『フロントランナー』ジェイソン・ライトマン監督インタビュー

ヒュー・ジャックマンの新境地を引き出した人気監督

#ジェイソン・ライトマン

ヒュー・ジャックマンはどんな事態にも対応できるだけの準備を整えていた

ジョン・F・ケネディの再来と言われた若く優秀な大統領候補。時代の先を読み、大統領候補の最有力候補(フロントランナー)となった彼が、映画『フロントランナー』は、自らの不倫疑惑で失墜する姿を描いた作品だ

国民にはどこまで知る権利があるのか? マスコミ報道のあり方とは? 様々な問題を提起する本作に主演したのはヒュー・ジャックマン。『マイレージ、マイライフ』や『タリーと私の秘密の時間』のジェイソン・ライトマンが監督をつとめる。

政治報道のあり方が劇的に変化した1987年の出来事や本作に込めた思いについて、ライトマン監督が語ってくれた。

──ゲイリー・ハートのスキャンダルに関する映画を作りたいと思ったのはなぜですか?

監督:初めて聞いたときから、映画のようなストーリーだと思った。次の米国大統領と目されるゲイリー・ハートが、真夜中の路地裏で3人のジャーナリストと立っている……でも今までそんな状況に置かれた人間が一人もいないから、政治家の方も記者の方も、どうしたらよいか分からないでいる。サスペンス映画であり、その核にあるテーマは現代にもつながるものだ。マット・バイ(ザ・ニューヨーク・タイムズ誌の元政治部チーフ)の著書「All the Truth Is Out: The Week Politics Went Tabloid」をベースにしている。僕らの仕事は、そこに臨場感を作り出すディテールやキャラクターと共にストーリーを語ることだった。

──約30年経った今もゲイリー・ハートのストーリーが今日的な意味を持っているのはなぜでしょうか。

監督:現在では、政治家候補がどんな人間か、大統領がどんな人間か、最高裁の判事候補がどんな人間かということに人々の興味が寄せられている。そういう方向に変化が起きたのが1987年だった。変化が起きたのにはさまざまな理由がある。でも次期大統領になると見られていた男が、大統領選予備選のわずか3週間後に、政界を永遠に去ることになるというのは…。彼は民主党の最有力候補だっただけでなく、(ジョージ・H・W)ブッシュを10ポイント差でリードしていた大統領候補で、テロリズム、コンピューター、環境、教育など多くの事柄に関して先見性があった。一方でそれと同時に、欠点もあり、間違いを犯してきた人間で、自分の私生活は重要ではないと考えていた。ちょうど私生活が重要になり始めた、その時代にね。

──この映画は疑問を提示するだけで、答えを観客に託します。メディアの行動は適切だったのか。我々はどこで線を引くのか。線を引くべきなのか、と。監督の意図はどのようなものだったのでしょうか。

撮影中のヒュー・ジャックマン(左)とジェイソン・ライトマン監督(右)

監督:僕は何かを考えさせてくれる映画が大好きだ。こちらが答えを探さざるを得なくなるような質問を投げかけてきて、考えさせてくれる映画を、昔から楽しんで観てきた。僕は映画のスクリーンが鏡になっている状態が好きなんだ。観客一人ひとりが違う感想を抱いて、そうした質問について建設的な議論をすることを僕は望んでいる。僕自身はそれらの質問に対する答えは知らない。それが真実だ。

──不倫疑惑のある政治家に関する映画でありながら、セックスシーンのない映画でもありますね。そればかりか、私の記憶が正しければ、(不倫相手を報じられた)ドナ・ライスの顔さえ、かなり時間が経つまで見せていませんね。そういうアプローチをとったのはなぜですか。

