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『アンティークの祝祭』ジュリー・ベルトゥチェリ監督インタビュー

大女優カトリーヌ・ドヌーヴと実娘キアラの共演作を撮る

『アンティークの祝祭』ジュリー・ベルトゥチェリ監督インタビュー
“収集癖”のある女性監督がアンティーク品を通じて人生や老いを描く

『アンティークの祝祭』
近日公開
(C)Les Films du Poisson - France 2 Cinéma - Uccelli Production – Pictanovo
ある朝、「今日が私の最期の日」と確信した老女は、長年集めてきた人形や仕掛け時計などのコレクションをガレージセールで処分することに決めた。大きな家具から小さな雑貨まで、見事なアンティークの大安売りに、庭には多くのお客がやってきた。この奇妙な様子を友人から聞いた老女の娘は、20年ぶりに実家に戻ってくるが……。

白髪の老女クレールを演じるのは、フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。人生と共にあったアンティーク品を手放すことでよみがえる悲劇的な記憶、その一方で記憶があいまいになってきている現実、人生の終焉に向き合う孤独な女性を気高く表現している。そんな母の老いた姿に当惑する娘マリー役には、ドヌーヴの実娘キアラ・マストロヤンニ。ふたりはこれまでにも母娘役で共演しているが、本作では長い人生の間に広がっていった母娘の溝と確執を、実際のふたりにはない関係性でありながら、幅広い演技でみせてくれる。

監督は、グルジアを舞台に祖母、母、娘の3世代を描いた『やさしい嘘』(2003年)がフランス国内外で高い評価を受けたジュリー・ベルトゥチェリ。本作に登場する邸宅は監督の祖母が遺したものであり、数々のアンティーク品の中には祖母と監督自身のコレクションも含まれているという。人生の断片が宿ったモノをキーアイテムにして、老いていく過程で避けて通れない感情をあぶりだしたベルトゥチェリ監督に、作品への想いを聞いた。


──『アンティークの祝祭』は、リンダ・ラトレッジの小説「Faith Bass Darling’s Last Garage Sale」の映画化です。この本のどういったところが気に入ったのですか?

監督:私は物を集めるのが大好きなの。がらんとしたアパートにいると不安になる。そして、ガレージセールとフリーマーケットの大ファン。そうした場所で自分の物を売る人たちは、剥き出しの自分をさらしているようなものだけど、そうだと気付いていない。そうした品々はそこの家族の歴史を垣間見る窓よ。経験が織り込まれて、血が通っているようなものなの。
 親しい友人にもらったこの本を、私は楽しんだわ。私が意識している多くのテーマを含んでいたのよ。母と娘の間の複雑な関係。死がいかに私たちに影を投げかけるか。思い出の品物や家具。家族の関係を歪ませる家庭内の嘘、秘密、伏せられた事柄。迫り来る死。積み重ねた思い出にとらわれることは息苦しく、悲しいことでありながらも、人に忘れ去られることで最後にはそこから解放されるというのがテーマでした。
 物に対する私の執着には、何世代にも渡る熱心なコレクターの家系に生まれたという背景があるの。子どもの頃の家には、旅行の土産物、代々受け継がれた品、幸運にも手に入れたような品やコレクションがたくさんあった。それらには、思い出、思い入れ、あとからその品を見るとその時や場所を懐かしく思うような感情的なつながりがあって、その品により自分の人生を回顧できるの。この作品は、あれこれ集めた自分の一部である雑然としたコレクションの回顧でもあるわ。

──クレールは最後に自身のコレクションを売って処分しましたが、それは愚かな行為だと思いますか?

監督:深刻な収集癖には深い心理的な意味合いがあって、死を追い払う方法だと言われています。次々に新しい品を見つけて終わりのない謎に入り込めるから、いつも死を押しやっていられるのね。この無限の仕組みは、品物を蓄積してコレクションを構成していくことを通じて、収集自体がひとつの作品となる。私たち人間の作る辻褄の合わない世界を、そうと知りながら振り返る行為よ。だから、そうした品々を売ることは、クレールにとって大胆な行為なの。彼女が神父に話したように、そうした品々は彼女の人生の試練のあいだ、助けてくれたものだから。大切にしてきた品々が彼女自身よりも長生きして、他の人のもとで別の「人生」を過ごすのを受け入れるということは、彼女が自分の死を受け入れることに他ならないのです。

──一方で、彼女の行動はコレクションへの無関心と解放とも感じられますが。

監督:手放すという考えは、私がこの本の中でとても気に入ったものだった。タダ同然で自分のコレクションを売ることで、クレールは自分自身を自由にする。どれひとつとして、特定の誰かには残したくないのよ。それで、買い手には慎重にそれぞれの品に込められた物語を語るの。彼女にとっては、物を売り払うのではなく、物語を伝えることが目的だから。私にとって、この自由になる最後の行為は、彼女の人生の挫折を反映したものだった。これは解放なの。クレールは時代と少しずれた人生を送り、周囲の人、特に娘に対していつも世話を焼いて気配りしていたとは言えなかった。それが自分自身を守る彼女なりの方法で、鎧のようなものだったの。それがなければ、彼女はばらばらになっていたでしょうね。究極の愚かさの中、彼女は自分の欠点、行きすぎた行為、過ちを受け入れ、娘と和解するの。

