『ONODA 一万夜を越えて』イッセー尾形インタビュー

「玉砕はまかりならぬ」名優が演じた“陸軍中野学校の神髄”とは?

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イッセー尾形

戦争ってドンパチだけじゃなくて、人と人との心理戦でもある

太平洋戦争末期にフィリピン・ルバング島に渡り、1945年の終戦を知らされないまま、30年近くジャングルに潜伏した後、74年に帰還した“最後の日本兵”小野田寛郎に着想を得た『ONODA 一万夜を越えて』。フランスのアルチュール・アラリ監督が独自の視点で描く“ONODA”の物語で、鍵となる人物は小野田の上官であり、74年に小野田を発見した青年に伴われてルバング島へ赴き、帰還を命令した谷口義美だ。

映画では、夢破れた小野田青年を陸軍中野学校二俣校へと導き、秘密戦の極意を授け、長く過酷な潜伏生活で小野田が守り続けた「玉砕はまかりならぬ」という言葉を与えた人物として描かれる。ミステリアスで、父性を持つカリスマ。若い兵士たちを戦場へ送り、自分は戦後も生き延びて老境にいる男。時の流れと共に姿を変え続ける谷口を演じるのはイッセー尾形。

柔和な表情の名優は、拙い問いを何十倍何百倍にも豊かなものにして返してくれる。カンボジアでの撮影について「アルチュール演劇学校」と表現したが、こちらも「イッセー演劇学校」の体験授業を受けた。そんな貴重な時間になった。

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──小野田寛郎さんが1974年にルバング島で発見されて帰国した当時、どう思われましたか?

尾形:受け止める言葉が見つからなかった記憶はあるんです。それ以上発展しないし、そのことを解釈することもない。ただ帰ってきたというその事実のみが記憶の中にある、そういう印象です。

──フランス人の監督が小野田さんを題材に映画を作ろうと考えたことにも驚きました。谷口少佐役としての出演はどのように決まったのですか?
『ONODA 一万夜を越えて』
2021年10月8日より全国公開
(C)bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

尾形:小野田を陸軍中野学校に誘って、工作員として仕立ててフィリピンに送るためには、この谷口は非常に大事な役です。コントロールとまで言わないけども、信奉される人ということで、「難しい役ですけれど、ぜひ」と言われました。
アルチュールさんが東京まで来て稽古をしている中で、なかなかこの人は面白いこと言う人だなと思いました。倒れている小野田に手を貸して助け起こすシーンがありますが、「手を背中にやると、小野田が自らが立ち上がってくる。それぐらいの人なんです」という説明があったんです。
人知を超えた、小野田にとって見れば超能力者でもあり得る。そんな人なんですよ、みたいな説明があって。これはどこまでいくのか、すごく興味が湧きました。
彼は日本語ができないので、カンボジアでの撮影は間に澁谷君というすごく優秀な通訳者の方がいらっしゃって。だから、これは(監督の)アルチュールさんと澁谷君と役者たちが作った映画なんです。
言語を超えてお互いが歩み寄って作る。そのデリケートな細やかさが、小野田がジャングルとどうやって生きていこうかというところにダブるのだと思います。小野田さんがどんどんジャングル化していきますよね。われわれが小野田化していく映画でもあったと思います。

──谷口という人物には一種の催眠術師のような不思議なカリスマ性を感じました。もう1つ、谷口少佐は極端に言えば、登場する場面ごとに全然違う人になっている。変身というか、変質するというか、その面白さを強く感じました。

尾形:すごくうれしい感想です。常々そうありたいと思ってるんです。人はその瞬間、その時空にいるときはそれなりのことをしゃべるし、また違うところへ行けば違う人になる。人間というのは元々そういうものだと思ってますし、またこの映画には時間というものがあります。30年という間に(谷口少佐は)古書店の主人になった。全部忘れたわけじゃないんですけども、過去と一応手を切った生活をしているのに、また過去が亡霊のように戻ってくる話でもあります、谷口にしてみれば。
そんな経験はないですから、監督さんと「こんなニュアンスか?」と、小さく小さく、デリケートに何遍も試して、それで成り立っている映画です。

