『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督インタビュー

“全編ワンカット”に見える究極のリアル映像について語る

#サム・メンデス

ワンカットで撮るために何度もリハーサルをしたよ

『1917 命をかけた伝令』は、『アメリカン・ビューティー』や『007 スカイフォール』などの大ヒット作で知られるサム・メンデス監督が初めて脚本まで手掛けた意欲作だ。舞台は1917年、第一次世界大戦中のフランス。仲間の部隊に重要なメッセージを届ける任務を与えられた2人の若いイギリス兵が、数々のトラップをくぐり抜けてミッションに挑む一日を描く。メンデスがこだわったのは、兵士たちの息遣いまで感じられるような没入感だ。そこで、『ブレードランナー 2049』の撮影監督ロジャー・ディーキンスらとともに綿密な準備を重ねてロケ撮影を行い、全編を通じてワンカットに見える迫力の映像をつくりあげ、第92回アカデミー賞では撮影賞、録音賞、視覚効果賞の3部門を受賞した。渾身の一作を完成させた名監督に、作品が生まれたきっかけや撮影の苦労を聞いた。

──最新作『1917 命をかけた伝令』はどのような作品ですか?

監督:第一次世界大戦中の1917年の“ある1日”が舞台だ。ドイツ軍が西部戦線に築いた要塞群を突然撤退して姿を消したのだが、実は街を破壊し、退散した場所に地雷を仕掛けスナイパーを配備、つまりブービートラップを仕掛けていた。本作では、若き2人のイギリス兵士が進軍する友軍1600人の命を救うために、伝令を届ける使命を授かったことについて描いている。

──本作の撮影方法について教えてください。

『1917 命をかけた伝令』撮影中の様子

監督:第一次世界大戦を映画化するにあたっては、〈リアルタイム〉であることと、主人公の息遣いまで描くために〈長回し/ワンカット〉で撮影する方法がベストだと考えた。だから、通常なら編集という魔法の切り札があるけれど本作にはない。俳優たちの演技に合わせ、カメラマンと技術スタッフたちが息をぴったり合わせて撮影したんだ。カメラマンがワイヤーに繋がれ上空を横切って撮影し、地上に降りた瞬間にワイヤーをすぐ外し、カメラを持ったまま走って撮影を続け、僕らと共にジープに乗って400ヤード(約366m)も撮影した後、ジープから降りてさらに撮影を続ける、なんていうこともあった。製作する上で、観客がいかに本作に没入できるかということが重要だったし、そのためにこの手法を選んだんだ。若き2人の兵士たちの〈使命〉がいかに大変なことだったかということを理解してもらうためにね。

──本作が生まれたきっかけは何ですか?

監督:子どもの頃、祖父が第一次世界大戦の経験を語ってくれた。いつか物語に繋がると考えていたが、本作は予想を越えて壮大に発展した。登場人物はフィクションだが、そこに宿る魂や精神、彼らが何を犠牲にしたのか、どんな体験をしたのか、いかに無私無欲だったかという点は、祖父の語ってくれた物語で僕が忘れなかった部分だ。

──主人公のスコフィールド上等兵役にジョージ・マッケイ、ブレイク上等兵役にディーン=チャールズ・チャップマンをキャスティングした理由は?

『1917 命をかけた伝令』撮影中のサム・メンデス監督

監督:本作は平凡に見える2人の若い兵士の物語だから、あまり知られていない俳優を起用したかった。大作にもかかわらず、スタジオは無名に近い若手俳優を主役にキャスティングすることに賛成してくれてすごく幸運だったよ。ジョージ・マッケイにはどこか古風なところがあって、道義心や尊厳、勇敢さといった美徳を体現してくれた。彼には年齢の枠組みを超えた雰囲気がある。ディーン=チャールズ・チャップマンのことはオーディションで会うまで知らなかったが、彼にはブレイク役を演じるのに最適なぜい弱さと愛らしさがあった。すごく自然体だし、天性の才能がある俳優だ。

──〈ワンカット撮影〉はいつ思いついたのですか?

