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『Smoke デジタルリマスター版』プロデューサー・井関惺インタビュー

20年以上愛され続ける不朽の名作、その製作秘話とは?

『Smoke デジタルリマスター版』プロデューサー・井関惺インタビュー
ほとんどポール・オースターという名前だけに反応して製作することに…

『Smoke デジタルリマスター版』
20016年12月17日より全国公開
(C)1995 Miramax/N.D.F./Euro Space
21年前、恵比寿ガーデンシネマで25 週に渡るロングラン上映された伝説的な作品『スモーク』。現代アメリカを代表する作家ポ ール・オースターが1990年ニューヨークタイムズに発表した短編小説「オーギー・レ ンのクリスマス・ストーリー」をもとに 作者自ら脚本を書き下ろし、名匠ウェイン・ワン監督が映像化した。

今もなお愛され続ける不朽の名作が、この度『Smoke デジタルリマスター版』としてよみがえった。今週末から公開される本作が出来るまで、そして今だから言える裏話などを井関惺プロデューサーに語ってもらった。


──本作に関わることになったきっかけは?

『Smoke デジタルリマスター版』
(C)1995 Miramax/N.D.F./Euro Space
井関:NDFという会社を設立して映画のディベロップメント(開発)とファイナンス(資金調達)を手がけていた僕は、1991年夏、銀座の東武ホテルでウェイン・ワンに会いました。別の仕事で来日した彼が新たな企画を携えていたのは、バブル崩壊後とは言え日本はまだお金を持っている国と誤解されていた時代でもあったからでしょう。最初、ウェイン・ワンはユーロスペースの堀越謙三氏に相談し、堀越氏が彼と僕を引き合わせた格好です。
 たまたま僕はポール・オースターのニューヨーク3部作を読んでいて、彼の大ファンでした。『スモーク』の企画のきっかけとなった、ニューヨーク・タイムズ紙に載った「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の切り抜きをウェイン・ワンに見せられ、感激した僕は、ほとんどポール・オースターという名前だけに反応して「製作したい!」と言ってしまいました。
 ポール・オースターが脚本を書くという条件を僕が付けたような話もありますが、それは事実とは違います。僕は「書いてもらえたら嬉しい」としか言っていないのに、ウェイン・ワンが条件のように伝えたのでしょう。おかげで翌日にはウェイン・ワンから「ポール・オースターがOKした」という朗報が入りました。でも、「どうせ井関はアメリカのパートナーを見つけられっこない」とポール・オースターが思っていたとは、後々まで知りませんでした(笑)。

『Smoke デジタルリマスター版』
(C)1995 Miramax/N.D.F./Euro Space
──ポール・オースターの読み通り、アメリカの製作パートナー探しは難航したそうですね。

井関:そうなんです。ウェイン・ワンが見つけてきた(フランシス・F・コッポラ監督が設立した製作プロダクション)アメリカン・ゾーイトロープとの話は流れ、僕があてにしていたソニー・ピクチャーズ・クラシックスからも断られました。社長のマイケル・バーカーとは、前身のオライオン・クラシックス時代に黒澤明監督の『乱』(85年)の仕事を通じて親しくなり、ジェイムズ・アイヴォリー監督の『ハワーズ・エンド』(92年)でも仕事をしたばかりだったのですが。
 僕はミラマックスともニール・ジョーダン監督の『クライング・ゲーム』(92年)で仕事をしていましたが、社長のハーヴェイ・ワインスタインはまともに話を聞いてくれるタイプではなさそうだと思っていたところ、ちょうどサンダンス映画祭のプログラミングディレクターだった知人トニー・サフォードがミラマックスに入ったので、彼に話を持っていき、ようやくミラマックスが製作費を出してくれることになりました。
 トニー・サフォードからは、「ウェイン・ワンとポール・オースターの組み合わせを考えられるお前は最高だ」と褒められましたが、それは前に言ったような成り行きなので僕の功績というわけではありません。でも、ひとつだけ僕に功績があるとすれば、ブルックリンでの撮影を決断したことです。安く作るために、ノースカロライナにあるセットを使って16ミリで撮る案も最後まで残っていましたが、やはりブルックリンで撮ることが重要だと感じたのです。
 1993年秋にミラマックスの参加が決まる前後から毎週、ニューヨークに通う生活が6ヵ月続きました。金曜に発ち、その日にミラマックスと仕事をして、土曜はウェイン・ワンやポール・オースターや現場の人たちと打ち合わせをし、日曜の飛行機に乗って月曜に帰国する。たまたま同時期にNDFが税務署の特別調査を受けていたため、向こうに居続けるわけにはいかなかったのです。ミラマックスとの契約は細部を詰めるのに時間がかかり、契約書にサインしたのは撮影のわずか3週間前でしたが、トニー・サフォードの配慮で製作費の一部が前払いされたおかげで準備ができました。製作費は500万ドルと決まりましたが、最終的には550万ドルかかりました。

(2016/12/18)


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井関惺
いせき・さとる

1943 年東京都生まれ。大学在学中に、日本ヘラルド映画に入社。映画の宣伝、買い付け、邦画の海外セールス業務などを行った。ヘラルド・エースの 設立と共に取締役に就任し、大島渚監督作『戦場のメリークリスマス』(83年)、黒澤明監督のアカデミー賞外国語映画賞受賞作『乱』を製作。ジョン・ローン主演による柳町光男監督作品『チャイナ・シャ ドー』(89年)を製作した後、NDFを設立し、企画開発及び製作を行い、デイヴィッ ド・クローネンバーグ監督の『裸のランチ』、アカデミー賞3部門に輝くジェイムズ・ア イヴォリー監督の『ハワード・エンド』(91年)、ニール・ジョーダン監督の大ヒット作『クラ イング・ゲーム』(92年)の資金調達を行ない、完成に導いた。

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