堺雅人と井川遥が絶妙に演じる大人の恋、心揺さぶられる珠玉の一本

#レビュー#井川遥#土井裕泰#堺雅人#平場の月#週末シネマ

『平場の月』
(C)2025映画「平場の月」製作委員会
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予想を鮮やかに裏切る『平場の月』

【週末シネマ】同級生だった中年男女の再会から始まる恋愛物語と聞くと、なんとなく先が読めてしまいそうな気がする。だが、『平場の月』は、そんな予想を鮮やかに裏切る。

堺雅人と井川遥が紡ぐ“大人の初恋” 星野源の主題歌「いきどまり」と響き合う愛の余韻

埼玉県の平凡な街に暮らす青砥健将(堺雅人)は、検査で訪れた病院の売店で中学時代に告白して振られた同級生・須藤葉子(井川遥)と偶然再会する。妻と別れ地元に戻った青砥は印刷会社で働き、夫と死別した須藤はアパートで一人暮らし。中学時代のままに互いを姓で呼び捨てし合う二人は、少しずつ距離を縮め、離れていた時間を埋めていく。

程よく夢のようで、程よく生々しい

堺と井川はともに美しいが、どこか疲れた生活感が漂う日常の匂いをまとっている。同世代の観客が自分を投影しやすい中年のリアルが見える一方で、数十年ぶりの再会に初々しい感情を蘇らせる距離感の表現も絶妙だ。

大人ゆえの臆病さや慎重さ、そして「あの頃をやり直したい」という両者共通の微かな願い、砂一粒ほどのもの欲しげな期待。程よく夢のようであり、程よく生々しい。見事なバランスで両方を織り交ぜながら、15歳と50歳を往き来する青砥と須藤の感情を驚くほど説得力をもって描き出す。

(C)2025映画「平場の月」製作委員会
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原作は朝倉かすみの同名小説

同名の原作小説で山本周五郎賞を受賞した作者の朝倉かすみは女性だが、物語が男目線に思えるのは、青砥の視点で世界が描かれるからだろう。男性キャラクターは押しなべて気のいい人ばかりで、絵に描いたような“ダメ男”に対してもその視線は優しい。

対して女性たちは、青砥の恋愛対象外になると途端に詮索好きでお節介な存在ばかりだ。親切めかした彼女たちの興味本位な言動は、ミステリアスな須藤の素顔を次第に明らかにする装置の役割も果たしている。

その偏りは、この物語のある種の誠実さなのかもしれない。青砥の後悔と未練、むき出しの人間性をそのまま映し出している。青砥が須藤の性根を表す「太い」という言葉や、思い出の歌の歌詞など、鍵となるフレーズもじわじわと沁みてくる。

愛というより、恋の物語

愛というより、これは恋の物語だ。恋人同士になるというのは、二つの異なる魂が同じ想いを共有する奇跡の賜物だが、それは同時に、相手を理想化して見ている段階でもある。自分をすべて曝け出すより、見せたくない部分を隠したいという欲もある。相手を好きになり、相手にも自分を好きになってもらいたい段階から先に進み、一方的な想いを押しつけないこと――それが愛なのではないか。本作では、恋から愛へと向かう二人の速度に心を揺さぶられた。

(C)2025映画「平場の月」製作委員会
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自然な名演を引き出した土井裕泰監督

脇を固める俳優陣も見事だ。土井裕泰監督は俳優の魅力を引き出す名手であり、すでに評価の定まった名優でさえも「まだこんな部分が隠されていたのか」と驚かせる。2人の級友だった女性の“悪気のなさ”という罪をあまりにもリアルに体現する安藤玉恵、黒沢清作品で異様な存在感を放つ吉岡睦雄が、ここではどこにでもいそうな普通のおじさんを自然に演じる。成田凌や大森南朋も適材適所で物語に厚みを加える。

そして塩見三省演じる居酒屋の主人も忘れがたい。存在を消すような佇まいながら、確かにそこに居て、二人を見守っている。土井監督は『罪の声』でも、塩見でなければ出せない芝居を引き出していた。

「平場」とは、お笑い業界では芸人のネタではなくフリートークやアドリブを行う場を指し、一般的には「普通の場所」「日常」を意味する。日常の中で青砥と須藤が見上げた月、そして月のように二人を見つめる人々。俳優たちの名演と抑制の効いた演出が織りなす、静かに胸に残る珠玉の一本だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『平場の月』は、2025年11月14日より全国公開中。