987年、監督は高校生でしたよね、その当時の記憶や民主化闘争に対してどのようなイメージを抱いていましたか?

『1987、ある闘いの真実』
(C)2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

監督:私は当時、全州に住む平凡な高校3年生でした。自分の住む地域でもデモは多く行われていて、登下校の際にデモをする姿を良く目撃していました。また授業中に催涙弾の匂いのために窓を閉めきって授業していたことも覚えています。忘れられないエピソードがあります。ある日、友人に“学校の近所にあるカトリックの聖堂で不思議なビデオを見せてくれるらしいから一緒に行こう”と誘われました。好奇心旺盛だった私は友人と一緒にそれを見に行きました。その時に見たのが、『タクシー運転手〜』に登場するドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーターが撮影した光州事件の映像でした。劇中、カン・ドンウォンに誘われてヨニたちが見た映像です。それを見た時、とても恐ろしかった。韓国でこのようなことが起きたということが信じられませんでした。そして、その事実を大人たちが誰一人として語ろうとしないことが私にとってはもっと衝撃でした。
 また高校時代のある日、道徳の時間に、日頃はやらない討論を行いました。デモが悪いことだという方向に導く内容の討論でした。私は恥ずかしがり屋の学生でしたが、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と質問しました。すると先生が私を睨みつけたんです。あの目は、今でも忘れられません。この時に「1987」の芽が芽生えていたのかもしれません。

──実際の出来事を映画化するにあたって気をつけた部分はありますか?

監督:映画を作るにあたり、遺族や生存者に迷惑をかけたり、彼らを傷つけたりしないよう気をつけました。そのため、ファクトは損なわないことを原則に映画作りをしました。イ・ハニョルさんのご実家には何度か足を運び、色々なお話を聞いたり一緒にごはんを食べたりしました。
 公開の2〜3週間後、文大統領と実在の人物たちが共に映画を鑑賞する機会がありました。その時、イ・ハニョルさんのご遺族も来ていましたが、お母様は今でも息子が倒れるシーンを見ることができないと言い、映画はご覧になりませんでした。

──キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、カン・ドンウォン、ソル・ギョングをはじめ、韓国を代表する俳優たちが多く出演していますね。

監督:カン・ドンウォンさんとは、『カメリア』で仕事をして以来、時折会ってお酒を飲む間柄です。この作品の話をしたら、シナリオができたら見せて欲しいと言われました。「格好良い男子学生」という役柄を注視しながら読んで欲しいと伝えながら、出来上がったキャスティング稿を渡しました。小さな役なので引き受けてくれるとは思わなかったですが、「必ず作るべき重要な映画だ。迷惑でなければ出演させて欲しい」と言ってくれました。お陰で、苦しい時期でしたが力強くスタートを切ることができました。ありがたい俳優・後輩です。
 キム・ユンソクさんは以前ご一緒した『ファイ 悪魔に育てられた少年』でも悪役だったので、また悪役かと冗談ぽく不満を述べていました。ですが、このキャラクターの重要性について共感してくださり、引き受けてくれました。実際に生きている実在の人物を作るためにはどうすべきか、とても悩みました。平坦な2Dの人物でなく、3Dの立体的な人物を作るよう努力しました。外見も似せるため、キム・ユンソクさんは顎下にマウスピースを入れたり、体を大きく見せるためにパッドも入れたりしました。脱北者から平安道地方の方言も習いました。この2人は、初期の段階でキャスティングが決まりました。
 キム・テリさんは、『お嬢さん』という映画を見た時、新人なのに演技が上手で驚きました。ヨニはテリさんのような姿、性格ではないかと思ったんです。実際に会ってみたら、ヨニにピッタリだと思いました。複雑で難しい演技を上手く演じてくれました。キャスティング稿が出来上がった頃に崔順実ゲートが明るみになりました。しかし、この政権が今後も続くか否かがまだ不透明な時期。それにも関わらず、多くの俳優さんが勇気を出して映画に参加してくれて本当に感謝しています。

──韓国の観客の反応はいかがでしたか?
『1987、ある闘いの真実』
(C)2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

監督:舞台挨拶のために各地を回ったのですが、この時代を経験している観客の方はなかなかその場を立つことができない様子で、涙を流している方もいましたし、この映画を作ってくれてありがとう、という言葉をかけてくださる方もいました。
 また、観客のレビューの中で印象に残っているのですが、娘さんがこの映画を見たあとに、この時代を経験している母親に向かって「お母さん、生きていてくれてありがとう」と言って泣いて抱きしめてくれた、という言葉があり、とても感動したことを覚えています。

──最後に、日本のファンへ向けてメッセージをお願いします。

監督:この映画は1987年に韓国で実際に起きた政治的な物語を描いていますが人間ならば誰しも感じられる「我々が社会的な共同体となり生きて行く美しさ」について語っている映画です。歴史や文化は違うかもしれませんが、日本の観客の皆さんにも1987年に韓国で起きたこの奇跡のような物語が心の奥深くに届いたら嬉しいです。

チャン・ジュナン
チャン・ジュナン
Jang Joon-Hwan

1970年生まれ。『地球を守れ』(03年・未)で監督デビュー。クライムサスペンス『ファイ 悪魔に育てられた少年』(13年)は韓国で大ヒットを記録。その他、行定勲監督らが参加したオムニバス映画『カメリア』(11年)で『LOVE FOR SALE』を監督。