──シェークスピアの名前を出すのはおこがましいですが、先ほどお話に出た小野田を助け起こすシーンでは『ハムレット』を思い出しました。ハムレットが父の亡霊を見た後で、それが悪魔かもしれないと疑念を抱く場面です。悪魔は相手の好む姿になる力があり、心の弱さやメランコリーにつけ込んでくるという意味のセリフがありますが、その後の小野田と谷口の関係を言い表すようです。何かそんなことを考えられたりされたでしょうか?

尾形:いやいや、考えてませんけども、それはすごく嬉しいです。確かにつけ込んでますよね、小野田の弱いところに。
中野学校自体が、人の心理の逆手を取ったり、そういうものをいっぱい教え込んだ、あるいは学んだところらしいですから、ハムレットの亡霊解釈に通じるようなところもやってたんだろうな。
戦争って、何もドンパチだけじゃなくて、そういう人と人との戦いでもあります。どうやって有利になるか。そのためにいろんな攻略を谷口少佐なりに作って人と接している。素直に人と人とが会うなんてあり得ないようなところだったかもしれないですね。

──谷口少佐はサングラスをかけています。

尾形:僕の記憶では、アルチュールさんが「ちょっと薄い色の眼鏡にしようか」と。見た目をミステリアスにしたいということで、「谷口少佐はこういう人なんだ」と絵を描いてくれたのが、薄いサングラス姿でした。

──1970年代には普通の眼鏡のおじいさんになっていますが、陸軍中野学校で小野田たちを送り出すときは眼鏡のレンズが真っ黒でした。
ONODA 一万夜を越えて

尾形:いや、同じサングラスなんですが(笑)。たぶん照明の関係で黒くなりましたかね。

──そうなんですか。私はキャラクターの変質を表すのにレンズの色を変えているのかと……。

尾形:いや、想像力がそうさせたんです。嬉しい、すごく。

怖いですね。あれが陸軍中野学校の神髄の一つでしょうね

──アラリ監督とのお仕事について、言葉の通じなさが足かせにはならなかったことは、完成作を見れば瞭然ですが、具体的にどういうふうに乗り越えられたのでしょうか。

尾形:もう数え切れないアドバイスをもらって、それを澁谷君が全部通訳して、その瞬間、瞬間の積み重ねでした。
「もっとこうやろうか」ということの集積です。それは意味が通じ合う人たちだったらできなかったことですよね。「もっとこうやろう」「あ、分かりました」で終わっちゃうものが、「こうやろうか」という意見を通訳してる間にまた考えるわけです。
意味は分かるが、日本語のニュアンスで分かったわけで、フランス語のニュアンスは違うはずでしょう?と思っちゃうんだよね。やってみると、案の定また違う。もう少し抑える。右に行った、左に行った、「その中間です」とか、中間のちょっとこっち寄りとか、非常に抽象的なんですが、でも演じてみれば分かる。全ては演じることで監督さんが判断する。それはやってみなきゃ分からない。
そういうことって、言葉が通じ合うと起こり得ないですよね。日本語とフランス語に差はあります。その差はあくまで最後までありますから。それを“ないもの”じゃなくて、あって当たり前なんだというポジションです。監督さんも、僕も、澁谷君も。
たった一つの意味がこんな膨れ上がってる。一つのセリフを言うために。それが全編重なっています。僕だけではなくて、津田さんも、遠藤君もその経験はしたと思うんです。それがこの映画の一番の魅力です、僕にとっては。

──ニュアンスを確認し合っていく中で、お互いに意図しなかった新しいものが生まれることもあるんでしょうか。

尾形:絶対出ていると思います。全編そうだと思います、逆に。そんなにうまく自分でコントロールできませんから。それは監督さんでもそうじゃないかな。違っちゃったけど、こっちのほうがいいや、と。それはあったと思います。またそのことを信じたいです。だって、そういう映画だもの。

