プロフットバッグプレイヤー石田太志インタビュー

足でお手玉!? 世界で唯1人のプロフットバッグプレイヤー・石田太志が開拓者の軌跡を告白

#石田太志

誰もやっていなかったことに魅力を感じた

「バッグ」と呼ばれる5cmほどのお手玉のようなボールを蹴り上げる競技「フットバッグ」で、世界唯一のプロプレイヤーにして2014年にはアジア人で初めて世界大会「第35回ワールド・フットバッグ・チャンピオンシップ」で優勝を果たした石田太志選手。

高速で華麗な脚さばきから繰り出されるパワフルかつ芸術的な技や甘いマスクで徐々に人気を集め、テレビ番組への出演も増えているほか、PVがYahoo!などで取り上げられ40万回も再生されるなど、今注目を集めている。

03年にスポーツショップで観た映像をきっかけにフットバッグを始め、11年には会社員を辞めてプロの道へ。そして、14年にはついに世界一達成へと飛躍を続ける彼に、これまでの過程や優勝後の変化、そして共感する映画まで語ってもらった。

──まずは、フットバッグとの出会いや石田さんの経歴を教えてください。

石田:始めたのは2003年でした。小・中・高までサッカーを12年やっていて、大学に入ってからサッカーを続けようか悩んでいた時、たまたま入ったスポーツショップで見たフットバッグの映像がすごく格好良くて、衝撃を受けたのがきっかけでした。

──始めた当初はどんな練習をされていたのですか?

石田:まだ日本ではほとんど周りにプレイヤーがいなかったので、サッカーのリフティングのように蹴って独学で練習したり、海外の映像をコマ送りで観てスタープレイヤーの動きを研究したりしていました。そのうち都内の公園で練習している人たちがいるのを発見して、そこで自分より1年先に練習していた方から教わったりと切磋琢磨していました。その後、大学を休学してカナダにワーキングホリデーで1年ほど行ってフットバッグの修行に励んだり大会に出場したりしました。

フットバッグについて熱く語るフットバッグ選手

──プロになったきっかけは?

石田:大学を卒業後、アパレル会社に就職しましたが、フットバッグへの情熱が冷めず深夜12時くらいから練習して朝出勤する生活を送っていて、就職して3年半経ってプロになろうと決めました。11年、27歳のときです。(プロとして)フットバッグで生活をするのは世界中でも今までない道だったのでどうなるか分からなかったですが、誰もやっていなかったことに対して魅力を感じて。思い切ってプロへ転身し、色々なイベントでパフォーマンスをさせていただいたり、教える活動を始めました。

「フットバッグで生活するのは無理」と言われ心が折れそうに
世界大会「第35回ワールド・フットバッグ・チャンピオンシップ」の金メダルとお手玉のような“バッグ”

──世界で唯一のプロフットバッグプレイヤーで、石田さんは初めてフットバッグを“職業”にしたわけですよね。まさにパイオニアということですが、プロになると決めたときの周囲の反応はどうでした?

石田:両親もそうですけど、最初は「難しいんじゃないか」と言われましたし、よく笑われもしました。それでもいつかは結果を出して認めてもらえるようになろうと活動を一生懸命続けてきました。

──プロとして最初はどんな活動を?

石田:退職して最初に行ったのはスポンサー企業を探す活動でした。メールを何百通も送ったり、社長に手紙を書いて送り続けたりしていましたが、フットバッグというスポーツ自体が知られていなくて、自分の実績もなかったのでスポンサーはなかなか見つかりませんでした。それでも、物資を提供していただいたりイベントにパフォーマンスで出演させていただいたりすることによってフットバッグが人目に触れる機会が増え、パフォーマンスを見た方からイベントの依頼をいただいたりして、徐々にフットバッグで生活ができるようになっていきました。

──その過程で苦しかった経験はありましたか?

石田:そうですね。(ある企業との)物資提供の交渉中に破断になってしまったことがあるのですが、担当の方から「フットバッグで生活するのは無理だと思いますよ」と言われたこともありました。その頃はまだ自分もフットバッグで生活を確立していなかったので、ちょっと心が折れそうになりました。

──それでも諦めずに続けてこられたモチベーションはどこにあるのでしょうか?
爽やかな笑顔の石田太志選手。ルックスの良さも人気急上昇の理由のひとつ?

石田:フットバッグの可能性を信じていたからです。知る人が増え、プレイする人が増えれば魅力を感じてもらえるだろうな、と。

──昨年、フットバッグの世界大会でアジア人として初となる優勝を成し遂げましたが、その影響は?

