鉛筆を足首に突き刺してグリグリ! スプラッター・ブームの起爆剤となった低予算映画とは?

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死霊のはらわた
『死霊のはらわた』

スプラッター・ブームを巻き起こした『死霊のはらわた』

【ホラー講座forビギナーズ3】ホラー映画に血しぶきはつきもの。その血しぶきを前面に押し出したサブジャンルがスプラッター映画だ。本来「スプラッター」という単語は、水などをバチャバチャ跳ね飛ばすことを意味する。そこから転じて、血しぶきや生々しいバイオレンス描写を意識的に盛り込んだ映画のことを指すようになった。

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ジョージ・A・ロメロ監督が自身の『ゾンビ』(78年)を「スプラッター・シネマ」と呼んだのが最初の用例だとされるが、このサブジャンルが広まったのは、ジョン・マッカーティの著書「Splatter Movies: Breaking the Last Taboo」(84年)から。

スプラッター映画に関する最初の研究書である同書は、その起源をフランスの残酷演劇グランギニョルに求め、グリフィスの『イントレランス』(16年)を始め、サム・ペキンパー監督作や『ダーティハリー』シリーズが、ジャンルの発展に大きな役割を果たしたと指摘している。

同書がスプラッター映画の始祖として挙げるのが、60年代に一連の血まみれ映画を発表したハーシェル・ゴードン・ルイスだ。ルイスは映画界引退後にマーケティングの専門家として活動した人物であり、本人に猟奇趣味があったわけではない。低予算映画の監督だった彼は、大手スタジオに対抗する手段として大手がやらない過激な表現、つまりスプラッターを選択したのである。

このルイスの戦略は低予算映画を中心に受け受け継がれるが、70年代オカルト・ブームが来ると大手製作のホラー映画にも過激な描写が現れる。『オーメン』シリーズなどがその好例だろう。そして『ゾンビ』『13日の金曜日』(80年)などが世界的なヒットを飛ばしたことから、ホラー映画における残酷表現が一気に過激化。80年代にスプラッター・ブームが巻き起こることになる。

80年代スプラッター・ブームの起爆剤になったのは、若干21歳のサム・ライミ監督が発表した『死霊のはらわた』(81年)だった。ライミら大学の映画サークル仲間が、歯科医や医師から集めた資金で制作した低予算映画ながら、やり過ぎのスプラッター描写とコミック的なテンションで突っ走る血みどろジェットコースター・ムービーである。

後に制作される2本の続編とTVシリーズはコメディ要素が強いが、本作は若干のユーモアを交えながらも基本的にはシリアス。人里離れた山小屋で週末を過ごしていた5人の大学生が、悪霊を解き放つ呪文を録音したテープレコーダーを発見する。それを興味本位で再生したことから彼らは一人ずつ悪霊に憑依されてゾンビ化し、残る仲間に襲いかかる。

鉛筆を足首に突き刺してグリグリしたかと思えば、親指で両目を押しつぶす。さらに斧で五体バラバラ、ショベルで首切断と人体破壊のオンパレード。ゾンビの傷口からは、おびただしい血糊とともに白い液体が噴出する。まさにスプラッター。もちろん残酷ではあるのだが、その突き抜けた描写はスラップスティックな面白味がある。

スプラッターは過激になるほどにリアリティを失い、ある一線を超えた時点でスラップスティックなコメディになる。モンティ・パイソン、アンディー・ウォーホル作品にも言えることだが、それを極端に推し進めたのが本作だろう。続編『死霊のはらわたII』(87年)はコメディ色を明確に打ち出し、スプラッターとコメディの相性が抜群に良いことを証明してみせた。

スプラッター・コメディもひとつのサブジャンルとなり、後にピーター・ジャクソンの『ブレインデッド』(92年)を生み出す。スラップスティックな人体破壊の限界に挑んだ同作は、プール一杯分の血糊と60人分の切断された手足を使ったという。(文:伊東美和/ライター)

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