容赦ないパワハラとドラッグ、身勝手な大人に破滅させられた人気子役の実像に迫る

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『ジュディ 虹の彼方に』
(C)PATHÉ PRODUCTIONS LIMITED AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2019

特殊メイクをあえて抑え、演技力で勝負
【週末シネマ】『ジュディ 虹の彼方に』

第92回アカデミー賞をはじめ、2019年度の各映画賞の主演女優賞をほぼ独占したレネー・ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』は、『オズの魔法使』(39)や『スタア誕生』(54年)で知られる人気女優だったジュディ・ガーランドの晩年の物語だ。

悲劇じゃない、と伝えたかった/『ジュディ 虹の彼方に』レニー・ゼルウィガー インタビュー

愛らしいルックスと歌唱力、演技力を兼ね備えた少女スターとしてもてはやされたジュディは20代後半から低迷と復活を繰り返すが、1960年代は再び低迷し、1969年6月に47歳で亡くなった。映画に描かれるのはその半年前、借金がかさんで一夜を過ごす場所にも困る状況に追い込まれたジュディが起死回生を目指し、まだ幼い子ども2人を残して単身ロンドンに向かうところから始まる。

ゼルウィガーはもともと外見はジュディと似ていないが、特殊メイクは敢えて最小限に留め、その分、歌い方や身のこなしなどで極力本物に近づく熱演を見せている。幼い頃から身についたエンターテイナー魂も、わが子が可愛くてたまらない母性もひしひしと伝わってくる。そんなジュディの不遇は精神的に不安定で「使いにくい」というレッテルを貼られたからなのだが、その原因を作ったのは他ならぬ、そのレッテルを貼った側=往時のハリウッドだ。カメラの前に立つ時には興奮剤を与え、短時間でぐっすり眠らせるために睡眠薬を与え、太らないように痩せ薬として覚醒剤を与え、プロデューサーは容赦ないパワハラ発言を浴びせる。その様子が、ロンドン公演に臨むジュディの脳裏にフラッシュバックする。

破滅型のスターの実録作品というと、荒んだ様子を強調する場合もあるが、本作は興味本位な描写は極力抑えている。ゼルウィガーは本作出演にあたって、事前にジュディの実子たちに面会することは叶わなかった。ジュディに関する資料はすでに数多くあり、ゼルウィガーは現在公になっている以上の事柄に踏み込むべきではないと解釈したという。自身も私生活を語りたがらない彼女らしい、ジュディ・ガーランドという存在に対する敬意が伝わる選択だ。舞台「End Of The Rainbow(原題)」を脚色したストーリーは、実話にフィクションを混ぜながら、稀代のスターの真の姿に迫っていく。その1つが、彼女の大ファンであるゲイのカップルとの交流だ。今よりはるかに保守的だった1960年代、すでにゲイ・アイコンだった彼女の側面を描くと同時に、つらい日々を送る中でふと訪れる温かい瞬間という、人生のリアルも伝わってくる。

劇中でゼルウィガーがジュディとして披露する、ジュディの境遇そのもののような歌詞の「By Myself」から、誰もが知る「虹の彼方に」まで、どれも胸に迫る名演だ。暴露的な内容にせず、ボロボロになっても自らを奮い立たせ、ステージに上がることで観客を、そして自らをも救う。そんな生き方を選んだスターを祝福する。この作品は、ゼルウィガーがアカデミー賞主演女優賞を受賞し、『スタア誕生』で本命視されながら同賞受賞を逃したジュディに賞を捧げたことで真の完結を迎えた。そんな風に思えるドラマティックな1作だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『ジュディ 虹の彼方に』は3月6日より公開中。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。

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