監督:初めからワンカットで撮影することを考えながら創り上げていったんだ。僕が物語の骨組みを考え、共同脚本のクリスティを訪れて「ワンカットで撮影するための脚本を書かないといけない」と伝え、お互いに考えた。

──ロケーション撮影は難しかったですか?

<監督:観客には、主人公たちの道のりすべてにおいて、一歩ずつを一緒に歩み、呼吸をするように感じてもらいたかった。主人公たちと同様に戦場から抜け出せない心情も味わってもらいたかった。苦しくて辛いシーンもあるが、単に〈苦しさを体感させる〉ことにはしたくなかった。でも、撮影監督ロジャーのおかげで、カメラは3人目の登場人物となり、観客はそれを意識しなくても済む描写になっている。没入感に浸らせるといっても、それを意識させたら失敗だ。そうならないようにロジャーも最初から同意してくれたんだ。

──〈ワンカット撮影〉のリハーサルについて教えてください。

監督:これまで監督した作品の中で最もリハーサルをしたよ。例えば、普段は編集する際に場所や時間を省略できるけれど、本作の場合はそれができない。脚本に「廊下を歩いて二階へ上がり、納屋から果樹園に出て、農家の家屋に向かう」というシチュエーションとそのシーンの台詞が書かれていたら、台詞が距離とぴったり合うように事前に測らないといけないんだ。野原や川、森などでのロケ撮影では、何ヵ月もかけて撮影監督のロジャーを含めてみんなで脚本を読みながら距離を測り、丘を登ったり下ったりしたよ。ある日、マーク・ストロング(スミス大尉役)とジョージ・マッケイが話しながら歩くシーンを撮影していた。そばに兵士たちが乗ったトラックが4台連なって駐車していたが、マークが台詞を言い終えたとき、ちょうど4台目のトラックまで来ていた。彼は「すごい偶然だ!」と言ったけれど、「偶然なんかじゃない。数え切れないくらいリハーサルを繰り返したんだよ!」と言い返したよ(笑)。

──監督の本作に対する想いをお聞かせください。

監督:シーン全てを〈ワンカット〉撮影しても物語として成立するように、脚本を書き直しては組み立て直し、新たな設定にし、新しいロケ地で撮影できるように何度もやり直した。撮影中にもそんなことが起こった。そういうときは、この撮影方法がいかに大変か身にしみたよ。一方、上手く進んだときは、本当に心が躍るし、気持ちが上がる。そのおかげで、何日間も頑張ることができた。製作スタッフや俳優たちが一斉に仕事しているのを見ると、例えばあの爆撃の中で走るシーンが良い例だが、一丸となって大きなものを作り上げていると実感した。わずか1年半前には数行しかなかった物語が、脚本となり、製作チームにより準備され、キャストが決まり、エキストラが決まり、全員が現場で揃ったのを見た時は、本当に感動したよ。本作は僕がこれまでのキャリアで手がけた最もエキサイティングな仕事だった。どの世代の人たちへも、また男性にも女性にも同じように響く物語が描かれている。誇らしい作品に仕上がったので、見た人たちが本当に好きになってくれたら嬉しい。

サム・メンデス
サム・メンデス
Sam Mendes

1965年8月1日生まれ、イギリス出身。監督デビュー作の『アメリカン・ビューティー』(99年)でアカデミー賞の監督賞と作品賞に輝く快挙を達成、ゴールデングローブ賞と全米監督協会賞でも監督賞を受賞した。以降、『ロード・トゥ・パーディション』(02年)、『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(08年)、『007 スカイフォール』(12年)、『007 スペクター』(15年)などを監督。2000年には大英帝国勲章を与えられ、05年には全米監督協会の功労賞を獲得、15年にはブリタニア賞で監督賞を贈られた。もともと舞台の演出も行っており、ローレンス・オリヴィエ賞やトニー賞などを受賞している。