──もどかしさみたいなものには感じないんですね。
イッセー尾形

尾形:“楽しむ”ですね。演劇学校なんです。僕にとって、アルチュール演劇学校。毎日撮影行くのが楽しみでした。今日は何を学ぶんだろう。自分からどんなニュアンスが出るんだろうというのが楽しみで。アルチュールさんとの時間はすごく貴重なかけがえのないものでした。
またカンボジアが、空気がのどかでいいところで。そんなのどかなものとデリケートなものとが妙に一致するんです。素朴さの向こうにデリケートな世界がある、というふうにつながってる。それが今回の撮影の全体の印象です。
白い牛が舗装してない道を歩いていたり、お父さんがバイクの後ろに子どもを2人乗せて走っていたり。巨大なトラックの荷台に労働者たちがすし詰めで乗って、工場に行き帰りする。そんな中に、ぼやっとした山の向こうに朝日が昇るんです。撮影は大体、朝早かったですから、オレンジ色で湿気の多い、ぼやんとした太陽が登って。その先にこの映画の撮影がある。日本では経験できない特別な演劇学校でした。

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──撮影はほぼ順撮りだったと聞いています。まずは青年期の小野田を演じる遠藤さんと共演されました。

尾形:助け起こすシーンで、「遠藤君、自分から立ってくれよ」と思いました(笑)。俺からはできないんだよ。立ってくれ。それが最初の遠藤君体験でした。ちゃんと、やおら自分から立ってくれました。

──その後に小野田と仲間たちが酒盛りをしているところに現れる場面は、谷口という人物の恐ろしさに震えが来ました。

尾形:いやらしいよね、あいつ。言ってることが分かんねえよ!みたいな感じだよね。

──にもかかわらず、相手にその意味がちゃんと伝わっているのが恐ろしい。

尾形:そうですね。気温40度以上の密室でした。炎天下の中、夜のシーンだから黒幕を張って、脱水状態で、酸素欠乏症で、よう覚えとらんのです、あの辺は。ぼーっとして。
その都度アルチュールさんがやってきて、「ここは耳元でささやこう」とか「もう少し大きい声を上げようか」とか、細かなことを教えてくれました。高温無酸素状態とデリケートさという、ほんとに矛盾したものが一緒くたのシーンです。

──その異様さも相まってか、本当に怖い場面でした。

尾形:怖いですね。あれが陸軍中野学校の神髄の一つでしょうね。戦地に行っても自主性で生き残れ、という教育方針の神髄をそのまま直接伝えるシーンではあるんですけれども、その意味にたどり着くまでが分からないですよね。たどり着くまでの時間も、谷口が教えようとしてたことなんでしょうね。分かったことをやるんじゃない、分かるまでを学ぶというか。考えれば深いですよね。

──壮年期の小野田は津田さんが演じました。

尾形:東京の稽古場で最初に津田さんを見たときに、それまでの稽古はずっと遠藤君と一緒だったんですが、ぱっと見たときに、「この映画はすごい、絶対当たる」と思いました。だって遠藤君が歳を取ったら、津田さん以外にいない。30年経ったら、絶対この人はこうなる。それが第一印象でした。ドンピシャだと思いました。

──谷口はフィリピンに渡って小野田と再会しますが、あの場面も印象深いです。

尾形:小野田は昔の時間で生きていますが、自分は今の時代になっちゃった。今の散文的な空気を吸って生きてる自分になっちゃった。それで、まだ戦争をやってる人にどうやって出会ったらいいんだろう?という。小野田さんの存在と谷口さんの存在の落差は絶対に出したかったシーンです。

──それが強く伝わってきて、なんとも言えない感情が湧き起こりました。
ところで、これまでもロシアのアレクサンドル・ソクーロフ(『太陽』)や台湾のエドワード・ヤン(『ヤンヤン 夏の想い出』)、アメリカのマーティン・スコセッシ(『沈黙 −サイレンス−』)など、外国の監督とのお仕事の経験は豊富ですが、先ほどおっしゃられたように、言葉が通じないからこその良さはあるんでしょうか。