監督:(米タバコ業界のロビー活動を描いた)『サンキュー・スモーキング』にもタバコを吸っているシーンはなかったよ(笑)……たぶん、自分にとって何が大切か、ということを分かっているからだろうね。
 あのヨット(スキャンダルの中心的存在となった“モンキー・ビジネス号”)の上で何が起きたのか、僕は知らない。(ハートの)タウンハウスで何が起きたのかも知らない。知らないし、興味もない。僕が興味を持っているのは、それに対して我々がどう反応したか、ということだ。あの記者たちは、(ハートの)アパートメントを張り込むという決断をした。それが正しかったにせよ、間違っていたかにせよね。それから1週間のうちに、大統領になるはずだった男が、政界から永遠に姿を消した。そこで僕らが失ったものは何だったのか。僕らがそれを失ったのはなぜなのか。当時の人々の反応はどんなものだったのか、そしてその後30年間、人々はどんな反応をしてきたのか。それは今僕らが候補者となる人々を評価する方法に、どのような影響を与えているのか。そういったことの方が、ヨット上で起きたことよりもはるかに僕の興味をそそるし、描きたかったことだ。

──それが、ドナ・ライス(サラ・パクストン)の描き方にも表れていますね。

監督:この映画を作っているって言うと、みんな、彼女がまるで物であるかのように、あるいは取るに足りない人間であるかのように話すんだ。だから彼女をどう描くか、ということは僕にとって非常に重要だった。ヨットのシーンでは彼女の顔が見えないから、観客は映画の中盤までこの女性は誰だろう、と思いながら見ることになる。当時の状況を知っている人であれば、映画の前半は、「ああ、彼女のことは知っているよ。昔見た写真に写っていた女だ」って思いながら見るだろう。そして実際に彼女が登場すると、そこにいるのは、人生を奪われ打ちひしがれているひとりの人間なんだ。見ている人は、自分が当時ドナ・ライスをどう見ていたか、そして今彼女をどう見るかということを考えなければいけなくなる。

──ヒュー・ジャックマンとの仕事について教えてください。『フロントランナー』は彼にとっても、これまでの出演作とは大きく異なる作品ですが、それが監督と彼とがつながる共通点だったのですか。

『フロントランナー』

監督:確かにそういう一緒に冒険している、という感じはあったよ。彼との間に、「よし、この映画を作るぞ。12人の群像劇だ。君が主役の日もあれば、君が背景に引っ込まなければいけない日もある。この作品を成功させる唯一の方法は、それが正しいと君が信じることだ」という理解があった。そのことを彼はすごく気に入っていたよ。視点が絶えず変化し、すべての人にセリフがある。そんなグループの一員になれること、自然な活気に満ちた部屋にいられるということを、彼はすごく喜んでいた。それもそのはずで…彼が最近出演した映画を考えてみれば、『LOGAN/ローガン』や『グレイテスト・ショーマン』など、きっちりとした作品ばかりだ。どういうことかというと、ああいう映画では、次にどういうショットが続くのか、すべて把握していないと撮影できない。すべてがストーリーボードに事細かく描かれている。でも今回の作品は、「これから記者会見のシーンだけど、誰が質問してくるか、いつ質問してくるか、あるいはどんな質問をしてくるかさえわからない。とにかく答えられるようにしておいてくれ」という感じだった。そういう映画を作ることが、彼にとっても僕にとってもエキサイティングなことだった。

──最初からハート役にはヒュー・ジャックマンを、と考えていたのですか。

監督:そうだよ。脚本を書き始めると、どうしても、「この男を演じるのは誰になるだろう」って考えるものだ。ヒューはまさに適役だと思った。外見的にぴったりなのはもちろんだけど、ヒューには内面的な品の良さや良識がある。欠点のある政治家に関する映画を作るには、グレーな領域も探究していくことになる。観客が即座に、彼を悪い人間だと判断してはねのけるようなことでは困るからね。内面的な品の良さや良識というのは、学んで身につけられるものじゃない。ヒュー・ジャックマンに生まれつき備わっている資質なんだ。

──撮影現場でのジャックマンを見て、どう感じましたか?

