『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』ホセ・ルイス・ロペス=リナレス監督インタビュー

「芸術家の使命は謎を深めること」 エロティックでグロテスクな悪魔のクリエイターを追う!

#ホセ・ルイス・ロペス=リナレス

今なお、「快楽の園」の不思議さに魅了されている

エロティックでグロテスクな“天国と地獄”が所狭しと描かれた三連祭壇画「快楽の園」を残し没した謎の画家、ヒエロニムス・ボス。ブリューゲル、ルーベンス、ダリ、マグリットをはじめ名だたる画家に影響を与えたボスの素顔に迫るドキュメンタリー『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』が、12月16日より公開される。

生年も不明で、現存する作品は25点のみという“悪魔のクリエイター”の謎を追ったホセ・ルイス・ロペス=リナレス監督に話を聞いた。

──本作は、プラド美術館の全面協力の下で作られましたが、映画製作の経緯を教えてください。

『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』
(C)Museo Nacional del Prado (C)López-Li Films

監督:私は、以前にもプラド美術館の依頼で収蔵作品の画家を題材にしたドキュメンタリー映画を5作製作しています。『快楽の園』も同じ流れで製作依頼を受けました。
『快楽の園』にはもともと関心がありましたが、美術史研究家のラインダー・ファルケンブルグ氏の「The and of Unlikeness(原題)」を読んで好奇心が湧き上がりました。本と出会ってから2年以上経ちますが、今なおこの絵の不思議さに魅了されています。

──映画製作にあたり、注意したポイントはありますか?

監督:本作が、謎多き「快楽の園」と観客との架け橋になればと考えています。みなさんが謎と直面するために謎に足を踏み入れ、謎を楽しむことができるよう、鑑賞のヒントを差し出しだしたのです。
 フランスの科学映画監督ジャン・パンルヴェの言葉に、「映画監督は興味を引かれない映画を撮ってはならない」という戒めがあります。私はその言葉通り、すべての作品で対象人物や事物をワクワクしながら撮ることを心掛けてきました。
 本作でも、「快楽の園」とボスを理解しようとリサーチを重ね、様々な専門家の意見から私なりに発見したものを映画に盛り込みました。私は、事実や日付にさほど興味がありません。もちろん、この絵の歴史を語るうえで事実とデータは正確であるべきですが、私の役割は発見の裏に隠された作家の意図と感情を伝えること。考古学者と発見の物語を伝えるストーリーテラーの両面を楽しんで製作しました。

『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』
(C)Museo Nacional del Prado (C)López-Li Films

──多彩なゲストが印象的です。

監督:「快楽の園」にゆかりがある、もしくはプラド美術館と私がぜひ話を聞いてみたいと感じた方々に声をかけました。ゲストに求めたのは、私と観客がこの絵を理解するためのヒントを提供してくれる、もしくは鋭くウィットのある質問をしてくれるかのいずれかでした。
「悪魔の詩」の小説家サルマン・ラシュディ氏には空振りを承知で依頼をしたので、快諾の返事が来たときにはスタッフ一同が感激しました。彼には他のゲスト同様に、閉館後の美術館に来場してもらいました。誰もいないホールで、絵に触れそうなほど近づいて見入る姿は魔法のようでしたね。そうそう、彼の最新作はボスに関するものだと聞いています。
 彼が指摘したように、三連祭壇画は鑑賞者に多くの罠を仕掛けています。バリエーション豊かな色使いや形、淡いブルーやピンクが想像力を刺激し、難解で謎に包まれた絵を魅力的で抗しがたいものにしています。一度この絵に引きつけられたら最後、絵の世界に耽溺するのは間違いありません。

──「快楽の園」に圧倒される一般来館者の表情も印象的でした。

監督:小さなカメラを抱えて、私1人で現場に入ったからでしょうか、撮影にはほとんど気付かれませんでした。このシーンは撮影自体は簡単でしたが、その後が一苦労でした。映画の出演許可書にサインをもらうために、スタッフが美術館中を走り回って、ひとりひとりからサインをいただきました。
 撮影中、『快楽の園』のモチーフがプリントされたシャツを着た女性が現れたので、絵の前に来てもらいました。実は、彼女は自分の服が目の前にある巨大な絵をモチーフにしていたと知らなかったんです! 奇跡のような偶然に気付いた彼女の驚きの表情は、この絵画が鏡としての役割を持つという比喩を実によく表現してくれました。

『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』
(C)Museo Nacional del Prado (C)López-Li Films

──ボスに関する謎が解明されることなく、映画は幕を閉じます。監督の目的は謎は謎のままにしておくことなのでしょうか。

監督:芸術家の使命は謎を深めることにあります。哲学者のミシェル・オンフレ氏が劇中で示唆するように、芸術が持つのは、衝撃とカタルシスを通して、人間の魂に優れたものを受け入れさせる力だけです。私たちはみな謎を愛し、謎を求めています。謎を巡り、謎について考え、謎を解こうと会話し、謎に決着をつけることが、人生をより豊かに、より興味深いものにする。ボスは心からそのことを理解していたからこそ「快楽の園」を世に送り出したのではないでしょうか。

ホセ・ルイス・ロペス=リナレス
ホセ・ルイス・ロペス=リナレス
José Luis López-Linares

1955年4月11日生まれ、スペインのマドリード出身。ドキュメンタリー作家、撮影監督、プロデューサー。プラド美術館から6人の作家のドキュメンタリーを依頼されるなど、スペイン随一のドキュメンタリー作家として知られる。高級料理の世界的コンテスト“ボキューズ・ドール”で奮闘するスペインチームを追いかけた料理ドキュメンタリー『ファイティング・シェフ 美食オリンピックへの道』(07年)を監督した他、撮影監督として『仁義なき街』(87年)、モントリオール世界映画祭グランプリ受賞作『豚と天国』(88年)、ペネロペ・クルス主演作『情熱の処女〜スペインの宝石〜』(96年)、『ベジャール、そしてバレエはつづく』(09年)などを手がける。