超人登山家メスナーが来日、死と隣り合わせの偉業について語った

ラインホルト・メスナー(左)と花束贈呈に訪れた市毛良枝(右)
ラインホルト・メスナー(左)と花束贈呈に訪れた市毛良枝(右)
ラインホルト・メスナー(左)と花束贈呈に訪れた市毛良枝(右)
ラインホルト・メスナー
『ヒマラヤ 運命の山』
(C) Nanga Parbat Filmproduktion GmbH & Co. KG 2009

世界最高峰の山ヒマラヤを舞台にした衝撃作『ヒマラヤ 運命の山』。その原作者であり世界屈指の登山家ラインホルト・メスナーが、映画の公開を前に来日。7月6日にドイツ文化会館で記者会見を行った。

[動画]『ヒマラヤ 運命の山』予告編

メスナーは、1970年にヒマラヤ山脈ルパート壁の過酷なナンガ・パルバート初登攀(とうはん)に兄弟で成功。だが、1週間後に下山したのは兄のラインホルトひとりだけだったことから、その登頂をめぐって物議をかもすこととなった。本作は、今まで語られることのなかったその真実を描いている。

原作を執筆した理由を聞かれたラインホルトは、「40年前に弟と登ったナンガ・パルバートで私たちが経験した悲劇の後、このことを書き留めたいという内的欲求がありました。凍傷で足の指7本を失って入院していたので、その時間を使って書き留めました」と回答。また、ヨゼフ・フィルスマイアー監督からの映画化の話を受け、協力することになったとも話した。

本作はドイツ本国で200万ドルを超える大ヒットを記録しているが、映画を見た感想については「とてもエモーショナルなものでした。現実は快いものばかりではありませんが、この映画は現実のストーリーを再現していて、優れた監督と俳優がそろったので見事再現できたと思います。弟や、当時のことに思いを馳せました」と語った。

ラインホルトはその後、78年にエベレストの無酸素登頂に初めて成功、8,000メートル峰14座全ての無酸素完全登頂にも成功するなど次々に偉業を成し遂げ、40年以上も登山家として活躍。そんななかで、最も危険を感じたことについて聞かれると「最も危険な場所のひとつ、ナンガ・パルバート壁で、私は奇跡的に助かりましたが、弟は犠牲になりました。8,000メートルの山で氷が割れ、同行者が落ちたこともありました。限界まで追い込まれたことも何度もありました」と振り返った。

また、現在登山ブームの日本人に、以下のようなメッセージを送ってくれた。

「趣味で登山を楽しんでいる方がたくさんいらっしゃると思いますが、登山が単なるスポーツになってしまわないこと、(様々な)経験をもたらすものであってほしいと思います。そして自分の限界を知ってほしい。注意深く、ひとつずつ限界を超え次の目標に向かってほしい」

『ヒマラヤ 運命の山』は8月6日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国順次公開される。

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『ヒマラヤ 運命の山』作品紹介
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