公害病の原点・水俣病は「何も終わっていない」 ロバート・キャパ賞のユージン・スミスの貴重な写真を公開

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MINAMATA―ミナマタ―
(C)Ishikawa Takeshi
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「人との繋がりの大切さを深く感じて欲しい」とアイリーン

ジョニー・デップ製作・主演の最新作『MINAMATA―ミナマタ―』が、9月23日に公開される。このたび、実在した主人公W・ユージン・スミスの最も近くにいた元妻アイリーン・美緒子・スミスと、元助手の写真家・石川武志からのコメントが到着。あわせて、石川が撮影したユージンの素顔を捉えた貴重な写真が公開された。

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1970年に通訳者として富士フイルムのコマーシャル制作の仕事に携わりユージン・スミスと出会ったアイリーンは、71年にユージンと結婚後、熊本県水俣に移住し、共に水俣病の問題について取材を行った。

MINAMATA―ミナマタ―

アイリーンはユージンについて、決して諦めず、何があっても真実と向き合う人だったと振り返りながら、次のようにコメントした。

「映画を見た後のその想いを胸に、自分の花を咲かせてほしいです。そして、ユージンが大事にしていた人との繋がりの大切さを、映画を通じて深く感じてもらえたら嬉しいです」

「人生に必要なことすべてを教えてくれた」と石川武志

また、石川は写真学校に通っていた71年9月に、ミナマタプロジェクトで来日中のユージンに東京の自宅近くの路上で偶然出会い、アシスタントになった。自身もユージンと共に水俣病に苦しむ人々を撮影、75年に渡米し、ユージンのアパートに住みながら、写真集「MINAMATA」の出版などに立ち会った。

そんなユージンを石川は、「人生に必要なことをすべて教えてくれた人」と崇拝する。そして、「単なるアシスタントとしてではなく、一人の人間として接してくれた」と、その人間性に魅力があると指摘し、観客に対して、映画を通じて歴史的なプロジェクト「MINAMATA」に立ち会ってほしいと訴えた。

石川は、75年にフリーランスとなってからも40年にわたり取材を継続。水俣の過去と現在を写し出したフォト&エッセイ「MINAMATA NOTE 1971-2012 私とユージン・スミスと水俣」を12年10月に出版した。公害病の原点である水俣病について「何も終わっていない」と考えたからだ。

今回公開された写真には、その写真集に収められたもののほか、ユージンやアイリーンのプライベートが垣間見える貴重なショットが含まれている。

ユージンが水俣で工場を前に撮影する様子、水俣病患者に優しく寄り添う姿、山のようなプリントの中で写真選びをするユージン、アイリーンとの仲睦まじい姿などが写しとられている。

MINAMATA―ミナマタ―

・公開された石川の貴重な写真11枚を一気に見る!

ロバート・キャパ賞のユージン・スミス、アイリーンとの晩年描く

本作品は、熊本県水俣市のチッソ工場の廃水を原因とした日本四大公害病のひとつ水俣病を世界に知らしめた写真家ウィリアム・ユージン・スミス(William Eugene Smith)の実話に基づく映画。

ジョニーは、長年の憧れであるユージンの遺作となった写真集「MINAMATA」を基に、「映画の持つ力をフルに活用して、この歴史は語り継がなければならない」と自ら製作、主演を努めて映画化した。監督はアンドリュー・レヴィタス、音楽は坂本龍一

MINAMATA―ミナマタ―

ユージンは、1918年12月30日にアメリカ・カンザス州ウィチタ生まれ。世界的写真家集団「マグナム・フォト」の正会員で、太平洋戦争ではサイパン、沖縄、硫黄島で戦場カメラマンとして活躍。戦後は一般の人々の生活を捉え、「ライフ」誌で発表した「楽園へのあゆみ」、「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」といったフォト・エッセイで世界的な評価を得た。

本作品の舞台は、71年のニューヨーク。あるとき、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に侵され歩くことも話すこともできない子どもたち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側──そんな光景に驚きながらもシャッターを切り続けるユージンは、チッソの社長からのネガを大金で買うという申し出を拒否したために危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る……。

ユージンは、アイリーンと水俣市に暮らしながら3年間にわたり水俣病の問題を取材し、75年にアイリーンと連名で写真集「MINMATA」をアメリカで出版すると、世界中で大反響を巻き起こす。翌年、ロバート・キャパ賞を受賞した。

『MINAMATA―ミナマタ―』は、9月23日に公開される。