【週末シネマ】テレビでは流れない原発事故避難民たちの本当の声を伝える1本

『フタバから遠く離れて』
(C) 2012 Documentary Japan, Big River Films
『フタバから遠く離れて』
(C) 2012 Documentary Japan, Big River Films

『フタバから遠く離れて』

2011年3月11日の東日本大震災による原発事故を受け、避難生活を送る福島県双葉町の人々を記録したドキュメンタリーだ。福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地していた町は全面立入禁止の警戒区域となり、1423人の町民が約250km離れた埼玉県の廃校への避難を余儀なくされた。

[動画]『フタバから遠く離れて』予告編

カメラは、町長を筆頭に地域社会が丸ごと移転してきた埼玉県加須市の旧騎西高校校舎で暮らす人々の日常を、震災から約1ヵ月後の4月から、9ヵ月にわたり、追っていく。

限られたスペースで皆一緒に寝起きし、支給された弁当を食べて、慰問コンサートを聴いて、手持ちぶさたで過ごす。行方不明のままの家族の消息、家や財産、残してきた家畜、そして何より、一体いつ故郷に帰れるのか。心を痛めるものはいくつもあるのに、何の手だてもなく、ただ一ヵ所にまとまって暮らしている。そんな不条理な日々を送る町民たちの日常が、見ているこちらの身に染み込んでくる。

やがて双葉町に一時帰宅をする日が訪れる。1家族2人までという制限があり、人数の多い家族は代表者に持ってきてもらいたいものをリストアップして渡す。生活必需品ではないが、1人ひとりにとって愛着あるものばかりだ。

被災地に足を踏み入れなかった者としては、スクリーンに映し出される瓦礫と化したかつての“日常”に息をのんだ。震災直後、テレビのニュースで多くの被災地の映像を1日中見続けていたが、暗闇のなかで大きな画面いっぱいに広がる果てしない光景は、地震と津波という自然災害の脅威を伝える。一方、原発事故によって警戒区域となった住宅街には、倒壊した家もほとんどないのに、人っ子1人いない。飼い主がいなくなった後もつながれたままだった牛たちの死骸はミイラ化している。

オダギリジョー主演の『ビッグ・リバー』(06年)、『谷中暮色』(09年)などを手がけてきた舩橋淳監督と被写体となる町民たちとの距離感が好ましい。舩橋は寄り添いながらも分をわきまえ、彼らと一緒になって被害者面はせず、彼らの言葉を聞く姿勢に徹する。そのうえで、彼らを取り巻く矛盾、理不尽さを追及していく。例えば、全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)と政府の意見交換会で双葉町の町長が発言する場面。彼があれほどの憤りを見せた、その理由は本作に記録されている。もとは原発推進派だった町長は本作中のインタビューで財政難からの脱却を目指し、新たに7、8号機を建設予定だったことを明かし、「原発誘致は失敗だった」と明言した。

町民たちもまた、時間の経過と共にカメラの前で飾らない言葉を語り出す。「がんばろう」的な空疎な希望でもなく、お涙頂戴でもなく、今を生きて、これからも生きていかなければならない人間としての主張は必聴だ。考え抜いた言葉ではなく、ふいに口をついて出た一言。そこに込められた真理に圧倒される。それをこぼさずに記録する。テレビでは流れない、彼らが本当に言いたいこと、考えていることが『フタバから遠く離れて』には収められている。(文:冨永由紀/映画ライター)

『フタバから遠く離れて』は10月13日よりオーディトリウム渋谷ほかにて全国順次公開される。

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