怒りや悲しみも喜びも丸見え。ALSとの戦いをありのままに描く

#週末シネマ

『ギフト 僕がきみに残せるもの』
(C)2016 Dear Rivers, LLC
『ギフト 僕がきみに残せるもの』
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『ギフト 僕がきみに残せるもの』
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【週末シネマ】『ギフト 僕がきみに残せるもの』

これはある男性のビデオ日記で構成されたドキュメンタリーだ。彼は6週間後に生まれてくるわが子に語りかける。健康な30代に見える彼は、もうすぐ小さな赤ちゃんも抱けなくなることを自身の言葉で伝える。『ギフト 僕がきみに残せるもの』は難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告されたアメリカン・フットボールNFLの元選手、スティーヴ・グリーソンの闘病と家族との日々をありのまま追っている。

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スティーヴ・グリーソンは2000年から2008年までNFLのニューオーリンズ・セインツでプレーしたプロ選手。小柄ながらエネルギッシュな闘志で、ハリケーン・カトリーナ襲来1年後の2006年、災害後初のホームゲームで記憶に残るプレーをした選手だ。彼は引退した2008年に地元出身のミシェルと結婚し、3年後の2011年、34歳の誕生日を前に不治の神経筋疾患とされるALSと診断される。6週間後にミシェルの妊娠が判明した。

ALSの診断を受けてから約4年間のフッテージの大半はスティーヴと友人たちがビデオカメラで撮影したものだ。患者の平均余命は2年から5年という事実は、彼に周囲との関係を見つめ直すことを決意させる。スティーヴは妻や彼の実父、周囲の人々が覚えた恐怖や不満も目をそらさずに撮り続ける。その嘘のなさは時に痛々しいほどだ。

タイムラインをそのままにしたことで、彼の身体能力が衰えていくのも、発話が困難になっていく様もはっきりわかる。感情を隠さない正直な妻は怒りや悲しみも喜びも丸見えだ。冒頭に2人の結婚式のフッテージがあるが、そこで牧師が「順調な時に愛し合うのは簡単だが、困難な時に2人は試される」と言う。新郎新婦は笑顔で「土砂降りでも大丈夫」と応えるが、その反応がまさに試されるのだ。スティーヴが15歳の時に母親と離婚した父親との対話は、愛情があるのに気持ちが行き違い、もどかしさから感情をぶつけ合う父子に心を揺さぶられる。父と息子というテーマは、2011年10月に息子リヴァースが誕生してスティーヴ自身が父親になったことによって、闘病と並ぶ重要な位置を占めている。

スティーヴはワシントン州スポケーンで生まれ育った。90年代のアメリカ、それも北西部で育った彼はシアトル出身のバンド、パールジャムの大ファンだ。本作には同バンドのマイク・マクレディがオリジナル曲を提供し、ボーカルのエディ・ヴェダーとグリーソンの対話も収められている。話題はやはり、父親について。グリーソンは語り手であると同時に聴き手として優れている。この資質が本作を単なるお涙頂戴の闘病記に収まらない、豊かな内容にさせている。

有名人である彼は非営利法人「チーム・グリーソン」を立ち上げ、「白旗は上げない」というスローガンを掲げてALSの啓蒙活動に励む。同じ病に苦しむ患者やその家族の期待に応えようとする一方、確実に進行する病状についての不安、介護と育児で疲れ果てる妻とのすれ違いに苦しみ、前向きばかりではいられない。自由で嘘をつけない妻、天使の役割を果たす幼い息子の無邪気な笑顔さえ救いにならない時がある。体を動かすこと、スムーズなコミュニケーションをとることがどんどん困難になる恐怖に対して、彼ができるのは宙に向かって叫ぶことだけなのだ。

外ではヒーローと呼ばれながら、家に戻れば排泄のコントロールもできない現実を「それが僕の人生だ」と語る彼はやがて自力で痰を出せなくなり、2014年、人工呼吸器を着けた。アメリカでは患者の95パーセントは選択しない、その理由は重い。敢えてその手段を選んだ彼は、最初に診断を受けた2011年のスティーヴ・グリーソンとは違う。ALSは戦う相手だが、それはつまり共に生きていかねばならないということに他ならない。その事実を呑み込み、それでも生きていく。このドキュメンタリーは、息子として、父親として、そして夫として、人間としての彼の成長記録でもある。生きていることを心から楽しんでいる人も、つらくてたまらない人も、あるいはただ何となく日々を過ごしている人も、きっと生きるということについての思いを新たにするきっかけになる。そんな作品だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『ギフト 僕がきみに残せるもの』は8月19日より全国順次公開される。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。