【平成の映画業界を振り返る1】平成初頭にどん底となるも、シネコンとテレビ局効果でV字回復

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6月27日にオープン予定のユナイテッド・シネマ PARCO CITY 浦添
6月27日にオープン予定のユナイテッド・シネマ PARCO CITY 浦添

1989年(平成元年)、映画館の年間観客動員数は1億4357万人で始まり、90年に1億4600万人とやや上向いたものの、以降は年々減少。96年に1億1957万人の過去最低を記録する。その後は回復し、2016年に平成で最高の1億8019万人を記録。17年は1億7448万人、18年は1億6921万人と好調を維持している。

興収200億円級がそろい踏み! 歴代最高記録の更新も!?

映画界が復活を果たした原動力がシネマコンプレックス(シネコン)だ。93年、日本初のシネコン、ワーナー・マイカル・シネマズ海老名が神奈川県海老名市に誕生する。ワーナー・マイカルの成功を見て、他の外資系シネコンや国内の興行会社もシネコン建設に乗り出す。郊外や地方都市など、それまで映画館のなかった地域を中心に建設ラッシュが続き、2004年にシネコンのスクリーン数が既存映画館数を超えた。18年では、全国の映画館スクリーン数は3561、うち3150がシネコンだ。

シネコンは映画館の環境と鑑賞スタイルも変えた。まず、シネコンは新しく建設されるので、既存の映画館よりきれい。女性客や家族客が入りやすくなり、客層を広げた。シネコンには複数のスクリーンがあるため、観客が選べる映画の幅が広がった。座席指定で完全入れ替え制を採用しているため立ち見がなくなり、チケットを求めて並ぶ観客の行列が減少。インターネット予約システムの普及でさらに行列が減った。シネコンではレディースデイやファーストデイなどの割引サービスを導入。さらにポイントカードを導入して、ライトな観客からコアな映画ファンまで満足させるサービスを充実させた。地方の映画館の中には平らな床に座席を配置しているため、前に座る観客の頭でスクリーンが見づらいこともあった。だがシネコンは床の傾斜が大きいスタジアムシートを採用し、見づらさが解消された。シネコンではできたてのポップコーンなど販売する飲食物を充実させるとともに、座席にカップホルダーを設置。飲食しながら鑑賞しやすくなった。

平成に入り普及していったレンタルビデオも映画界復活に一役買った。映画館とテレビ放映でしか楽しめなかった映画に、レンタルビデオという視聴スタイルが加わり、消費者が映画を見る回数が増加。映画館へ足を運ぶきっかけを作った。

98年『踊る大捜査線 THE MOVIE』の大ヒットを皮切りに、テレビ局が映画製作に力を入れ始めたことも映画界復活の要因の1つだ。03年『踊る大捜査線 THE MOVIE2』が興収173.5億円をあげ邦画実写新記録を樹立して以降、06年『LIMIT OF LOVE 海猿』、07年『HERO』などテレビドラマ発の映画が次々と大ヒット。ドラマ発以外にもテレビ局が製作する映画が増えた。視聴率競争で培われた「観客の好みを重視した作品づくり」に加え、自局を活用した一大プロモーションの力もあり、次々とヒット作を生み出した。(文:相良智弘/フリーライター)

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相良智弘(さがら・ともひろ)
日経BP社、カルチュア・コンビニエンス・クラブを経て、1997年の創刊時より「日経エンタテインメント!」の映画担当に。2010年からフリー。

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