【週末シネマ】自分は何者なのかを問う、恐ろしくも魅力的な『ある男』

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『ある男』
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(C)2022「ある男」製作委員会
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男の素性を探るミステリーのもうひとつのテーマはアイデンティティ

ようやく巡り合い、共に幸せに暮らしていた伴侶が実は、名前も顔もまったくの別人だった。夫に先立たれた女性の依頼を受けた弁護士が真相へと迫っていく『ある男』は、平野啓一郎の同名小説の映画化。2017年に『愚行録』で組んだ石川慶監督、脚本の向井康介、主演の妻夫木聡が再集結した。

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シングルマザーの里枝(安藤サクラ)は谷口大祐(窪田正孝)と名乗る男性と出会って再婚し、新たに子どもも生まれた4人家族で穏やかな日常を送っていた。だが、数年後に大祐は仕事中の事故で命を落としてしまう。やがて、長年疎遠だった大祐の兄(眞島秀和)が遠方から法要に訪れると、彼は遺影の人物は弟ではないと断言した。思いもよらない事態に、里枝はかつて離婚の際に頼った弁護士の城戸(妻夫木)に連絡し、「大祐」ではない「ある男」の身元調査を依頼する。

『ある男』

谷口大祐という人物は実在し、戸籍もある。では里枝が愛した夫は誰なのか? 城戸が仮に「X」と呼ぶ「ある男」の足跡をたどり、本物の大祐との接点を探し、男の素性を探っていく謎解きミステリーに影のようについて離れないもう1つのテーマはアイデンティティだ。

丹念な調査から「ある男」と本物の谷口大祐の物語が浮かび上がり、城戸もまた自らに向き合うことを余儀なくされる瞬間が何度も、不意に訪れる。

石川監督は、自分という生き物を他人がこうだと決めつける社会の息苦しさ、さらに偏見や差別についても踏み込んでいく。相手を知り尽くしているという錯覚と愛することの違いも描かれる。中心となる城戸と谷口夫妻はもちろん、彼らをめぐる1人1人のキャラクター造形が実にきめ細やかで、人の温かさ、冷たさ、恐ろしさがリアルに響く。

1人の人間を一面だけで捉えることの無意味さ

過去を置き去って前進したかった男女を演じる窪田と安藤が互いに見せる無防備な表情に心が震える。妻夫木はストーリーテラーの役割を担いつつ、映画のテーマを背負う主人公としての存在感を見せる。

『ある男』

悪びれまくる眞島秀和や、里枝の連れ子で思春期を迎えた悠人を素直に演じた坂元愛登など、どの俳優も血の通った演技で物語を紡ぐ。そして強烈なインパクトを放つのが、Xの過去の鍵を握るとおぼしき老人を演じる柄本明だ。関西弁のセリフに妙な違和感があるのだが、その異様な響きが実は効果的で、城戸もろとも観客までも一呑みされそうな闇があり、映画は一瞬ホラーになる。この人物がいる場所の様子も非現実的だ。このように完全にリアリティを無視したものと写実的なものが混在する意匠は、1人の人間のアイデンティティを一面だけで捉えることの無意味さを表しているかのようだ。

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なりたくない自分を脱ぎ捨て、他人に化けるのは意外に簡単だ。だがそれは、その人が誰なのかを名前や身の上だけで判断するならばの話。自分は何者なのか、それを決めるのは何なのか、誰なのか。『ある男』は自分という謎の深い森への入り口のような、恐ろしくも魅力的な映画だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

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『ある男』は、2022年11月18日より公開中。

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