監督:(期待通りだと感じたのは)彼を見た瞬間でなく、彼の声を聞いた瞬間だった。彼はハートの声を完璧にマスターしていたからね。ヒューは非常に正確でち密な仕事をする役者で、今回の声に関しても、ファイト・シークエンスやダンス・ルーティンに対するのと同じように取り組んでいた。
 実際、ゲイリーとリー・ハートがこの映画を見た後、ゲイリーは「僕は本当にあんな風に話すのか」と妻リーに聞き、「そうよ。あなたの話し方そのものだったわよ」と言っていた。ヒューは、映画に出てこないスピーチのことも知っていたし、脚本にも書かれていなかったゲイリーのサウンドバイツに関する質問にも答えることができた。彼は、どんなに予想外のことで彼を驚かすような場面に放り込まれても、対応できるだけの準備を整えていた。僕自身、これまで選挙キャンペーンに関する映画はおろか、実在の人物に関する映画も作ったことがなかった。そういう映画は、非常にリアルな作品になるか、完全に滑稽な作品になるかのどちらかだ。映画制作者として、とにかく正しく作らないといけない領域の作品なんだ。この映画を見ていて、実際の状況の中に放り込まれた、と感じてもらいたかった。マイケル・リッチー監督の『候補者ビル・マッケイ』(72年)や『クリントンを大統領にした男』(92年)やクリントンに関するドキュメンタリーを繰り返し見たよ。

70年代にあった技術だけを使って撮影
『フロントランナー』
──監督の作品ほぼすべてに出演しているJ・K・シモンズが今回も(ハートの長年の友人でキャンペーン・マネジャーを務めるビル・ディクソン役で)キャストに入っていますね。あの役は彼のために書かれたものですか。

監督:僕は必ず彼のための役を書く。今回のディクソンは100%、J・Kのために書かれた役だよ。彼は今活躍している中でも最高の役者の一人だよ。僕は何かを考えるとき、彼の声で考えるんだ。ほとんどの事柄に対して彼がどう反応するか、僕はわかっている、と思いたいな。彼が愛情深い父親を演じているときも、誰かをイライラさせる人物を演じているときも、僕はとにかく彼を敬愛している。どんな作品であれ、僕の作品に彼が極めて重要な存在であることははっきりしているよ。

──この『フロントランナー』もフィルムで撮影したそうですがそう決断した理由は?

監督:『マイレージ、マイライフ』以来だ。 僕らが模倣したい映画がどれも70年代の作品だということに、かなり早い段階で気づいたんだ。だからできるだけ70年代にあった技術だけを使うようにしよう、と決めた。カメラの操作法とか使用するフィルムとか、細かい点までね。

──今回の最大の収穫は何ですか。

監督:今回は二つの旅があった。
 共同脚本のマット・バイとジェイ・カーソンから今まで知らなかったことをたくさん学び、1987〜1988年当時の政治にどっぷり浸かったという点では政治的な旅だった。
 けれど、映画制作の旅という面も多少あった。従来の方法で作られた映画にはなかった方法での映画作り、そして即興を多用した生き生きとしたセットでの映画作りを探究した。どちらの旅もものすごくエキサイティングだった。

ジェイソン・ライトマン
ジェイソン・ライトマン
Jason Reitman

1977年10月19日生まれ、カナダ出身。アイヴァン・ライトマン監督を父に、女優のジュヌヴィエーヴ・ロベールを母に持ち、子どもの頃にロサンゼルスに移住。脚本家、CM監督を経て『サンキュー・スモーキング』(05年)で長編映画監督としてのデビュー、2作目の『JUNO/ジュノ』(07年)でアカデミー賞監督賞にノミネートされる。その他、『マイレージ、マイライフ』(09年)、『ヤング≒アダルト』(11年)、『とらわれて夏』(13年)、『タリーと私の秘密の時間』(18年)などを監督。