尾形:特に今回は感じます。すごく目の前に接近してくるんです、アルチュールが。(両手を眼前に置いて)ここに澁谷君がいて3者で話しますから。

イッセー尾形

──具体的に距離感が……

尾形:ええ。こんな近いのは初めてです。

──圧迫感がありそうですが。

尾形:圧迫感というより、「こいつ何言ってるんだろう?」という好奇心のほうが強かったです。

──若い監督でもあるし、情熱的なところもあったのかもしれませんね。

尾形:「ヤンさんに似てるかもしれないよ」とご飯を食べてるときに言ったら、すごく兄弟で嬉しそうでした。お兄さん(トム・アラリ)がカメラマンだから。
向こうから「ヤンさんのとき、カメラはどうでしたか」と聞いてきて、ヤンさんは、まず遠いところから。2日になるとちょっと近くなって、3日目ぐらいになるとこう、4日目はこんな近くなる。近くなったけど、怖くないからねって言ってくれましたよ、と話したら、2人が笑って。このチームは似てるかもしれないです、と言ったら、兄弟、うれしそうでした。

──雑な質問で恐縮ですが、尾形さんといえば「一人芝居」の第一人者でいらっしゃいます。一方で、この作品のように複数で演じられるときも素晴らしい。それぞれの違い、魅力をお聞かせいただけますか。
イッセー尾形

尾形:そういう質問にはその都度違う答えをしてるんですが、今日は今日なりと答えを今思いついたですけども、1人の場合は全部引き受けちゃうんです、結果まで、きっと。こう演じたんだよ、で、そういう反応があった、というところまで分かってて、次。ところが複数になると、その先は分からない。自分が投げかけた。引き取らない。そこが大きく違うと思います。
引き取らなければ、一人芝居は次に行けないんです。複数だと、投げかけたら今度向こうが引き取ってくれますから、それがまた新たなアクションになって、また投げ返す。だから今お話を聞いてて、一人芝居はほんとに不自然だなと思います。引き受けるなよ、投げっぱなしでいいじゃないかと思います。

──アラリ監督がフランスで受けたインタビューを読んでいたら、小野田さんについて、小野田さんは自分のいる現実が満ち足りていなかったからフィクションのように自分の世界をつくり上げていったと語られて、自分もそこに非常に共感すると。現実は自分にとって足りない部分がたくさんあって、監督の場合は、映画によってその欠けた部分を見つけていくということ話していました。

尾形:思い出した。カンボジアのプロデューサーが同じようなことを翻訳したな。アラリさんの足りない部分をフィクションで作るって。なるほどな、と思ったけど。ちょっと異論があるな、俺は。
足りないところをどうやって分かったのかっていうことね。これは自分には足りないということ自体を、どうやって認識したのか。その前にもうフィクションがあったんじゃないかと思うのね。元々フィクションがあるの。だから足りないといって、このフィクションをノンフィクションにするだけで。だから人間って、元々フィクションを持ってると思います。フィクションを作るわけではなくて、持ってると言いたい、(カメラに向かって)アラリ君。

──すぐに全部理解したとは言えませんが、何か見えたように思います。
イッセー尾形

尾形:ちょっと腑に落ちるでしょう。

──はい。

尾形:あるんだよ。ここにある。

(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)

イッセー尾形
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いっせー・おがた

1952年2月22日生まれ、福岡県出身。「一人芝居」の第一人者として独自のスタイルを1980年代に確立。1990年代には国内のみならず、海外からも招待され、ニューヨーク、ベルリン、ミュンヘン他、数多くの都市で上演を果たす。映画、ドラマでも活躍し、海外の監督作への出演も多く、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 −サイレンス−』では第42回L.A映画批評家協会賞助演男優賞の次点に選ばれる快挙を果たす。今年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』などに出演、シェークスピアの名作戯曲の数々を題材にした10篇の物語を収めた著書「シェークスピア・カバーズ」が刊行。