“世紀の裁判”と呼ばれた殺人事件で無罪評決…元NFLスター選手O・J・シンプソンが死去

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O・J・シンプソンのXより(@TheRealOJ32)
O・J・シンプソンのXより(@TheRealOJ32)

警察とのカーチェイスが生中継、裁判は人種問題も絡み大きな注目の的に

アメリカンフットボールのNFLの元スター選手で、1990年代に元妻と知人男性を殺害した疑いで逮捕され、無罪評決を受けたO・J・シンプソンが10日、死去した。享年76

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シンプソンのSNSのアカウントに家族が「4月10日、私たちの父であるオレンサル・ジェームズ・シンプソンがガンとの闘病の末に亡くなりました。彼は子どもたちと孫に囲まれていました」と声明を発表した。

シンプソンは1947年生まれで、高校大学でアメリカンフットボールに打ち込み、1969年に大学卒業した後は1970年代にNFLでスター選手となった。現役時代から『タワーリング・インフェルノ』(74年)や『カサンドラ・クロス』(76年)、『カプリコン・1』(78年)などに出演、1980年に現役を引退すると、俳優やコメンテーターとして人気を博し、映画『裸の銃を持つ男」(88年)などに出演した。

またアーノルド・シュワルツェネッガーによると、シュワルツェネッガーの当たり役となった『ターミネーター』(84年)のT-8000役の候補としてジェームズ・キャメロンはシンプソンを考えていたが、当初カイル・リース役の予定だったシュワルツェネッガーが演じることになった経緯があったという。

シンプソンは1994年6月、元妻のニコール・ブラウン・シンプソンさんと知人男性のロン・ゴールドマンさんを殺害した疑いで逮捕状が下りた際、ロサンゼルスで車に乗って逃走し、警察とのカーチェイスが全米のTVで生中継された後、逮捕された。

翌年に無罪の評決を受けたが、黒人のシンプソンによる白人の男女2人の殺人事件として裁かれた法廷は人種問題も絡み、“世紀の裁判”と呼ばれて大きな注目を集めた。なお刑事裁判では無罪だったが、民事裁判では1997年に元妻の知人男性の殺人が認められ、男性の両親への賠償金支払いが命じられた。

2006年には事件について語った告白本「If I Did It: Confessions of the Killer(原題)」の発表を告知すると、ゴールドマン氏の遺族から猛反発を受け、出版権が遺族側に移った後、2007年に発売された。

同年にはラスベガスで武装強盗容疑で逮捕され、有罪の評決を受けて服役。2017年に仮釈放された。

シンプソンは、当時の法律専門家の多く世紀の裁判と呼んだ、11ヵ月にわたる殺人事件の裁判にかけられた。彼の弁護団は、ロバート・シャピロ、故ジョニー・コクラン、ロバート・カーダシアン、F・リー・ベイリーという強力な弁護士を擁していた

1995年103日、陪審員たちは殺人の両訴因について無罪の評決を下した。この衝撃的な評決を見聞きするために、アメリカ国内だけでも1億人がチャンネルを合わせたと言われている。

1947年79日にサンフランシスコで生まれたシンプソンは、高校時代とサンフランシスコ・シティ・カレッジでフットボールに打ち込み、その後南カリフォルニア大学に編入した。シンプソンは1967年と1968年にトロージャンズのランニングバックとして活躍し、両年ともラッシングで全米をリードした。年生時にはハイズマン・トロフィーを受賞。

1969年のAFLNFL共通ドラフトでバッファロー・ビルズに1位指名され、1978年までプレー。1979年から1982年の引退まで、シンプソンは地元サンフランシスコ49ersでプレーした。

「ジュース」のニックネームで親しまれたシンプソンは、1973年にNFL選手として初めて1シーズン2,000ヤード以上のラッシュを記録。レギュラーシーズン14試合制のNFL2,000ヤード以上のラッシュを記録した唯一の選手でもある。

プロフットボール選手引退後、シンプソンはフットボールのアナウンサーやスポーツキャスターに転身。また、『ドラグネット』、『イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト』、『110』などのテレビ番組や、『タワーリング・インフェルノ』、『ルーツ』、『裸の銃』3部作などの映画にも出演し、その演技力でも知られるようになった。

シンプソンは『フロッグメン』というテレビ映画にも出演した。殺害事件の数ヵ月前に完成したこの作品は、NBCの重役たちが最終的に棚上げを決定したため、放映されることはなかった。