──どこからともなく現れて、家の周辺の騒ぎを観察する幼い少女がいますね。

監督:時々現れる幼い少女は、原作ではもっと詳しく説明されていたの。彼女はあの村に暮らす野生児のような存在だけど、映画では彼女の幻影はもっと魔法めいて神秘的ね。彼女はガレージセールを覗きにやってきた村の子だろうか? 幼い頃のクレールか娘のマリー? それとも子ども時代の象徴的な存在?とね。庭でのファランドール・ダンスにも同じことが言える。今、村に住んでいる子供たちが踊っているの? それとも何世紀もの間にこの家で暮らしたことのある子どもたち? あの子たちの服は衣装なのか、当時の現実の服なの?と。幼い少女の小屋は、子どもの頃のマリーかクレールのものかもしれないと観客が想像できそうね。そこで幼い少女はドラマと緊張を帯びているだろう品々で、魔法の世界を作り出すけれど、あれは遊ぶことと物語を語ることの喜びも体現しているの。

──最初から、クレール・ダーリングを演じるのはカトリーヌ・ドヌーヴだと考えていましたか?

監督:私は特定の女優を念頭に置いて脚本を書くことはしなかったの。原作に着想を得て、私自身の想像力で膨らませたキャラクターを作り出したかったから。脚本が書き上がって、いざキャストについて考え始めたら、カトリーヌ・ドヌーヴこそ明らかな選択だと思えた。彼女は才能があり、幻想めいた部分、偉大な自由の感覚を持っている。それに、彼女が素敵なものを愛し、偉大なコレクターであることを私は知っていたの。彼女にこの役の依頼を出して当然に思えた。カトリーヌは優れた女優で、私は彼女と一緒に働くのが大好き。彼女は作品に深く関わり、自分の役柄だけでなく、その映画全体に興味を持ち、押し付けがましくならずにアイデアを出す人よ。あれだけの知性があり、映画での経験が多い女優は、本当の贈り物ね。私は彼女のシルエットが大好きで、それは彼女そのものでありながら、同時にクレール・ダーリングの完全な化身でもある。自分の最後の日を生きていると知ることで、この女性は爆発するようなエネルギーと愉快ないたずら心を持つの。彼女が理性を失ってしまったのか、理性を失ったふりをしているのか、観客には言い当てられない。カトリーヌは、その複雑な、どちらとも言えない状態を表現するのが優れているのよ。

──カトリーヌ・ドヌーヴの白髪は初めてみました。

監督:私は彼女の見慣れたイメージを変えたかったの。彼女はとても若々しくて、生命力にあふれている人よ。だから、彼女を老けさせないとならなかったの。クレール・ダーリングはある種の世捨て人。誘惑に対する欲望をあきらめなければならなかった。彼女は気を強く持って、最後の日のために素敵な服を着る。でも、もうすぐ死んでしまうというのに、ドヌーヴのきれいなブロンドの髪はふさわしくないと思えたの。私は彼女に断られるのではと思ったけれど、彼女は重要性を理解し、静かに同意した。白髪になっても彼女はまだ気高くて輝いているけれど、彼女が自分の演じる人物の年齢を受け入れることが、私にとって重要だった

──カトリーヌ・ドヌーヴ演じるクレールの若い頃を演じる、アリス・タグリオーニについてはいかがですか?

監督:“若いドヌーヴ”を見つけることは、不可能に近い仕事だったわ! カトリーヌ・ドヌーヴは私たちが目にしながら育ったアイコンよ。私たちは彼女が20歳、30歳、40歳でどんな風だったか知っている。彼女を見てきたし、今でも当時の映画の彼女を見ることができるしね。最初、キャスティング担当のステファン・バトゥと私は、顔立ちが彼女に似た人ではなく、存在感があって彼女らしい品格を呼び起こす人を探すべきかもしれないと迷ったの。でも、私はもっと具体的なものを求めていた。それを、ドヌーヴによく似たとても美しいアリスの中に、みなさんも見つけられると思う。

──あの村でサーカスは何をしていたのですか?

監督:サーカス、動物、ピエロは原作にはなかったの。私は大好きなこの村のお祭りの大半を作って、原作の世界に加えたの。これは私なりの、イオセリアーニ(※1)、エテックス(※2)、フェリーニ(※3)へのちょっとした目配せよ。
(※1 グルジア出身の映画監督オタール・イオセルアーニ/※2 フランスの映画監督でイラストレーターのピエール・エテックス/※3 イタリア出身の映画監督フェデリコ・フェリーニ)

──そのエピソードは原作にある悪魔払いだったのですか?

監督:ええ。しかもそれだけではなく、私が最も心引かれた要素のひとつだったの。私は信者ではないけれど、カトリック文化の中で育った。でも、家から悪い魂を追い払うために、神父が悪魔払いで発するあの途方もない言い回しが大好きよ。映画のキャラクターが引き受けた異なる探索と共鳴し、お祭りの会場で頂点に達して集結するの。私は凝縮された時間に向かってカウントダウンしていく、調和のとれた結末にしたかったのよ。

(2020/04/22)


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ジュリー・ベルトゥチェリ
Julie Bertuccelli

1968年2月12日生まれ。フランス・ブローニュ=ビヤンクール出身。初の長編映画『やさしい嘘』(03年)は、カンヌ国際映画祭の批評家週間グランプリ、セザール賞の新人監督賞など20以上の賞を受賞。長編2作目となるシャルロット・ゲンズブール主演の『パパの木』(10年)、ドキュメンタリー作品の『バベルの学校』(14年)などを経て、本作が長編3作目。

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