石田:優勝してからの変化は大きかったですね。これまで(2004年設立の)「日本フットバッグ協会」の設立メンバーで理事も担当し、フットバッグを広めていこうと活動していました。ただスポーツだけのアプローチだと広まりづらく、マイナーなスポーツは何かの“結果”がないと広まりづらいと感じていました。ですので途中から方法を変え、世界で結果を出せるような選手を出すことでフットバッグを知ってもらおうとやってきましたが、昨年の優勝によって様々な方面から注目されるようになりました。

膝のリハビリとして考案されたのがきっかけ
石田太志選手の華麗な足技

──これまでにどれくらいの方にフットバッグを広めてきたのでしょうか?

石田:今までに1万人は体験してもらったと思います。ようやくここ1年くらいで(広がりに)実感を得られるようにはなっています。フットバッグは元々アメリカでお医者さんが膝を怪我した患者さんのリハビリとして考案されたのがきっかけなので、ほかのスポーツや高齢者の方々のリハビリ、子どもたちのサッカースクールに伺ってワンデースクールで全国各地を回ったりしています。以前は教える相手は1対1や10人以下でしたが、最近は100人規模だったりして、知っていただく機会は一気に増えました。

──フットバッグはリハビリから始まったんですね。世界中でどれくらいプレイヤーがいるんですか?

石田:アメリカとヨーロッパが主に盛んで、600万人ほどプレイヤーがいると言われています。向こうでは、公園でみんなで輪になって日本の蹴鞠(けまり)のように蹴るのが盛んです。

──フッドバッグのなかにもネットを挟んでバッグを蹴りあう「フットバッグ・ネット」や蹴る回数や時間を競う「フットバッグ・コンセキュティブ」など様々な競技形式がありますが、そのなかで石田さんが取り組んでいる「フリースタイルフットバッグ」について教えてください。

石田:30秒間でできるだけ多くの技を繰り出して得点を積み上げていく競技です。技の種類は2000種類以上もあり、大体、1つの技に1秒かかるので、30個の技を構成します。技のレベルが1から7くらいに分かれていて単純にそれを点数に換算して積み上げていく感じです。

──競技のポイントはどんなところですか?
石田太志選手の華麗な足技

石田:30秒間で早く多く、それでいて種類の違う技をすることが重要です。ミスして落としてしまうと最後の技はノーカウントになってしまいます。減点にはなりませんが、拾う動作で1〜2秒消化してしまうので、ミスをしないことが大事です。

──石田さんが得意な技は?

石田:インサイドから片足でジャンプして最後に逆足のインサイドで終わる技があるんですけど、そういうパワー系と言われるような跳躍力が必要とされる技が得意だったりします。

金メダルを手にした石田太志選手

──ムビコレは映画ファンが多いサイトなので伺いたいと思います。映画がお好きだそうですが、どんな映画がお好きですか?

石田:自伝的な映画を見ることが多いです。この人がどうやって生きてきたのかが描かれた実話をベースにしたようなものが好きで、最近印象に残ったのは『スティーブ・ジョブズ』という映画です。元々Appleという会社が好きで、他の方から色々な意見をもらいながらも自分の意見を貫き通す姿、人から反感を受けながらも自分のイメージしたものや気持ちを貫き通す気持ちの強さには、自分も人から色々言われたり最初はしましたし今でもありますけど、気持ちを強く持たないといけないなと、励まされるような印象を受けました。

──Yahoo!でPVが取り上げられ40万を超える再生回数を記録するなど高い反響を得ていて、石田さんに注目されている人々も多いと思います。そんな人々にメッセージなどあればお願いします

石田:映像をご覧いただきましてありがとうございました。フットバッグというのは元々ダンスのようでリフティングの要素が強く非常にかっこいいものだと思っています。最初は難しいかもしれないですけど、みなさんこれからフットバッグに触れていただいて、プレーしていただければと思います。

(text&photo:中村好伸)

石田太志
石田太志
いしだ・たいし

1984年4月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。プロフットバッグプレイヤー。2014年にアジア人で初めてフットバッグの世界大会「第35回ワールド・フットバッグ・チャンピオンシップ」で優勝。世界でただ一人のプロフットバッグプレイヤーでもあり、パフォーマンス活動のほかにフットバッグをいかして高齢者を対象にしたトレーニングを行うなど、啓蒙活動にも力を入れている。石田太志公式サイト=http://www.taishiishida.net