ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、アメリカを代表する二大シンガー・ソングライターの伝記映画の共通点とは
#ジェレミー・アレン・ホワイト#スプリングスティーン 孤独のハイウェイ#ティモシー・シャラメ#名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN#映画を聴く#音楽映画
(C) 2025 Searchlight Pictures.
2025年に公開された音楽映画を振り返る
【映画を聴く】ボブ・ディランとブルース・スプリングスティーンの伝記映画が同じ年に日本公開されたことは、ただの偶然だとしても感慨深いものがあった。ボブ・ディランの伝記映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は本国アメリカでは2024年の公開だが、ディラン役のティモシー・シャラメが第97回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたこともあって、2025年2月からの日本公開には古くからのディラン・ファンだけでなく多くの観客が足を運んだ。
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ブルース・スプリングスティーンの『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』も、「ボス」の愛称で敬愛されるスプリングスティーン初の本格的伝記映画ということで、楽しみにしていたファンは多かっただろう(50年を超えるキャリアで、彼は1985年・1988年・1997年の3回しか来日公演を行なっていない)。

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』 (C)2025 20th Century Studios
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』と『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』に共通しているのは、ある一時期にスポットを当てた伝記映画だということ。「偉大なアーティストの一生」を分かりやすく整理した通史的な内容ではなく、むしろ創作の過程で生じる葛藤や歪みなど闇の部分に深く入り込んでいく。2024年公開の『ボブ・マーリー:ONE LOVE』がそうだったように、近年のミュージシャンの伝記映画にはこういった一点集中系の作品が少なくない。
色気が匂い立つティモシー・シャラメのインパクト
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が焦点を当てるのは、ボブ・ディランが神格化される以前、つまりミネソタから出てきたばかりの「何者でもなかった」時代である。周囲からは天才として称揚される反面、どこにもカテゴライズできない取り扱いに困る存在として奇異な目で見られている。そしてフォーク・シンガーとして徐々に注目を浴びるも、周囲が求める役割に強い違和感を抱き、逃げるように姿を変えていく。

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
(C) 2025 Searchlight Pictures.
興味深いのは、この映画が「反抗」や「革命」といった分かりやすい言葉でディランを説明しない点だ。彼の才能にいち早く気づいたピート・シーガーや恋人のシルヴィ・ルッソに対する仕打ちなど、彼の行動はしばしば身勝手で、(フィクション混じりではあるものの)周囲を振り回すものとして映る。しかし、その身勝手さこそが創作の原動力であり、同時に彼を孤立させる原因でもある。ここではディランの選択が正しかったかどうかは判断されない。むしろ、選択し続けなければならなかったことの重さが強調される。

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
(C) 2025 Searchlight Pictures.
本作を特徴づけるのは、やはりティモシー・シャラメの存在感だろう。本作は1965年の「ニューポート・フォーク・フェスティバル」でのエレクトリック・ギターを弾き、ロックンロールを演奏するシーンがクライマックスに設定されているが、ティモシー・シャラメはすべての歌唱と演奏を吹き替えなしで担当。似ている/似ていないだけを見れば、シャラメはディランにそっくりというわけではない。しかし、彼の演技からはディラン本人に通じる怪しげな色気が匂い立つ。心酔するフォーク・シンガー、ウディ・ガスリーの入院する部屋でおもむろに歌い出すシーンには年季の入ったディラン・ファンも驚かされたという。
偶像の影に隠れた本当の「ボス」の姿を描き出す
『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』が描くブルース・スプリングスティーンは、ディランの孤高ぶりとは真逆の「人々とつながる声」を持った存在。スタジアムを埋め尽くす観客、労働者階級の希望を歌うロックスターのイメージが今も根強い。しかし本作は、そのイメージの裏側にある孤独と不安を丁寧にすくい取る。
本作の中心にあるのは、成功の物語ではない。むしろ、成功してしまったがゆえに背負わされる役割や期待、責任がいかに彼自身を追い詰めていったかが語られる。スプリングスティーンは「皆のために歌う」存在であるが、そのことが彼から私的な弱さを奪い、孤独を深めていく。彼の誠実さは美徳であると同時に、逃げ場のなさでもある。

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』
(C)2025 20th Century Studios
具体的に言えば、1975年の『明日なき暴走』、1978年の『闇に吠える街』、1980年の『ザ・リバー』という3枚のアルバムのヒットによってスターダムにのしあがった彼が、1984年の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』というさらなるモンスター・アルバムをリリースする以前の1982年、自宅の寝室で録音されたデモテープをそのままレコード化した『ネブラスカ』の時期にフォーカスした映画である。
事実に基づいた伝記映画ではあるものの、この時期の彼の苦悩を描くために多少のフィクションも織り交ぜられている。『孤独のハイウェイ』の監督は、2009年の『クレイジー・ハート』で知られるスコット・クーパー。ジェフ・ブリッジスの演じるカントリー・ミュージシャンの再起の過程を描いたこのフィクションでのノウハウが、本作には多分に活かされているようだ。
ディランを演じるティモシー・シャラメと同様に、スプリングスティーンを演じるジェレミー・アレン・ホワイトも本人にそれほど似ているわけではない。しかし5ヶ月の特訓を経て身につけたという「ボス」の立ち居振る舞いは見事としか言いようがない。ヒロイックな偶像の影に隠れた本当のボスの姿をリアルに感じさせる。

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』
(C)2025 20th Century Studio
「完成」ではなく「過程」を見せる伝記映画
『名もなき者』と『孤独のハイウェイ』の両作を並べて見ると、近年のミュージシャン伝記映画に共通する明確な傾向が浮かび上がる。それは、成功をゴールとして描かないこと。そして、音楽を「栄光の証明」ではなく「問いの装置」として扱う姿勢である。
彼らの代表曲はいずれも感動的に鳴り響くが、それはカタルシスのためというより、葛藤の痕跡として配置されているように感じる。ディランにとって音楽は、自分を縛りつける他者の期待から逃れるための手段であり、同時に新たな誤解を生む原因でもある。スプリングスティーンにとって音楽は、人々とつながるための言葉であるが、その言葉が強くなればなるほど、彼自身の沈黙は深くなる。音楽は彼らを救うと同時に、より深い沼へと誘う。
同じミュージシャンの伝記映画でも、2018年の『ボヘミアン・ラプソディ』(フレディ・マーキュリー)、2019年の『ロケットマン』(エルトン・ジョン)、2022年の『エルヴィス』(エルヴィス・プレスリー)などが成功譚、あるいは喪失からの再生を中心に据えているのに対して、『名もなき者』のディランや『孤独のハイウェイ』のスプリングスティーンは「未完成」のままである。完璧な偶像よりも、迷いや矛盾、間違えを含む姿のほうが、現代の観客には切実に映るということだろうか。ミュージシャンもまた労働者であり、表現者であり、傷つきやすい個人であるという視点が、伝記映画に求められているのかもしれない。
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』と『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』は、「答え」ではなく「問い」を投げかける。「完成」ではなく「過程」を見せる。その曖昧さと未整理をそのまま提示した点にこそ両作の価値はある。
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』はすでにDisney+などで配信も始まっているので、年末年始に改めて見返してみてはいかがだろうか。(文:伊藤隆剛/音楽&映画ライター)
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