『ティエリー・トグルドーの憂鬱』ヴァンサン・ランドン インタビュー

フランスで100万人が見た社会派ドラマに主演

#ヴァンサン・ランドン

普通の男の役だからこそ、カンヌで主演男優賞をもらい嬉しかった

リストラされ、妻子や住宅ローンを抱えたまま20ヵ月も再就職できず、職業訓練や面接で屈辱的な扱いを受けている中年男・ティエリー。ようやくスーパーの監視員の職を得るも、さらに残酷な局面が待ち受けていた。

人としてささやかな幸福と尊厳を求める者が直面する、あまりに過酷な現実を冷徹かつリアルな演出で描いた『ティエリー・トグルドーの憂鬱』。フランスで社会派ドラマとしては異例の観客動員100万人を記録した大ヒット作に主演し、2015年のカンヌ国際映画祭およびフランス・セザール賞の主演男優賞を受賞したヴァンサン・ランドンが来日した。寡黙な男の心情を演じ切った彼に、本作での演技について、俳優哲学について語ってもらった。

──ティエリーは普通の男で、俳優として準備するのは難しかったのではないかと思います。例えば、彫刻家の役ならば技術を取得するなど、ある意味役作りもしやすいですが、本当に何の特徴もない普通の男を演じるのは難しいのでは。

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』
(C)2015 NORD-OUEST FILMS - ARTE FRANCE CINEMA.

ランドン:そう。だからこそ、私はカンヌで主演男優賞をもらった時にとても嬉しく、光栄に思ったんです。一般的に言って、こういう賞はとても難しい役に挑戦し、的確に演じた時に贈られるものです。私は次作で彫刻家のオーギュスト・ロダンを演じましたが、8ヵ月の間、毎日8時間彫刻を勉強しました。ただ、この役については方向性が明確でした。もちろん、ロダンになり切るのは大変ですが、逆に本作のティエリーという役には演出の方向性がないわけです。何の手がかりもないまま、どれだけ自分の内面からティエリーを探していくか。そういう役作りでした。

──すごく抑制的な演技をされていると思いました。無言で佇んでいる姿から、「ティエリーは何を考えているのか?」と観客の想像をかき立てるようでした。

ランドン:私はそういう役がとても好きです。演じる役と俳優を同一視してもらうため、その役として生きるには、多弁である必要はないんです。受け身であること。周りで起こっていることを傍観するのみ、介入することなく、ただ見ていること、そして苦しむこと。これを心がけました。

観客は、主人公が何度パンチを食らっても踏ん張る姿に共感する
『ティエリー・トグルドーの憂鬱』
(C)2015 NORD-OUEST FILMS - ARTE FRANCE CINEMA.

──そういうティエリーの性質は、日本人にはむしろ理解しやすい気がしますが、一般的に自己主張の強いフランス人、あるいは欧米の観客に彼の寡黙さはどう受けとめられたのでしょうか?

ランドン:そう言われるのも、よくわかります(笑)。確かにフランス人には、うるさいというイメージもあると思います。しかも意味もないことに騒いだりしてね。一方、日本人は禅の精神で受け入れることができる民族だと思います。この映画はヨーロッパで、特にフランスで大成功しました。ティエリーは決して騒々しい男ではありませんが、彼の生き方について、ボクシングの試合に例えてみると、大切なのは最終的に勝利することなんです。パンチをよけたり、よけきれなかったり、それでも最終的に勝てばいい。ティエリーはその戦いに挑むわけです。何度パンチを食らっても何とか倒れずに踏ん張って、システムに従わず、譲歩しない姿に観客は共感し、ティエリーになりたいと思うわけです。

──今回、あなた以外のキャストはプロの俳優ではありませんでした。彼らとの仕事で何か新しい刺激を得られましたか。

ランドン:まず、とても心地良かったです。彼らはとても真面目です。私はそこに新しいものを感じ、多くの発見がありました。彼らはいわゆるプロの俳優よりも、この映画の中で語られる登場人物に近い人たちです。恵まれない環境にあったり、階層的にも近い。彼らの存在が、映画に真実味を与えることができたと思います。共演シーンの撮影はほとんどワンカットで行われ、何か技術上の問題があったときのみ、2度目を撮るような感じでした。ですから、映画は最終的に現実の生活にとても近いものになっています。

──

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』
(C)2015 NORD-OUEST FILMS - ARTE FRANCE CINEMA.

劇中の彼らがとても自然だったことにも驚きました。嘘のない演技を引き出すために、あなたが手助けしたり、心がけたことはありますか?

