『セールスマン』アスガー・ファルハディ監督インタビュー

トランプ大統領に抗議、映画賞総なめの名匠が語る現代の問題点

#アスガー・ファルハディ

現代社会にある選択肢は、「適応」か「死」だけ

引っ越して間もないある夜、妻が予期せぬ侵入者に襲われた事件をきっかけに揺らいでいく日常。理性をかき乱されていく夫婦を主軸に、様々な思惑が絡み合う、息をもつかせぬ心理サスペンス『セールスマン』。アカデミー賞外国語映画賞を受賞したほか、カンヌ国際映画祭脚本賞、男優賞もW受賞した秀作、先週末より全国順次公開となった。

監督はイランの名匠、アスガー・ファルハディ。2月に行われたオスカー授賞式では、トランプ大統領が発令したイスラム圏7ヵ国出身者の入国を禁ずる大統領令に抗議し、ファルハディ監督と主演女優タラネ・アリドゥスティが授賞式をボイコットしたことも話題となった。

不寛容が急速に広がる世界への問いを投げかける本作について、ファルハディ監督に語ってもらった。

──新しい時代の到来に置き去りにされる年老いたセールスマンとその家族を描いた、アーサー・ミラーの名戯曲「セールスマンの死」をモチーフにした作品ですね。

『セールスマン』撮影中のアスガー・ファルハディ監督

監督:私は学生の時に、「セールスマンの死」を読み、とても胸を打たれました。たぶんそれは、人間関係を描いているからだと思います。とても成熟した脚本で、いろんな解釈ができます。とても重要なポイントは、都会であるアメリカの突然の変化によって、ある社会階級が崩壊していく時代の社会批判です。急速な近代化に適応できない人々が崩壊するのです。その意味で、この戯曲は、私の国イランの現在の状況をうまく捉えています。物事が息つく暇もないほどのペースで変化しています。そこにある選択肢は「適応」するか、または「死」です。この戯曲の根幹である社会批判は、今のイランにあてはまるのです。
 またこの戯曲のもう一つのポイントは、家族、特にセールスマンと妻リンダのような夫婦内の社会的関係の複雑さです。この戯曲には、とても強い切実な訴えがあります。それは感動を与えるだけでなく、観客に微妙な問題を考えさせるのです。私は映画のメインキャストたちが劇団員で、舞台で演じるという設定を決めたときから、ミラーの作品がとても気になり始めました。彼の作品は、映画で作りあげた夫婦の生活と類似性を膨らませることができるからです。舞台では、夫のエマッドと妻のラナは、セールスマンとその妻をそれぞれ演じています。そして彼らの実際の生活でも、気づかぬうちに、セールスマンとその家族に直面していき、セールスマンの運命を選択しなければならない状態となります。

『セールスマン』撮影現場でのアスガー・ファルハディ監督

──本作は、復讐劇でしょうか? あるいは失われた道徳心の話でしょうか?

監督:説明したり、要約したり、自分にとって何を意味するのか言葉にするのが、本当に難しい作品です。すべては、観客それぞれの個人的な関心事や物の見方によるのです。もしこの映画を社会的な主張としてみるのであれば、その人はその要素を記憶にとどめるでしょう。また、この映画をモラルの話、あるいはまったく違った角度からを観る人もいるかもしれません。私に言えることは、この映画は人間関係、特に家族関係の複雑さを描いた作品であるということです。

──主人公となるエマッドとラナは、最初、ごく普通の夫婦です。この2人のキャラクターは、イランの中流階級の典型的なものですか?

監督:エマッドとラナは、イランの中流階級です。しかし、2人の関係性、あるいは各個人としては、この2人が中流階級の夫婦の典型とはいえません。2人のキャラクターは、観客にこのカップルは他の夫婦とは違うと思われないようなシンプルな設定にしました。それぞれ個性を持った普通の夫婦。2人は、ともに文化人であり、舞台にも出演している。しかし、2人は、それぞれの性格の予期せぬ側面を露呈する事態に直面することになるのです。

映画監督として、イランに開かれた窓を提供する機会を与えられていると思う
『セールスマン』撮影中のアスガー・ファルハディ監督

──登場人物が新しいアパートのテラスから見た景色は、テヘランの無秩序な開発を思わせます。それは、あなたが暮らしている街の個人的な見解ですか?

監督:今、テヘランは、「セースルマンの死」の冒頭でアーサー・ミラーが描いたNYにとても近いです。街の様子が恐ろしいほどの速度で変化しています。古いものや果実園、公園が取り壊され、そこにビルが建設されています。まさに戯曲のセールスマンが住んでいた環境なのです。それは、また映画と戯曲との新たな類似点でした。テヘランは、狂乱的に、無秩序に、そして理不尽な方法で変化しています。家族の映画を描くときには、家は大きな役割を果たします。それは『ある過去の行方』でも明らかです。今回も「家」と「街」は中心的な役割を果たしています。

──この映画のでイランの女性が置かれている状況について、批判的な視点を感じることがありました。侵入者に襲われた妻・ラナの選択は、沈黙を貫いてスキャンダルを避けるものです。この映画でのあなたの意図を教えてください。

監督:「ガードは固くあれ、身体や家族は隠すものである」という考えを私たちは持っています。イランでは子どもの時に、男と女を分けることを学びます。私は、それに対して意見しているわけではありません。ただ、そういったことが存在するということを言っているのです。このプライバシーの問題に加えて、世間の目もあります。他者があなたを見る目、それがとても重要です。

アスガー・ファルハディ監督

──あなたはイランを代表する映画監督の一人といえると思います。それについて大きな責任を感じていますか?

監督:重圧は感じていません。むしろ機会が与えられたと考えています。ひとつの映画で、7000万人ものそれぞれの信仰や生活がある多様な社会全体を描くことは、誰もできないことだと認識しています。しかし、ひとつの映画で、ひとつの社会の風景を描くことはできます。それが、たとえ、私の視点であったとしてもです。しかし、映画監督として、自分の才能を限定しない限りは、イランに開かれた窓を提供する機会を与えられていると思っています。

アスガー・ファルハディ
アスガー・ファルハディ
Asghar Farhadi

1972年、イラン・イスファハン生まれ。13歳の時に初めて短編映画を撮り、大学進学までに5本の短編を制作。イランのヤングシネマ・インスティテュートで学んだのち、テヘラン大学でも映画を専攻した。大学在学中に数多くの学生演劇の台本執筆、演出を手がける。同大学を卒業後、タルビアト・モダレス大学の舞台監督コース修士課程に進み、連続TVドラマの演出や脚本も手がけた。03年に初の長編映画『砂塵にさまよう』(未)で監督デビュー。『彼女が消えた浜辺』(09年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。フランスで大ヒットした『別離』(11年)でアカデミー賞外国語映画賞、ベルリン国際映画祭で金熊賞と銀熊賞(男優賞、女優賞)などを受賞。『ある過去の行方』(13年)では主演のベレニス・ベジョがカンヌ国際映画祭女優賞を受賞。2011年にはタイム誌の“最も影響力のある100人”のひとりに選定されている。