“ビートルズを壊した人”と中傷されたポール・マッカートニーが奏でた音楽と再生の軌跡

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『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』
『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』
(C) Amazon MGM Studios
『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』
『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』

激動の10年に迫る『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』

【映画を聴く】「ビートルズのポール」という、あまりにも巨大な看板を下ろしたとき、ポール・マッカートニーというひとりの人間に何ができるのか……。Prime Videoで配信中の『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』は、1970年のビートルズ解散から、1980年のウイングス活動休止までの激動の10年にスポットを当てたドキュメンタリー作品だ。

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シンプルで美しいサクセス・ストーリーというわけではない。未発表のホームビデオやプライベート音源、ポール本人や数々の関係者の証言から浮き彫りになるのは、「天才音楽家」と「ごく普通の家庭人」という二つの顔が、ひとりの男の中でいかに共鳴し、補完し合っていたかという事実である。

『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』

(C) Courtesy of Prime Video

崩壊の淵で、ひとりの家庭人に戻る

本作は20世紀最大の神話が崩壊する瞬間から始まる。17歳からビートルズの一員として生きてきた28歳のポールは、1970年4月10日に初のソロアルバム『マッカートニー』のリリース。マスコミにはプロモーション用資料として、自問自答形式のインタビュー記事が配布され、その中で「今後ビートルズとして新作を出す予定はあるか?」「ジョン・レノンとのコンビは続くのか?」といった問いに対し、「No」と回答したことが、事実上の「脱退宣言」および「解散発表」として世界中のメディアで大々的に報じられた。

実際にはポールよりも先にジョンが脱退を表明していたが、マネジメントの意向でその事実は公にされなかった。世間の目にはポールが「ビートルズを壊した張本人」と映り、信じられないほどの誹謗中傷に晒されることに。ひどく傷ついたポールはスコットランドのハイ・パーク・ファームに引っ込み、世捨て人同然の日々を送る。華やかなロンドンのスタジオから離れ、泥にまみれ、ウイスキーを煽り、家族と羊に囲まれて過ごす毎日。そこにあるのは、ポップスターの面影を消したひとりの家庭人の姿だ。

妻のリンダ・マッカートニーの支えによってリハビリ的に始めたのが『マッカートニー』のレコーディングである。ここにはプロのエンジニアも整備された機材もない。生まれたばかりのメアリーをあやしながら、ポールが自宅ですべての楽器を演奏し、多重録音で音を重ねる。『マッカートニー』のサウンドは洗練という言葉からは程遠いものの、ここには職業や義務としての音楽制作から解き放たれ、生活と隣接したところで作曲や演奏を楽しむポールの姿が生々しく記録されている。今でこそワンマン・レコーディングの先駆けと評価されるこの『マッカートニー』だが、前述のような風評も相まって多くの聴き手はその出来にがっかりし、「駄作」のレッテルを貼られた。

欠かせないリンダ・マッカートニーの存在

ポールが再び音楽の世界で走り出すための最大の原動力となったのが、リンダ・マッカートニーの存在である。本作は「元ビートルズ」になったひとりの音楽家の再生の物語だが、ポールの横で常に彼を支え続けたリンダの存在に今一度スポットを当てるという側面も少なくないと思う。

音楽的な素養がないリンダを新バンドのウイングスに加入させたことで、ポールは当時の批評家から激しい非難を浴びた。しかし、ポールにとって彼女は単なるキーボード奏者ではなく、彼の精神バランスを保つためのアンカーのような存在だったに違いない。

モーガン・ネヴィル監督はポールのホームビデオを巧みに使い、ステージ上の熱狂とその直後に控え室で子供たちを抱き上げるポールの姿を並列に描く。天才が天才であるために、どれほど「普通の暮らし」を必要としていたか。加えてリンダや子供たちの存在が、ポールの楽曲にどのような温かみと安定をもたらしたのかがそれらの映像から伝わってくる。

「逃亡者」が手にした自由なアンサンブル

タイトルの『マン・オン・ザ・ラン』は、ウイングスとしての3枚目のアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』に呼応している。このアルバムのジャケットは、刑務所の塀を背にサーチライトで照らされたバンドの写真が使われている。

ビートルズという“牢獄”から逃げ出し、自由を求めたポールの旅は、決して順調なものではなかった。初期ウイングスの活動は、予告なしに大学を回るドサ回りのツアーから始まった。自らバンを運転し、宿泊先を探す。ビートルズでは考えられないような泥臭さの中に、ポールは音楽の初期衝動を見出していく。

映画の中で流れるウイングスの楽曲群 ――「マイ・ラヴ」「ジェット」「リヴ・アンド・レット・ダイ(死ぬのは奴らだ)」などのライヴ音源を改めて聴くと、そこにはビートルズ時代とは異なる粗削りなダイナミズムが備わっていることに気づかされる。家族を連れ、世界中を旅しながら作り上げたからこそ達成できたサウンドであることは間違いない。

音楽家として、ひとりの家庭人として

本作の後半、ポールはウイングスとしてのひとつの頂点である『バンド・オン・ザ・ラン』のレコーディングのため、ナイジェリア・ラゴスでのレコーディングを敢行。その後、全米ツアーの狂熱へと向かっていくが、カメラは常にその裏側にある日常もとらえ続ける。

全編を通して感じられるのは、ポール・マッカートニーという人間のしなやかさとタフさだ。彼はジョン・レノンとの確執に悩み、世間の音楽的な評価に一喜一憂する繊細な一面を持ちながら、同時に「自分のために良い曲を書き、家族のために良い夫、父親であり続ける」という素朴ながら強靭な思いを保ち続ける。

『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』が提示するのは、音楽は生活の中からしか生まれないという、当たり前の真実である。冒頭で触れたように、シンプルで美しいサクセス・ストーリーというわけではない。ひとりの人間がアイデンティティを喪失し、模索し、自分は何者でもないひとりの家庭人であると受け入れることで、より大きな自由を手に入れていく。音楽と家庭、その間からの再生。その過程を描く本作は、ドラマよりもドラマ的だ。長らく誤解され続けたポール・マッカートニーというひとりの人間の真実に近づける、優れたドキュメンタリー作品である。(文:伊藤隆剛/音楽&映画ライター)

『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』は、Prime Video にて独占配信中。

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