ランドン:私が彼らを助けたり、何かをするということは全くありませんでした。私が何かをしてあげないといけないということありませんでした。映画というよりも、本当にその人生を生きている感じで、彼らと接していました。

撮影前に監督からシナリオを取り上げられた
ヴァンサン・ランドン

──ワンカットで撮ることが多かったというのは、カットを割っテイクを重ねると、芝居が嘘っぽくなってしまうのを避ける意味もあったのでしょうか。

ランドン:その通りです。プロでない人が何度も芝居を繰り返すと嘘っぽくなってしまう。一方で、プロの俳優は何度も演じているうちにだんだん良くなるんです。素人の方に関しては1〜2回が限度なのかもしれませんね。それ以上繰り返すと、彼らが持っている自然さが失われてしまいます。あくまでも、彼らから自然に出てくるものを映像に残すということです。

──まるでドキュメンタリーを見ているようでしたが、実際は脚本のある劇映画です。劇中の台詞はどの程度、脚本に忠実なものだったんでしょうか?

ランドン:ほぼ忠実だと思います。クランクインする前に2週間ほどシナリオを自宅で読み込み、研究し、自分の中で覚えたりもしました。ただその後、ステファヌ・ブリゼ監督からシナリオを取り上げられてしまったんです。撮影中はシナリオが手元にない状態で、毎日監督から、翌日行う撮影の指示がメールで送られてきました。翌日撮るシーンの台詞に出てくる機械の名前であったり、ストーリーとして必要な部分の説明があったりという具合でした。私だけではなく、全ての人がそういう情報を前日にメールでもらっていました。まるで、スラロームを行うように「ここに行って、そこからここへ移動して」「この場所ではこんなことを、あの場所ではあんなことを言う」というふうに行程が説明される。そういうやり方でしたが、最終的にはオリジナルのシナリオにとても近いものになりました。つまり、いずれにせよ、やり方は1つしかない。まっすぐ行くしかないということです。

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』
(C)2015 NORD-OUEST FILMS - ARTE FRANCE CINEMA.

──社会の中のティエリーもですが、家庭における彼の姿も非常に印象深く、家族3人がとても美しいと思いました。彼は2年近く失業しているけれど、夫婦でいがみ合うこともないし、障害のある息子と3人で、互いを慈しみ合って生きています。

ランドン:この家族はとてもセクシーだと思います。とてもモダンで、ロックンロールな家族。現代人より、よっぽど進歩的です。妻は妻の役を務め、夫は夫の役を務め、お互いに尊重し合っています。互いの存在があるからこそ、いろんなことができる。支え合っているんです。彼らは金銭的には貧しいかもしれませんが、心理的な面、感情的な面ではとても豊かな人たちです。彼らの息子もそうです。この家族3人は本当に固く結び付いている。ですから、ティエリーがある決断をする時も、恐らく妻はこの決断に同意してくれるだろうと、彼は確信を持っていたわけです。彼が置かれている状況は、一歩外に出れば戦争状態。でも家に帰ると、そこには平和しかない。そう考えれば、何のリスクもない人生なんです。家に帰れば平和がある。彼にとって最も重要なことは、愛を与え、そして愛を受けるということなんです。与えて受けるのか、受けて与えるのか、それは分からないけれど。ですから、家庭の外で何があっても構わない。仕事に恵まれても家庭で不幸であれば、その人は不幸なんです。また、仕事で不幸であっても家庭で幸せな人。それは成功した人生なんです。一番理想的なのはもちろん、その両方を得ることですが、最悪なのは、そのどちらも得られないことです。

──ご自身の生き方にも当てはまりそうですね。

ランドン:私自身、俳優として自分がやりたいと思う映画にしか出ません。高額なギャラでブロックバスターのオファーが来ることもありますが、あくまでも、自分が選んだ映画にしか私は出ません。そうすることで私は自由でいられるし、幸せです。共演したい人がいた時に、そして素晴らしい物語があった時に、一緒に仕事をしたいと思う監督がいた時に、私は映画に出演します。「これを着ろ」「ニューヨークや東京に行って、取材を受けてこい」と言われても、私は自分の意志でやりたいと思った時にしか動きません。「こう言え」と言われても、言わない。自分の言いたいことしか言わないし、映画も出たいものにしか出ない。俳優として、妥協することはしません。あくまでも、私は私なんです。そういうふうに生きるには代償も大きいと思いますが、それをできるのはとても贅沢なことだと思っています。

(text:冨永由紀)

ヴァンサン・ランドン
ヴァンサン・ランドン
Vincent Lindon

1959年7月15日生まれ。フランス、オー・ド・セーヌ出身。アラン・レネ監督の『アメリカの伯父さん』(80年)の衣裳アシスタント、ル・マタン紙の記者を経て俳優に。『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(86年)など助演で活躍した後、『女と男の危機』(92年)でセザール賞主演男優賞に初ノミネートされる。98年の主演作『パパラッチ』では脚本も担当。ハリウッドでラッセル・クロウ主演の『スリーデイズ』としてリメイクされた『すべて彼女のために』(08年)や、ステファヌ・ブリゼ監督の『シャンボンの背中』(09年)や『母の身終い』(12年)など、アクションからコメディ、シリアスな役まで幅広くこなす。