「被害者たちの声がこの映画を作らせた」ベトナム戦争の枯葉剤の悲劇に迫るドキュメンタリー

#ドキュメンタリー#失われた時の中で#坂田雅子

©️2022 Masako Sakata
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©️Joel Sackett
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ベトナム戦争の枯葉剤の影響に迫るドキュメンタリー映画『失われた時の中で』が、8月より全国で順次公開されることが決定した。

・ドキュメンタリー映画『失われた時の中で』、他写真9枚はこちら!

坂田雅子監督「被害者たちの声がこの映画を作らせた」ベトナム戦争の枯葉剤をテーマに3本の映画を製作 

本作は、ベトナム戦争のその後を追うドキュメンタリー。写真家だった夫・グレッグが、同戦争時に散布された枯葉剤の影響で亡くなったかもしれないと聞かされた妻・坂田雅子は、カメラを手にベトナムへ。そこで目にしたのは戦後30年を過ぎてなお、枯葉剤の影響で重い障害を持って生まれてきた子どもたちと、彼らを愛しみ育てる家族、無医村を周り支援活動を続ける医師、アメリカ政府と枯葉剤を製造した企業に対する裁判を起こした元ジャーナリスト。癒えることのない戦争に向き合い続ける人々の姿をカメラは静かに映し出す。

1960年代初頭、ベトナム戦争下。アメリカ軍はベトナムに枯葉剤を散布した。その影響はベトナムの人々だけでなく、アメリカ人をはじめとしたベトナム帰還兵とその家族にも及んでいる。『失われた時の中で』の坂田監督の夫であるグレッグ・デイビスもその1人。1967年から1970年の3年間、南ベトナムに駐留していたグレッグは、2003年4月に胃の不調を訴えて入院。その2週間後に帰らぬ人となった。彼の身に起こったことを知りたい一心でカメラを手に撮りベトナムに向かう。当時、坂田監督は55歳。手探りで始まった映画作りだったという。

2007年にベトナムの枯葉剤被害を記録した『花はどこへいった』(日映画コンクールドキュメンタリー映画賞受賞)、2011年に米軍帰還兵の子どもたちへの枯葉剤被害を取材した『沈黙の春を生きて』(文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞選出)を発表。坂田監督はその後もベトナムに通い、枯葉剤被害者と交流を続けた。2010年には自らが提唱者となり、経済的な理由で専門学校や大学への進学が厳しい枯葉剤被害者の子どもやそのきょうだいを対象とした奨学金制度「希望の種」をハノイのVAVA(Vietnam Association of Victims of Agent Orenge/Dioxin)と共に設立。現在に至るまでのおよそ10年間で1000万円以上の寄付を集め、100人以上の子どもたちの教育を支援している。

最愛の夫を亡くしてから、まもなく20年。ベトナムはめざましい経済発展を遂げましたが、枯葉剤被害者とその家族は取り残されている。時間の経過とともに明らかになる、戦争が奪ったものと奪えなかったものとは。

坂田雅子監督は「夫の死が枯葉剤のせいかもしれないと聞き、まさに藁にもすがるような気持ちで、枯葉剤について調べ、ドキュメンタリー映画を作ろうと思い立った時、私は55歳でした。何の経験もないところから始まった映画作りでした。今回の『失われた時の中で』は枯葉剤をテーマにした3作目になります。続編を作ろうと意図していたわけではないのですが、ベトナムを訪れるたびに出会う被害者たちの声がこの映画を作らせたのです」と話し、続けて「グレッグは彼の死によって、私に新しい生を与えてくれたのかもしれません。いくつかの小さなドキュメンタリーを作ってわかったことは、小さな私にもできることがある。いや、組織に頼らない小さな私だからこそできることがある、ということです。ベトナム帰還米兵の『戦争はいつまでも終わらない。だから始めてはいけないのだ』という言葉が響き続けます。戦争や、国際政治など世界の大きな出来事の前につい立ちすくんでしまいますが、諦めずに一人一人がもち堪えるところに希望はあるのだと思います」と語っている。

『失われた時の中で』は8月より全国順次公開。

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