広瀬すずと二階堂ふみの対照的な表現が深みをもたらす『遠い山なみの光』

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『遠い山なみの光』
(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners
『遠い山なみの光』
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『遠い山なみの光』
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『遠い山なみの光』

カズオ・イシグロの小説を石川慶監督が大胆な解釈で映画化

【週末シネマ】なんと美しくも謎めいて、そして愛情も深く描く作品だ。石川慶監督による『遠い山なみの光』は、カズオ・イシグロのデビュー小説を映画化した日英ポーランド合作映画。2025年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、海外メディアから「隠れた宝石」と称された。

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戦後復興期の1950年代長崎と1980年代イギリスを行き来しながら一人の女性が語るのはごく個人的な小さな歴史でありながら、観客に深い感動と思索を促す。イシグロもエグゼクティブ・プロデューサーとして参加し、自身より若い世代の監督に託した物語は、原作の精神を受け継ぎつつ、監督による大胆な解釈で新たな命を得ている。

『遠い山なみの光』

(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners

1950年代の長崎と1980年代のイギリス、母が語る物語

物語は、1980年代のイギリスに暮らす悦子(吉田羊)が、娘ニキ(カミラ・アイコ)の問いかけに応じ、戦後間もない長崎での若き日々を回想するかたちで進む。当時の悦子(広瀬すず)は、前夫・二郎(松下洸平)と団地に住み、息子夫婦を訪ねてきた義父・緒方(三浦友和)と穏やかな日々を送っていた。そんな日常に現れたのが、ミステリアスなシングルマザー・佐知子(二階堂ふみ)と娘の万里子だ。

渡英前の過去をほとんど語らなかった母の言葉に聞き入るニキは、やがて物語に潜むいくつもの謎に引き込まれていく。

1950年代の長崎では戦争の傷跡がまだ生々しい。街は再生を遂げて活気を取り戻しているが、そこに暮らす人々の大半が原子爆弾投下の惨状を経験している。その記憶を抱えたまま、彼らが何気ない日常を大切にしていることが、どの場面からも伝わってくる。そこには新しい希望を模索する力強さも漂っている。

今の人々の感情移入を誘う広瀬、時代の女性のリアルを刻む二階堂

キャストそれぞれの表現が作品に深みをもたらす。広瀬すずは当時を再現する装いをしながらもどこか現代的で、2025年の観客の感情移入を誘う主人公を体現する。対照的に二階堂ふみは、戦後の新しい価値観で自らを作り変えようとするような必死さを体現し、時代の女性のリアルを刻む。

良妻であろうとする悦子の抑制された表情や仕草は、ふとした瞬間に内なる葛藤をにじませ、思いがけない激しさをのぞかせる。佐知子が見せる率直さや進歩的な言動の裏に漂う影とともに、二人の関係性は独特の緊張感を生み出している。

悦子と佐知子、ニキを中心とした女性の物語だが、松下洸平と三浦友和による父子のキャラクターも重要な役割を担う。特に悦子の夫・二郎には複雑な背景が垣間見え、父との関係の掘り下げは原作以上に戦争がもたらした悲劇の深さを映し出す。三浦もまた、戦後の変化から取り残された者の苦い悲哀を見事に表現する。

『遠い山なみの光』

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吉田羊の落ち着いた存在感も素晴らしい

イギリス時代では、英国式の生活空間に当たり前のように日本の調理器具が置かれている台所なども説得力ある風景で、そこに溶け込み、英語で娘と語り合う後年の悦子を演じる吉田羊の落ち着いた存在感は素晴らしい。長崎に生まれて5歳で家族と渡英したイシグロの境遇とゆるやかに重なるニキを演じたカミラ・アイコは、ニキと同じく日英の血を引く俳優で、観客に近い立場で物語の水先案内人を務めている。

『遠い山なみの光』

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長崎とイギリスを描き分けた撮影も見事

撮影は、ポーランドで映画を学んだ監督の盟友で『愚行録』『蜜蜂と遠雷』などで組んできた撮影監督ピオトル・ニエミイスキ。1950年代の長崎と1980年代のイギリスを明確に描き分けた。海外メディアが小津安二郎などに言及した本作の長崎は、実在する土地でありながら空想の世界のように映る。戦後の再生を象徴する鮮やかな明るさと深い影のコントラストが印象的で、一方のイギリスはナチュラルなトーンで現実と地続きの風景として描かれる。悦子が30年近い過去の記憶を蘇らせている、というリアリティを映像が示し、それはイシグロが悦子に与えた「信頼できない語り手」という役割にも貢献する。

映画に登場する長崎の光景は、母の語りに耳を傾けるニキの脳内に広がる世界とも思える。おそらく一度も訪れたことのない想像の街“長崎”なのだ。

観客それぞれの中に生まれる『遠い山なみの光』

記憶の曖昧さは物語に謎をもたらし、観客はニキと同じように悦子の回想に翻弄され、何が真実かを探ることになる。例えば、長崎時代の描写に何度か現れる細い縄。説明されることはないが、画面に映し出される不穏な光景を、悦子はどのように娘へ語ったのか。想像を巡らせながら物語の空白を埋めることで、観客自身の解釈が生まれていく。

イシグロが求めたのは、原作に忖度せず、監督の映画を作ることだったという。本作はまさに石川慶の解釈による『遠い山なみの光』だ。そしてこの映画が投げかける多くの余白と謎や問いかけを咀嚼していくと、観客それぞれの中に固有の『遠い山なみの光』が生まれる。その体験こそが、この映画の最大の魅力だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

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『遠い山なみの光』は、公開中。