【日本映画界の問題点を探る】『戦メリ』立役者にして未婚の母、波瀾万丈な挑戦者が語る仕事の流儀とは?

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ソフィア・ローレン
ソフィア・ローレンにインタビューする吉崎道代
ソフィア・ローレン
「嵐を呼ぶ女」
著者:吉崎道代/発行:キネマ旬報社/価格:2500円税別

大物になっても、企画実現のために投資家にひざまずく意気込みが重要

【日本映画界の問題点を探る/世界と渡り合ってきた挑戦者に学ぶ 1/全4回】昨今の映画界では女性プロデューサーも珍しい存在ではなくなってきたが、その先駆けであり、“伝説の女性映画プロデューサー”と称されているのが吉崎道代。自身の会社で共同製作した映画『ハワーズ・エンド』(92)と『クライング・ゲーム』(92)では、第65回アカデミー賞で計15のノミネーションと4部門での受賞を果たし、日本の映画人としては最多受賞を誇る。その活躍は世界的にも認められており、映画の業界紙「スクリーン・エンターテインメント」が毎年選ぶ世界のパワープレイヤー100人にも数回選出されたほどだ。

性的シーンで震える生身の俳優たち、守るための取り組みは始まったばかり

ヨーロッパに移り住んで40年以上が経った今もなお、精力的に映画作りに取り組む吉崎だが、今年で80歳という節目に自伝「嵐を呼ぶ女」を執筆。波乱万丈な人生と映画への尽きることのない情熱、さらに映画史に名を連ねるスターたちとの秘話を赤裸々に綴り、大きな反響を呼んでいる。

「以前からお話をいただいていたというのと、コロナ禍で新作の制作がストップしてしまったタイミングだったこともありますが、きっかけとしては、孫に自分の人生の軌跡を語っておきたいという気持ちから書き始めました。自分では波乱万丈だとは思っていませんでしたが、いろんな人から『面白い』とか『元気が出た』と言っていただいて、予想以上の反応にこちらが戸惑っているくらいです。親友でもある新潮社の中瀬ゆかりさんからは、『精力剤みたいだった』と言われました(笑)」

映画館が一つもない大分県の片田舎に生まれた吉崎は、高校を卒業すると単身ローマに渡り、当時世界一と言われた映画学校に日本人女性として初めて入学。帰国してからは、ディストリビューターとして日本ヘラルド映画社で欧州映画日本配給権の買い付けに携わるだけでなく、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(83)の全契約を取りまとめるなど、仕事の幅を広げていく。

その後、ヨーロッパで未婚の母となり、育児をしながら映画プロデューサーとしての手腕を発揮。クリント・イーストウッドやクエンティン・タランティーノ、ロバート・デニーロ、ソフィア・ローレンなど世界の名だたる映画人たちと対等に渡り合ってきた。そんな刺激的な出会いの数々を繰り返してきたなかでも、もっとも影響を受けている人物がいるという。

「それは、フェデリコ・フェリーニ監督。私にとっては、いまでも神様のような存在です。彼からは、一流の人は自分の作りたいものを作るということと、そのためなら投資家に対して平身低頭もいとわない姿を学びました。それは、あのオーソン・ウェルズも同じで、自分が撮りたい映画のために、ワーナー・ブラザースを設立したジャック・ワーナーをロビーで8時間も待ち続け、ひざまずいたこともあったとか。大物である彼らですが、自分がやりたいもののためには何でもする、という意気込みを持っているのです」

そして、吉崎にはもうひとつ忘れられないスターとの出会いがある。その人物とは、甘いマスクで世界中の女性たちを虜にした“稀代の色男”アラン・ドロン。著書のなかでも、彼と過ごした一夜の情事について触れており、話題となっている。プロデューサーになる前のディストリビューター時代の話であり、お互い、若さゆえのアバンチュールだったようだ。とはいえ「いまの時代だったらアウトなところもあったのでは?」と問いかけると、吉崎は笑いながらあっけらかんと話す。

「確かに、いまなら女性の膝の上にいきなり手を置くだけでもダメかもしれないけれど、好きな男性から『今晩ちょっとどう?』なんて言われたらやっぱりうれしい気分になるんじゃないかしら(笑)。もちろん、嫌な男性だったら訴えますけどね」

第2回記事に続く/9月24日掲載予定

(text:志村昌美)

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